
授産品が非常にまずかった話
先日、職場で授産品のお菓子を頂きました。外出していた同僚が、帰社途中に偶然見つけ、買ってきてくれたものです。念のため説明を付しておくと、「授産品」とは心身障碍者施設である授産施設(授産所)で作られる産品のことです。その存在は知っていても、私個人としては目にする機会が多いものではなかったため、ありがたくお菓子を頂いて、早速食べてみることにしました。
あまりこのような表現に修飾語句を加えたくはありませんが、できる限り伝わるよう、単刀直入に書きます。極めてまずい、の一言に尽きます。お世辞にもとても食べられたものではありません。
頂いたお菓子は二種類ありました。
一つはクッキーです。何の味付けかという表示はなかったので定かではありませんが、おそらくきな粉クッキーであると思われます。手に取ると、明らかに頼りなく、脆い印象を感じます。こぼれないように気を付けながら一口噛んでみました。その瞬間、クッキー全体が粉々に砕けてしまいました。そのクッキーの食感を簡潔に表現するとすれば、粉をかろうじて湿り気でまとめている、というのが非常にしっくりきます。口の中に広がったクッキーも、目の前に盛大にこぼれたクッキーも、全て「塊」というより「粉」でした。肝心の味はというと、ごく薄甘い中に、微かなきな粉のような風味を感じるといったイメージで、限りなく無味に近いのです。後味が少し苦い気さえしました。
もう一つはパンのようなものでした。パンなのか、と聞かれると自信はありませんが、パンではないとも言い切れません。「ふんわり」といった感触は全くなく、とにかく硬い食品です。押してもほとんどつぶれません。体重をかけてみたところ、少し凹んでそこから戻りませんでした。食べてみると、中心のあたりで「ガリガリ」という音が立つほどで、断面に気泡はほとんどありません。当然食感はパサパサで、カビのような何とも言えない臭さが口のあちこちで生まれます。思わず、消費期限が切れていないか確かめてしまったほどです。こちらに関してはおそらく味もついておらず、ほのかに漂ってくる「食パンのような味」をどうにか努めて見つけ出す必要があるようなものでした。ちなみに、外観はアンパンのような丸い形状でした。
普段私は食べ物に文句をつけることはありませんし、多少口に合わないと思ったものでも、一度口を付けたものは完食するよう心掛けています。しかし、これらの授産品については、申し訳なさを感じながら、それぞれ残して捨ててしまいました。食べることがあまりに苦痛だったのです。
私はここで、授産品批判をしたいわけではありません。なぜおいしく作らないのか、と問いたいのです。特にクッキーなど、小学生のクラブ活動でもある程度おいしく作れるのに、なぜこれほどまでまずくなってしまうのか、甚だ疑問です。これらの授産品を生産・販売している授産施設の姿勢に何か大きな問題があるのではないか、と考えています。
授産品だから大目に見る、というのは、かえって障碍者差別であると思います。心身に障碍がある方々は、何らかの行動には制約を抱えているかもしれませんが、その影響で一概に料理が下手になるというのはおかしい話です。私よりも歩くのが苦手な方が私よりも手先が器用な例は、挙げれば数えきれないはずです。
それに、原材料を揃えて計量し、それらを調理して完成させるまでの工程を全て一貫して一人で行っていると考えるのは不自然ですから、工程ごとに分業するか、複数人で一貫工程を協業しているはずです。それであるならば、その障碍の程度や内容に応じて、得手不得手を考慮して配置するのが施設側の役割です。それは特別に授産施設だけで必要となる体制ではなく、どのような企業・団体であっても、適材適所は図られるべきなのですから、この点において授産施設が特別視される理由はありません。
また、授産施設内の人材の特性を踏まえて、料理が不適当であるなら、食品を生産・販売する必要はありません。現に、家具や日用品などの授産品も多く存在しています。授産品であることを理由として、評価の基準を変えて、低品質のものを寛大に受容しなくてはならないものとするのは、あまりに浅薄で無思慮だと思います。
授産品の売上は、授産施設での生産工賃、すなわち授産施設利用者の収入の原資となります。つまり、授産品を買うことは、授産施設で作業を行っている障碍者への支援に直結します。心身に障碍を抱える方の就業は官民で推進されているとはいえ、まだまだ障壁が存在している以上、授産品を通した支援は重要な要素であり続けるはずです。授産施設自体が、そういった障碍を抱える方々の自立を促すことを目的としているのですから(生活保護法38条)、施設として授産品の売上を伸ばす努力をするのが当然の責任ではないでしょうか。
(種類)
第三十八条 保護施設の種類は、左の通りとする。
一 救護施設
二 更生施設
三 医療保護施設
四 授産施設
五 宿所提供施設
(2項から4項:略)
5 授産施設は、身体上若しくは精神上の理由又は世帯の事情により就業能力の限られている要保護者に対して、就労又は技能の修得のために必要な機会及び便宜を与えて、その自立を助長することを目的とする施設とする。
私自身、授産品に触れる機会があれば、積極的に買いたいと思っています。しかし、少なくとも冒頭で述べた授産施設の食品は避けざるを得ません。捨ててしまうものにお金を払うのは、誰も幸せではないからです。あのクッキーとパンを改めて食べて、無理にでも完食できる自信はありません。
私が、この授産品がまずかったという話を知人にしたところ、「授産品なんてどこで買ってもそんなものじゃない?」という返答でした。包み隠さず言えば、そのような印象は私も少なからず抱いています。しかし、それがなぜなのか、私には到底思いつきません。どの授産施設でも、レシピの検討はしないというのでしょうか。正式販売前に、試作品の味見はしないのでしょうか。売れ行きを良くしようという努力はしないのでしょうか。
知人は続けて言います。
「おいしくない方が、授産施設で作っている感じをアピールできると思っているとか……、そんなわけはないか」
もちろん、私もこの考え方は採れないと思っています。授産施設自身が、「障碍者が作っているからまずいんです」などと暗にでもアピールしようとしているのなら、本末転倒という言葉では言い表せません。授産施設を運営する資格はないでしょう。
絶品スイーツを作れ、というのではないのです。シンプルなものを、平均的なおいしさで作ることができるのなら、きっと授産品は日常生活に根付くものだと思います。「授産品を買う」ということが、障碍者支援のためなどという大義名分を要さずに、気軽に買えるようになることを願っています。
この投稿は、より多くの人に読んでいただき、考えていただきたいという思いから、全編を敬体で書きました。いつものように字数の制限も設けず、思いのままに丁寧に述べたつもりです。私の真意が「授産品がまずかった」ということにあるのではなく、授産品を通したより明るい社会への希望を訴えたい点にあるということが、読者のみなさんに通じていますように。そう願いながら、最後のEnterキーを叩きます。
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