PTAいらないと思って改革しちゃいました ①
最近、頻繁に出てくるPTA論争
私の子供の頃は 授業参観やクラス懇談会のあとに役員のお母さん達が教室に残って色々と話して、、。
一体何をしているんだろう?
と思っていました。
今から30年ほど前のお話ですが、
現在と違い、電話は家庭に一つ
母親はほとんど専業主婦
懇談会などで集まらないと情報が入ってこない時代
母親同士のコミュニケーションの場は学校にあったんだったんだなと思います。
私が小学生の頃
母ではなく、社交的な父がPTAの役員をやっていました。
記憶にある最初の思い出
昔は土曜日に半日だけ学校がありました。
私の通っていた小学校は土曜日に引き取り訓練がありました。
校庭に腕章を付けた父が前の方に立っていました。
あれ?お父さんいるから私の引き取りはお父さん??
と思っていましたが
母が引き取り来てくれたのを覚えています。
お父さんが前にいるのになんでだろう?と
考えていたのを覚えています。
そう、
父は、校外地区委員会だったようです。
その後 副会長を2年間
会長を1年間
計4年間のPTA活動
いつのまにか会長に抜擢
PTAのフルコースでした。
さて、まえおきでしたが、
ここからは私の体験した
コロナの前のPTAのお話・・・
上の子の入学式のあと別室へ連れていかれ
PTAの役員決めが始まりました。
ついに、ネットで見ていたPTAの洗礼来たー!!と
『全部決まるまでここから出られません』
とのこと
あーこれかー
噂のやつねー
しかもその頃はPTA役員だけでなく、1年生の先生までいて、役員が決まるまでずっとその場に一緒にいたのを覚えています。
フルタイム正社員で働いているので、役員はやりたくない!!と思いながら
『1年生のうちか低学年のうちにやっといた方がいいよ』と
いう言葉を聞いてはいました。
要は低学年だと委員長や副委員長をやらなくて済むと言う事らしく 皆、次々に手を挙げて役員は比較的早く決まりました。
その時はそう信じていましたし、
子供を学校に行かせる限り
PTAがある限り
これが永遠に続くと思っていました。
そしてコロナ期に突入
役員をやろうと思って決まった矢先、
突然のコロナ流行
学校も休校
本部役員以外は白紙
私は広報委員会に決まっていましたがいったん白紙ということになってしまったので
『高学年になると委員長をやらされる』
と聞いていたこともあり、それはすごく不安な日々を過ごしました。
その頃は子供1人につき1回(1年間)は役員をやるという
PTAの規約にはのっていない暗黙のルールというか
都市伝説というか
ネットで検索すると必ずでてくるキーワードに
私は踊らされていました。
その後、1年間は委員会活動は全くなし。
本部役員だけの活動となっていたようです。
さらにその1年間だけですが、PTA会費がすごく安くなり、このままずっとこれでもよいのでは?
と思うようになっていました。
その頃はうちの小学校のPTAはすでに委員会はどんどん縮小され
サポーター制(活動するときだけボランティアを募集する方式)
を採用
4つの委員会の委員長と副委員長だけを決めるスタイルになっていました。
その後
上の子が4年生の後期
役員決めのお手紙が回ってきました。
来年からは高学年
もしかしてPTA役員をやらないまま卒業できるかな?
と考えていたのですが、、、。
2へ続く