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好きなバンドと芸人の話
自分のための日記だから、久々に更新したかと思えば誰にも伝える気のない記録をしようと思う。
10歳、生まれて初めて好きなバンドが出来た。
彼等は、「得意な事があった事 今じゃもう忘れてるのは それを自分より得意な誰かが居たから」
「期待されるような命じゃない」
と唄った。あの日が私のビッグバンだった。
有名な説で、人は14歳の頃に聞いた歌で好みが決まるというものがある。
女性の場合はもう少し早くて、平均して11〜13歳で好みが決まるらしい。
その頃の私は彼等の曲が全てだった。
頑張れとか、好きとか、会いたいとか、周りの小学生が聞いているようなポップには全く興味がなかった。
彼等はいつも、もう頑張らなくていいよ、こんな世の中クソ喰らえだ、自分に誇りさえあればいいと伝え続けてくれた。傷を見せてくれるような歌だった。俺達だけは君の味方だと言ってくれた気がした。
周りの大人も、周りの子供たちも、誰も彼等のことを知らない。それがまた快感だった。
スマホもないあの頃、歌詞を繰り返し耳で聞いて、何度も自由帳に書き殴った。
そうやって彼等の歌詞を一文字一文字魂に刻み込んで大人になった。
彼等の作る音楽は、いつの間にか変わった。それでも形を変えて、私の心の傷を洗ってくれるのであった。
今ではもう、周りの人で彼等を知らないと言う人が一人もいなくなった。少し、寂しかった。今でも寂しい。
けれど今でも新曲は聴くし、ライブにも行く。私の人格を形成した全ては彼等だったから。彼等が変わっていくように、私もきっと変わって行くし、同じ曲でも歌詞の受け取り方も変わる、それもまた音楽の良さなのだと。
私は、全ての変化も含めて彼等と共に生きていく。幼い頃、私の理解者になってくれた日から、生きる指標にすると決めたから。
話は変わるけれど、芸人が好きだ。
最近の芸人はテレビに出る人ならほとんど知っているが、2、3年前に好きになった芸人が最近KOCで優勝した。
2人とも社会不適合者で、クズと呼ばれて、抜群に天才で、最高に面白かった。
私の好きな芸人は、とにかく社会不適合者ばかりだ。ギャンブル、酒、借金、短気。
芸人らしい芸人が好きで、好感度も何も気にしない、自分達の面白いと思ったことを貫けないなら死ぬ。そんな芸人が好きだ。
何が言いたいかというと、好きなバンドも、好きな芸人も、いつでも尖っているのだ。
私は、物心ついてからずっと、尖った人間が好きなのだ。
人気者には寧ろ興味がなくて、なんなら一部には激しく嫌われていて、それでも自分達の軸を持って、それを絶対に譲らない。
そういう人間の作るカルチャーを愛している。
自分を投影しているのだ。あの頃の自分を。嫌われようと自分の信念を貫けないなら死んだ方がマシだと思っていた頃の自分を。
けれど、同時に気付いたのだ。
好きだったバンドも、芸人も、私が出会った頃には周りの人は誰も知らなかった。
今は大体の人が知っている。
売れたのだ。人気者になったのだ。
売れなくていい。世間には媚びない。そんな姿勢の人達が、売れていった。
私は、自分以外のファンが苦手だ。
私以外に彼等を語らせるのが嫌なのだ。なぜなら彼等は私そのものの価値観だから。
そこまで自己投影しているせいで、売れたら寂しいなどという自分勝手な被害妄想に走る。
分かっているけれど、これはもうこういう生き物なので仕方ない。
売れていった彼等を、嬉しく思う一方で、寂しく、置いて行かれたように思う。
最初から何者にもなれない私とは違うだけなのに。
でも、結局自分の好きを貫いた人は、どこかで評価を得るって事なのかもしれない。
血の滲むような努力も、努力と思わないであろう彼等だからこそ。
私は、尖り切れていないから、燻っているのだ。
尖ることと、突き詰めることは、紙一重なのかもしれないな。
少し他の人にうっかり刺さるぐらいの鋭利さと覚悟がないとダメなのかもしれないな。
最近はそんなことを思いながら生きているのでありました。
丸くなりすぎたかな。