怒る人
元来、私は怒りっぽいことで有名であった。
それが自分の長所とすら思っていた。怒れない人は、言いたい事が言えない人と同義だと思っていたから。
それとはまた別に、いつもニコニコしていて怒らない人は、怖かった。何を考えているのかよく分からない人が多いからだ。
社会に出て、私は別人のように全く怒らなくなった。我ながら驚いた。
周りが怒り狂っていても、笑っているか、ぼーっと眺めている。
怒らなくなったのは、単純に疲れたし、怒って状況が良くなったシーンを見た事がないから。
感情を増幅させた所で、話が解決する事はない。むしろ悪化の一途を辿るばかり。
私は、気の置けない友人の前でしか、怒り・不快の感情を露わにしなくなった。
この世の中には、自分の機嫌もろくに取れないまま大人になり、歳を重ねた結果、自分より若い人たちに機嫌を取ってもらっている大きな子供が多すぎる。
無自覚ほど悪意のあることはないと知った。
日によって機嫌の上下が激しくて八つ当たりする人の、こんなにも多い事か。
自分より何十歳も下の人間に、機嫌悪いアピールして周りに気を遣わせるのをやめてください、と言われたら、きっと彼等は憤死してしまうんだろうな。
新入社員の時、唯一尊敬していた幹部が言っていた。「私が20歳の頃にされて嫌だった事は覚えているから、それがない会社にしたい」と。
その感覚がある大人は、一体この世に何割なんだろう。
私は、理不尽に怒られても謝る。
何を言われても笑っている。ここ一年くらい。
それがどんなに恐ろしい事か、好き勝手怒れる人には分からないだろう。
自分の感情に振り回されていることは、本当に恥ずかしい。
昔からそうだった。
自分が新入生の時されて嫌だった部活の文化は、自分が部長になった時に取りやめた。
いつだって、されて嫌だったことを陰湿に覚えている私だからこそ出来る唯一の人助けかもしれない。
人に嫌なことをする人は、した自覚もないから、改善しようもないのだ。
それは同時に自分に対しても言えることで、常に人の顔色を伺い、少なくとも私と接してゆく大体の人が不快ではない程度の人間でいたいなと肝に銘じて生きようと思う。
怒りは怒りしか生まない。
(だから戦争は終わらないんだよ)
優しさと赦しだけを広げていくしかない。自分から。小さな一つでも。
と、思う。