生産性のない会話
つらつらと取り留めのないことを書くnote、精神衛生上とても良いし思った以上に反響が良いので続けてみる。
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最近は腰を据えて仕事ばかりしていて、人との会話がほぼビジネストーク、しかも8割がチャットとくれば圧倒的な対話不足。(なのでこれを書いている)
最近気になるお店とか目が覚めるくらい美味しかった食事とか、あの本良かったとかこの音楽聴いてよとか、今日は夕日が綺麗とかあのシェフ絶対変態とか、所謂「生産性のない会話」が私には必要不可欠らしい。
そのくせフリーランス期間が長かったからか、そういう「お金にならないこと」にだけ時間を費やしていると突然焦燥感にかられて息がつまるのだからほとほと困る。
「だから休むのが怖い」という話を、とある人に吐露したことがある。
「休みたいけど休み方がわからない」という私に、その人は「ヨーロッパ人なんてシエスタもあれば丸々一ヶ月休むの普通、たまにはお昼からお酒でも飲めば」と笑い飛ばしてから、「そういう時間が人を楽しませたり救ったりすることもあるよ」と続けた。その時は優しい慰めかなって思ったけど、最近は「豊かさの話」だったのかもしれないと飲み込み直している。
たとえばその人には行きつけのバーがあって、どうしていつもそこに行くのかと言うと、「好きな音楽や映画や偉人の話ができるから」らしい。
ここでいう「話ができる」っていうのは、きっと会話じゃなく対話。一方的に話を聞いたり聞いてもらったりするだけじゃなく、それに対する知見や所感や意見を優しく交わえて、共感したり納得したり新たな発見をしたり、時には何その考え方って疑問を持ったりする。
そうするためには互いに幅広く深い知識が必要で、その為には一見「生産性のないこと」を多く経験している方が、誰も体験していない唯一無二の経験として相手に豊かさをプラスできるって話。え、それって生産性ありまくりじゃないですか。
そんなことを考えていたら、バーを選ぶことってパートナー選びに少し似ているなあ、とふと思った。だってそういう話を「豊かさ」と捉える人もいれば「つまらない」と思う人もいて、どっちが良いとか価値があるとか生産性云々じゃなく、マッチングの問題だよね。だから相手の好きなバーを心地よく思うかどうかで、一つの相性を図れたりするのかもしれない。いや、単にお酒が好きなだけかもしれないけど。
何が言いたいかって、私にもそういう話をできるバーが欲しいなってことと、ご飯食べたりお酒飲むときには「生産性のない話」をしていた方がずうっとずうっと美味しいよってこと。今夜は中華です。