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じいちゃん

いつか来る別れを覚悟していたつもりでしたが、いざとなると驚きを隠せません。何事にも打ち勝ってきた鉄人の祖父もいつかはこうして居なくなってしまうんだなということを今になって感じています。

祖父との思い出は沢山ありますが、幼い頃の思い出で色濃く心に残っているものがあります。
保育園の運動会で、祖父が徒競走に出たことです。
寡黙な祖父が、ピンクのハート型のゼッケンを貼られ「ちなつちゃんのおじいちゃん」と書かれていたのを笑っていると、ピストルが鳴り響くと共に、アスリートだった祖父は、他のおじいちゃんたちを吹き飛ばすかの勢いで、土埃を巻き上げ、園庭を猛スピードで駆け抜けていきました。運動音痴だった私には大変誇らしく、そのかっこいい背中を、今でも鮮明に思い出します。

祖父は寡黙で、厳格で、頑固で、それゆえにどこまでも真っ直ぐで芯の強い人でした。
それに私には厳しい面を見せたことなど一度もなく、学校が終わって祖父母の家に帰ると、晩酌をしておりいつもご機嫌で饒舌でした。
お酒が回ってくると歴史の話、社会の話ばかり何時間も語っては、祖母に「そんな長い演説を聞かせて」と怒られていました。私はなぜか、祖父の難しい話に相槌を打つ時間が、どこか心地良かったものでした。
祖母の前では絶対に言わないのに、祖母が席を立った時に「あの人はすごい人なんだよ。」と祖母の生い立ちをよく語ってくれました。
わたしの父の前では絶対に言わないのに、父の幼い日の思い出話をして、私に涙を見せたこともありました。

私や弟が学校であったことを話すと、「ちーちゃんもナオくんもじいちゃんの孫だから頭がいいんだなぁ」「じいちゃんに似たんだなぁ」と手を叩いて大喜びしていましたね。
私が海外に難民支援に行くと言った時も、「さすがじいちゃんの孫だ」と手を叩いて、私のやることなすことを全て大喜びして褒めたたえてくれましたね。今思えば、社会の役に立ちたいだとか、人を救いたいだとか、私にそういう気持ちが自然と芽生えたのは、あの食卓での演説を聞いた日々のおかげかも知れません。

病床に伏した時も、薬を飲まず、誰の言うことも聞かなかったけれど、私が「ちゃんと薬飲んで長生きして!」と伝えると、喜んでまんまと薬を飲んでいましたね。私にとっては、そんなところがとっても可愛いおじいちゃんでした。

今日お別れしても、祖父の正義感や、世のため人のために生きるという信念が、私の中に生きています。
だから、「さすがちーちゃんは、じいちゃんの孫だなぁ」ってまた手を叩いて、見守っていてください。
もう、世のため人のために頑張らなくても大丈夫。みんながじいちゃんの魂を受け継いでいくから、ゆっくり休んでください。




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