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俺達はそういう星の下に生まれた

帰省した。

いつものように食卓でなんやかんやと弁論した後、父は赤ら顔でそう言った。

「俺達はそういう星の下に生まれたから(しかたない)」

自分の中にある正義を貫いて生きていくにはどうしたらよいか?というテーマだった。

世の中には理不尽なことばかりがあって、正しいことをしていればお金持ちになれる社会ではないと気付いたのはもう数年前。

このnoteに書いてきたような、そんなジレンマを、25歳当時の父親も感じていたのだろうな、と思った。

昔ならもっと「力づくでも正しいと思ったことをやれ」「でなければ切腹しろ(とは言ってないけど)」みたいな父親だった気がするけど、彼は半分諦めたような、半分開き直ったような、そんなことを言っていた。

面白いなー、と思った。
なぜなら私は投稿こそしていないが、ここ数ヶ月の葛藤をnoteにしたため、その中に「わたしはそういう星の下に生まれてしまったのだなあ」と書いていたからである。
正しさを貫こうとする時、人は壁にぶつかる。
ただその壁を見ぬふりをしたり、避けようとすることが、わたしたちにはできないのだ。

どうせできっこないと分かっていても、立ち向かわずにはいられないのだ。
自分の中の正しさを貫けないなら、なんにもやらない=死んでいるのと同じことなのだ。

極端すぎる考えは父親譲りだと思っていたけれど、当の父親もちょっと星のせいにして諦めてたのが面白い。
それ(正しさを譲らないところ)が彼とわたしの長所であり、最大の短所だから、きっと似たような苦労をしていると思う。

父親への嫌悪感が同族嫌悪だと認識はしていたけれど、私はここ数年で自分のことも父親のことも赦せるようになってきたから、父も自分自身のことをやっと赦せるようになったのかな、と少し嬉しく思った。
(赦す、というのは、自分の生き方に追い詰められたり、自分を責めることではなく、ありのままの自分を笑って認められることだと思っている)

わたしは、わたしだけが得をして生きていられればいいとは思わない。

わたしの生き方を素晴らしいと言ってくれる友人が沢山いて幸せだなと思うけれど、社会に向いているかというと全然向いてない。だから困っている。

帰省して、父の生き方を久しぶりに目の当たりにした時、やはりこのカルマからわたしは逃れられないのだろうなと思った。
それはやっぱりかー、残念だー、という気持ちも多少はあるのだけれど、どことなく嬉しくも思えたのだ。
わたしはこの生きにくい生き方で多分生きていく。
彼ほどまっすぐではないから多少は違うけれども、それでもそういう星の下で生きていく。

間違ったことはしたくない。
間違ったことというのは、人道的・道徳的な話だ。
人となるべくうまく付き合いたい。
けれど他人から搾取して生きているような人は絶対に許さない。
自分さえ良ければ幸せとは思わない。
社会全体の利益は何か、考えて生きていく。

そんな気持ちで働いてる人に、出会えたらいいなあ。
まだそういう職場に出会ったことないなあ。

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