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社会人season3 ~リストラ編~
結論から言うとリストラに遭った。
少しまた暗い話をしてしまうけどそんなに本人は落ち込んでないので笑って欲しい。
今の仕事は、苦労が格段に多かったけど、自分の成長を感じていたし、学ぶことが多くて楽しかった。
その反面インシデントが多く、何度話し合っても改善が見込めず、経営はガタガタで、常にクレームの絶えない職場だった。それなのに気分屋の経営者は人を片っ端からクビにすることで定評があった。
私は仕事ぶりを評価され、幸いなことに気に入られて不自由は少なかったけれど、明日は我が身だと毎日怯えながら働いていた。
そういう人は、経験上順番で人を切っていくからだ。中学校のイジメと、体質は全く同じだった。
いずれ、自分の今後の人生に大きな不利益が出ないうちに辞めようとは思っていた。
なぜなら私が最も尊敬していた先輩は、長年トップの知識量で周りを支えてくれていたのに、ひょんなことから医療事故の責任を擦り付けられて、そのショックで退職したからだった。全てが、明日は我が身だった。
私は資格を取り、経験を積み、混沌とした日々の中でも少しずつ確実に前に進んでいた。ここから這い上がってやるんだって。
そんな中で、経営者が病に倒れた。
私が、「私が責任持って次の人材を育てますので、その後でいいですからどうか退職させてください。」と告げたおよそ2ヶ月後の出来事だった。
今まで経営者に虐げられてきたパートの人や、嫌味を毎日言われていた新人たちが、片っ端からリストラを告げられた。
笑っちゃうような条件を提示されて、これで残るか、辞めるかだと。
皆、反抗する気も、拒否する気もなく、潔く去っていった。戦うだけ無駄な相手だと、諦めていた。
そんな中、私にも非常勤になれというお達しが下った。
それならもう、生活できないので辞めさせてくださいと言った。どうせ辞めるし、問題は無いだろう。
そうしたら生活できるギリギリの額をいやらしく提示された。拒否権はないようにも思えた。
私をリストラするくせにギリギリまで余命を引き伸ばすのは、私の上司を先にクビにしたいから。そのための前フリだと分かっていたけれど、またそれは置いておいて。
所詮、辞める身だし、まあええか。残りの期間を虐められる側に回るよりは、数ヶ月我慢して、穏便に退職しよう。
思考停止した事勿れ主義の私は、首を縦に振った。
少し、自分は愚かだなぁとも思った。
けれど疲弊しきっていたから、戦う気力も実際なかった。
そんなこんなで、既に退職を控えた身なのに、正社員から降ろされてしまった。
数日後、私よりずっと厳しい条件を突きつけられた、経営者に嫌われた上司は、一瞬で退職を決めた。
最終的に、現場のスタッフは半分ぐらい居なくなり、私の部署は全員が非常勤になってしまった。
一体、この職場の責任を誰が負うというのだろう。
まあ、そんなこともう知ったこっちゃないが。
自分が一生懸命立て直してきた部署が呆気なく解体されていく姿を、私は呆然と眺めることしかできなかった。
いくら事業縮小するからって、全員追い出したら、そのまま潰れちゃうのでは…。
まあ、そんなこともう知ったこっちゃないが。(2度目)
そんなこんなで、令和5年、とんでもない職場でなんとか生き抜いてきた私の最期は、リストラにより完全に宙に浮いた仕事を全部背負い、それを退職までに誰かに引き継ぐことも出来なさそうだし、完全にただただ終わっていく職場をスレスレで存命させるという任務に終わりそうだ。本当に令和5年の話ですか?
正直この先どうなろうと知ったこっちゃないが、このままではここはやばいぞと入ってすぐ思った私は、沢山のことを改革してきた。それを色んな人に教えて、教えてきた後輩を気分でクビにされて、その繰り返しで、私がどんなに頑張っても変わらないのかなと思っていた矢先の出来事だった。
いざ手放してみると、呆気ないもんだったなあ。
もう、一人で頑張らなくてもいいんだ。
何も残らなかったなあとも思うけど、私にはこの凄まじい経験と独学でがむしゃらに集めた知識が残ってる。
それを抱き締めて、また少しづつ歩いていくしかないなあ。
うーん。
人生って難しいなあ。
ただでさえ物価高騰で苦しむ中、家計は火の車。
けれど何故だか、心に余裕がある。
それは前の職場をパワハラで夜逃げした時とは、全然違う。
「私なら、大丈夫だろう」
こんな人生だけど、こんなんでも少しづついい方向には向かっているんだよな。
もっと凄まじい経験はいくらでもしてきたから、これ以上酷い目に遭うことはないだろう。
あとちょっと話のネタになって面白いし。令和5年にリストラて。25歳やで、わたし。勤務態度非常に良好やで。まさかと思うよね。
経営者が病に倒れたのはさすがに予想外の急展開だったけど、いつかはここから逃げなければいけないと思っていたし。せめて事前に動いておいて良かったと思うしかない。
以上、わたくしの退職物語その3でした。