vol.13 サンドバッグ
荒川の河川敷をジョギングしていると、頭上を一羽の鳥が飛んでいた。飛んでいた、というより、その場で浮いていた。川面から吹く風に真正面から逆らい、一生懸命に羽を動かし、わがままに対岸を目指そうとしていた。寸分も前に進めず、かつ後退もしていないのがもどかしい。機械的な羽ばたきが、昔見た『トムとジェリー』を思い出させ、少し滑稽だった。
ここ数日の僕は、まさにこんな感じだ。迫り来る入社式。終わりを迎えるモラトリアム。新たな世界への高揚と、どうあがいても拭いきれない不安がごちゃまぜになって、ずっと脈が速い。気がつけば深呼吸をしている。はたから見れば、ただそこにいてすました様子でやり過ごしているのだけど、内心は感情の振れ幅が限界を超えている。内にためていてもしょうがないので、とりとめもなく吐き出すことにする。
4月3日に控える入社式。「っ」がいくつあっても足りないほど、ほんっとうに待ちわびた。初めての就活で失敗し、もう一年こだわってようやく繋がった会社。首が長くなるどころの騒ぎではない。
しかし、長い一年だった。長くて薄い一年だった。大学を卒業し、社会的な肩書きが無い状態で生活したのは赤ん坊以来か。それだけに特殊な一年だった。色々な制限がある中であれこれ試してみたが、それでも薄い一年だった。人生で一番充実していた留学がブリタニカ百科事典だとしたら、この一年は、駅に置かれている観光パンフレットくらい薄かった。そもそもが「生き切ること」を最優先事項に掲げた日々だったので、そこまで悲観はしていない。観光パンフレットなりにハイライト出来るポイントはあったから良しとしよう。やはり、何かしらコミュニティに属して、チームで活動することが、古来からの人間らしい生活と言えるのかも知れない。そんな現実に、頬をつねられた一年でもあった。
いまの感情を分解したときに、ポジティブな気持ちが多少なりとも含まれているのは喜ばしいことだ。それだけ、入社への期待は日に日に高まっている。昨年の10月に、初めて同期と顔を合わせたときは本当に驚いた。互いへのリスペクトに加えて、皆がそれぞれの分野で、尖った武器を持っている。デザインやグラフィックのスキルだったり、皆をまとめるリーダーシップだったり、ほっと場を和ませるユーモアだったり。単調な日々の中で、同期たちと触れあう時間は刺激的だった。先日あった最後の研修では、久しぶりに顔を拝めたことが嬉しすぎて、少々しゃべりすぎてしまった。さながら、春休みに帰省した長男に興奮して吠えまくるわんちゃんのようだった。いざ研修が始まったら、僕はどうなってしまうのだろう。
そんな喜びと共に、シンプルに、負けたくないな、とも思う。それぞれが得意とする分野で、というのではなくて、僕特有の武器があると信じて、それを思いっきり尖らせたい。光らせたい。たぶんオンリーワンではないし、新しくもない。どんなにトラディショナルなものでも良いから、自信を持って振るえるような、どでかくシャープな鉈(なた)をこしらえたい。
基本的に、自分特有の物差しを失ってしまうので、周りと相対化して考えることは好まない。でも、ここまで刺激的な仲間に囲まれてしまうと、そんな思考さえも「たまにはいいか」と思えてしまうから不思議だ。
新しい生活が始まる。小さい頃から「会社員」が身近にいなかったので、どんな毎日になるのか、どんな感情が芽生えるのか、どんな出会いがあるのか、想像できる材料がない。ただ、十中八九、割と早い段階で大きめのミスをしでかすことは予想できる。これまでもそうだった。まあ、それでもいいか。その数と比例して自分の鉈が鋭くなっていけば、それでいいや。
色々なことを考えられる一年となりますように。
いつか僕も、向かい風を乗りこなして対岸へと渡れますように。