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沈黙を縮めること

『迷った時には正しい方より優しい方を選ぶ』と年の初めに誓った。

「優しい」の定義は時と場合によるのだけれど、できるだけ「相手の気持ちを否定しない」というのが、最低限であり最大のルール。


この抱負の効能は意外と大きくて、まず一つは衝動的な怒りや悲しみを表面化させることがなくなった。

昔は何かあるとすぐに諦めて適度な距離を置くか、それでも関わり続けたい相手には無意識に正論を振りかざしてしまいがちだった。

けれど人は正論になど救われないと知ってからは、伝えたい想いが「正しいか」どうかよりも、この伝え方で「相手はどう思うか」「それで私はどうしたいか」をまず一人になって考えられるようになった(気がする)。


それから、優しくしたい相手のことをよく観察するようになった。

その人は何が嬉しくて、何が悲しくて、どんな時に笑って、どんなことをされると嫌な気持ちになるのか。

それは本当に千差万別で、どんなに時間を共に過ごしても私とは違って、だから、優しくするためには相手を理解するところから始めないといけないな、と常々思う。


そんな風に過ごしていると、時にはどうしたって理解できないことにも遭遇する。私のモノサシでは到底測りきれない出来事は、どれだけ「良い面」だけを並べて丸めて飲み込もうとしたって、喉につかえて、苦しい。

衝動的な怒りは6秒で落ち着くというけれど、私の場合は怒りが悲しみに変わって襲いかかってくるから厄介だ。現実を受け入れて折り合いをつけるまでに、ひどく時間がかかる。

感情を衝動的に表面化させなくなった分、次にとるリアクションまでが沈黙になりがち。その間はきっと、相手に不安を与えているだろうな、と思う。それは優しくないよね。

できるだけ沈黙の時間を縮めていくのが下半期の課題。もっとナチュラルに優しく在りたいなぁと思う、6月1日の夜なのでした。

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Remi
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