忘れがたき故郷
年末年始、何年かぶりに故郷に帰った。
雑踏の中、人混みを掻き分け、荷物を背負い直し
東京駅の東北新幹線ホームに立ったら、乗る予定の一本前の新幹線がホームに入ってきた。
窓から身を乗り出し、声を上げている車掌さんが目に入った途端、訳も分からず結構な量の涙がぽろぽろと溢れたので、慌てて上を見た。
やばい、これじゃまるで夢破れて田舎に帰る女みたい!と涙腺をギュッと引き締めて新幹線を待つ。
自分でもなんの涙かよく分からないので色々と思案して暇つぶししていた。
悲しい涙ではないんだよな。
そうだ、魂が喜びにうち震えているのでは?
正直、帰省が大〜好き♡暇さえあれば田舎に帰りたい♡なんて微塵も思っていない。
むしろ寒いし、遠いし、不便だし、虫は出るし、べつに楽しいことがあるわけでもないし、親も祖父母も大切に思っているけれどやっぱりめんどうな気持ちになる事もあるし、「こども」「まご」をやるのも疲れる。あと単純にもう住んでない家の家具や日用品は手に馴染まない。置いていった服は大概次帰ってくるまでにかび臭くなっているし、わたしより身長が低い母に借りたピンクのパジャマはつんつるてんなのだ。
それでも重い腰を上げて故郷に帰る時、行きまたは帰りの新幹線でわたしは毎回絶対に啜り泣いてしまうのであった。
わたしの魂は、きっとあそこに置いてきたままなんだろうな、と思う。
故郷を出て初めて、シリア難民の友人たちの気持ちが理解できたかもしれない。初めてそう思った。
故郷は、母であり、魂の還る場所なんだと思う。
だから「帰れて嬉しい」と涙し、「離れるのが悲しい」と思うんだろうな。
あんなに不便で、何もなくて、ご近所づきあいがめんどうで、親戚づきあいもめんどうで、めんどうな、(以下略)
文句を挙げればキリがないのに、泣きながら結局そこに帰るのは、もう親そのものであるな。
じゃあ田舎に戻ればいいじゃないかと思うかもしれないが、そういう問題でもないのである。
ていうか普通にそれはそれでしんどい。現実問題、色々と無理がある。
そもそも。わたしはわたしの人生を探しに出てきたのだから。
あてもなくふらふらしているわけではないし、田舎が嫌いだから出てきたわけじゃないのだ。当時から故郷が好きだった。都会に行きたいとのさばる同級生は、アホだと思っていた。自分も色々なことを鑑みて都会に行くけれども、ここが嫌で出ていくわけじゃない。そういう奴らに限って、現役時代散々地元の悪口言ってたくせに、地元最高〜!!!ってインスタに書くんだよな。やっと気づいてくれたようで、何よりです。
もうそれは言葉に言い表す事のできぬ、様々な遺恨があそこにはあるのだ。
あそこはわたしの業のはじまりなのだから。
喜びも悲しみも、全部あったのだから。
わたしはわたしの人生を、探しにきたのだ
(しつこい)
だから帰るわけにはいかないのだ。
音楽の授業で歌った、ふるさとの歌詞を思い出す。
きっと田舎を出てきた人の気持ちはみんなおんなじ気持ちだと思う。
東京で定期的に会う、地元の同級生が言っていた。
「帰ってどうする?と思うし、そもそもこのままじゃ帰れない」
彼女は別の日に会ったときこう言った。
「藤勇の醤油を買いに帰る。」
わたしは答えた
「うちにいっぱい在庫あるよォ〜🎶」
「帰るための言い訳だよ。」
そうか、我ながら野暮なことを言ったな、と思った。
そんな彼女が自分のように思え、共に闘う仲間として抱きしめてあげたいような気持ちになったのであった。
父へ
たまに醤油を買いに帰ります。
母へ
また、つんつるてんのパジャマを貸してください。
娘より