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部屋の中のゾウ
「頼りにしているので無理をしないでください」と言われて驚いた。
無理をしているつもりなど更々なかったのにその言葉を掛けてもらったこと。無理をしているつもりなど更々なかったのにその言葉で泣けてしまったこと。「頼りにしている」と「無理をしないでください」の接続詞が思い掛けない"ので"だったこと。
「出来るだけ長く、力を貸して欲しいんですよ」だから出来るだけ無理をしないでください、とその人は繰り返した。
梅雨の晴れ間だった。その人は少し前に恋人が突然姿を消したこと、あんなに一緒にいたのに何の前触れにも気付けなかったこと、最後に会った時もいつも通りの笑顔だったことを話し終えてから、「笑い方が似てる気したんですけど、未練ですかね」と笑った。
身近な人のSOSに気付けなかったことが、かつて私にもある。
彼女は些細なことでもよく泣いてしまう友人で、「辛い悲しい苦しい」が口癖の少しだけ幼い(そこもまた素直で魅力的な)人だった。
そんな彼女がとある出来事を境に一切の弱音を吐かなくなる。いつもならそんな出来事があればすぐにでもSOSの電話が鳴ったのに、結局届いたのは数日後の「大丈夫^^」というLINEだけで、拍子抜けしたことを今でもよく覚えている。
しばらくぶりに会ったとき、見違えるように痩せた姿に少しだけ驚いたけれど、「今が頑張りどきだから」と仕事に邁進する話を聞いて私は「元気になってよかった」「応援してるから頑張れ」などと告げ、彼女は「そうだね」「ありがとう」などと笑って別れた。
彼女が大量の睡眠薬を飲んで運ばれたのは、それから一週間後のことだった。
どうしてこんなことを、と泣きわめく私に「死にたかったわけじゃない、しばらく眠りたかったの」と虚ろな目をして彼女は言った。
本当は気づいていた。先週も同じ目をしていた。でも大丈夫だと思いたかった。気づいていて気づかないふりをした、そのことがきっと、彼女の「助けて」を飲み込ませたのだと思った。
辛い悲しい苦しいなんて、言えるうちはまだ未来への期待がある。人が本当に危ないのは、それを失ったときだ。部屋の中のゾウに気づかないふりをして、救いさえ求めなくなったときだ。
そういうとき、人は大抵必要以上に愛想が良くて、やたらと頑張り屋で、何を聞いても大丈夫と笑ってごまかす。
悲しみに直面することさえ出来ない人が目の前にいたなら、悲しくて当然だよとまず肯定してあげるべきだった。大切だから頑張れじゃなく、大切だから今は無理するなと言ってあげられたら良かった。先の未来で笑えることよりも、今一緒に泣いてあげられたら良かった。私はそうして欲しかった。
本当に辛いとき、「助けて」と甘えられる人がいたらそれだけで助けられてるよねと思う梅雨の夜更けなのです。 優しい音楽がききたいなあ。
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