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アフリカ縦断記(21)水1Lと8枚のビスケットで32時間耐え凌ぐ

こんにちは、楽しかったリビングストーンの生活とはお別れをし、次の目的地に進みます。前回の記事はこちら



ボツワナを経由して、ヨハネスブルグに向かいます。本当はナミビアを経由してケープタウンに行くつもりでした。実際に多くのバックパッカーがその経路を使います。なぜならヨハネスブルグは非常に危険な都市だからです。ヨハネスブルグは戦争や紛争が起きていない都市の中で最も危険な都市と言われています。

特に街の中心部、ヨハネスブルグ駅周辺は犯罪率が150%と言われています。(100%一回犯罪に遭って、50%の確率でもう1回犯罪に遭う。)

そしてこのバスの到着地点はそのヨハネスブルグ駅のバスターミナルなのです。しかし、私は時間がもうありません。大学の授業が既に始まっており単位を落としてしまいます。4年生の後期なのでもう次の学期に単位を繰り越すということもできません。究極の決断を迫られ、ヨハネスブルグに行くことにしました。

苦渋の決断


朝9時にバスターミナルに集合でしたが、案の定バスは定刻通り来ません。待ち時間で現地の人に進められたローカルドリンク、トブァを飲みました。ドレッシングのような濃度で、穀物の臭みがあります。とうもろこしの実とキビ(穀物)を発酵させて作る飲み物のようです。

とぶぁ


結局3時間遅刻でバスは発車。首都ルサカからきたバスは既に沢山の乗客でいっぱいでした。なんとか席を確保します。隣に座っていたおばあちゃんに挨拶、軽く会話をします。

「ヨハネスブルグまで行くんですか?」

「そうだね、私はそこで生まれた育ったよ。」

「すごく危険な街ですよね。」

「そうね。私の家に先週強盗が入り、夫が銃で撃たれたわ。彼は今も病院にいるの。」

「えっ…。お悔やみ申し上げます。思い出させてごめんなさい。」


軽い会話のつもりがシリアスな空気に急展開でした。身体に緊張が走ります。

洗浄しに行くバス


1時間でボツワナの国境に着きました。全員が入国検査を済ませた時、なぜかバスが発車しません。何が起こったかと思うと、バスに接続した貨物の中から乾燥した魚が見つかったとのこと。
そのため、貨物車の中を洗浄するまで入国できないと言われます。この貨物のオーナー、どうやら以前にも同じ内容で入国を拒否されていたとのこと。信じられません。国境の暑い日差しのもとで待機が始まります。
すごく気になったのは、このような個人による問題が発生した時にその責任の問う人が誰もいなかったことです。日本であれば乗客に対して謝罪をしたり、遅延した分の食事を用意すると言ったことが起きてもおかしくないと思います。誰1人文句を言わずに黙って待っているのです。 

ピンチ

朝からローカルドリンクを一口しか飲んで無かったため、水分不足でした。しかし国境に飲み物を買える場がなく、歩いて20分ほどのスーパーに行かなくてはいけません。ただその道は動物が頻繁に出現するらしく徒歩での移動は危険すぎるとのこと。
ボツワナの現地通過を持っていないのでタクシーを使えない私は歩いて行くことを決意。というかなんでこんなリスクを背負う必要があるんでしょうか。私みたいなケースって過去にも沢山存在しただろうに。

周囲をくまなく見渡しがら歩きました。結局小さなお猿さんと鹿数匹と遭遇しました。ゾウにあわなくてよかったです。

像が出現鬼没



スーパーで水を3本とビスケットを購入。生き返りました。国境に戻ると乗客全員に勇敢な人だと褒められなんだか嬉しい気持ちに。隣に座っていたおばあちゃんに水を1本あげて、バスをまちます。

3時間後、バスがようやく洗浄を終えました。ようやくボツワナに入国です。ここから休憩なしで一気に南アフリカの国境まで向かうとのこと。ビスケット買ってなかったら一日飯抜きでした。ありえません。

悪夢

10時間かけ、深夜1時に国境に到着しました。すると運転手から今日は国境の営業時間が終わったからここで朝まで待機だと言われます。

は?

なぜそれを最初から言わなかったんだろう?分かりきっていたなら途中で停止して食事を買ったりトイレ休憩をする時間を設けることができただはずです。もういろんなことが無茶苦茶で笑いが止まりません。その日を通してビスケットと水1リットルしか口にしてません。体がすごく怠くなっていました。とにかく無駄なエネルギーを使わないように静止し、朝の6時までバスで待機します。

封鎖された国境


朝6時、国境が開きます。ついに最後の国、南アフリカに突入です。南アフリカ側の国境側に露天商がいましたが、現金を持っていなかったのでここでも諦めます。

気づき

このタイミングでひとつ思ったことがあります。それは多国籍への配慮といった観点を当たり前に捉えていたということです。
陸路でヨハネスブルグに行く外国人なんて普通いないんでしょう。車内のアナウンスも全てザンビア語ですし、国境の検査官が日本人の私の入国管理に戸惑っていたりしました。外国人のために全てができていると考えていた私が少し傲慢でした。その国にお邪魔させてもらっている立場だということを弁えなくてはいけませんね。

流石に腹をすかせた私を心配したのか、横のおばあちゃんが私にポテトチップスを譲ってくれました。しかし、とにかく喉が渇いていた私はポテトチップスによって乾きが促進されることを警戒し、我慢することにしました。
ヨハネスブルクまでここからやく10時間。ほぼ憔悴した体にエールを送りひたすら耐え続けました。

そしてついに、

ヨハネスブルグ


ついた!!!!正直目が丸くなりました。金融都市と知られているヨハネスブルグ。人口は4000万を超え、もはやアフリカとしての影がどこにも見えません。久しぶりの都会に高揚感に包まれます。

そんな興奮も束の間。ついに凶悪都市への心構えをしなくてはいけません。ここでなぜかバスが本来のバスターミナルを通過します。バスが到着したのは本来のバスターミナルから離れたスラム地区でした。取ってつけたような建屋がひとつあるだけでセキュリティの管理が杜撰です。しかも!インターネットが使えないとのこと。WIFが使えないとタクシーが呼ぶことができず立ち往生をする羽目になります。日が暮れ出しており、辺りの雰囲気はまさに最悪の一言でした。外国人である私を今かと待ち侘びているかのように目をぎらつかせています。


なんとしてもドアtoドアでここから抜け出したい。勇気を振り絞って車内の人全員に聞こえる声で、

「携帯を持っているひとはいませんか?私の代わりにタクシーを呼んでください!」

とお願いします。すると国境で足止めを食らっていた時に仲良くしていたザンビア人が車で送ってくれるとのこと。涙が出るほど安心しました。

郊外のローズバンクに到着し、約1ヶ月ぶりにプライベートルームのホテルに泊まりました。一泊10000円のこのホテルは私の一週間分の宿代に相当します。とにかく安全を金で買うことを意識しました。このホテルのレストランで夕食をとります。

ほんとに美味しかった!よくわかんないけど!


水分不足、栄養不足、極度の緊張状態から解放され、また勝手に涙がポロポロ。南アフリカの経済的な発展と、治安の悪さの両側面を初日から噛み締める形となりました。

最後まで呼んでいただきありがとうございました。

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