特別な夏に成し遂げた9年ぶりの東東京大会優勝(帝京高校OB 朝倉仁哉インタビュー)
最初は気が進まなかった帝京高校への進学
――野球を始めたきっかけについて教えてください
小さい頃に父が野球をやっていて、その草野球チームの試合をよく観に行っていました。その影響もあって近くの小学校の野球チームに体験に行き、楽しかったので野球を始めました。
――ここからは高校に入学してからのお話に移っていきたいと思います。甲子園を目指していたときの思いや練習への姿勢について教えてください
帝京高校は伝統校と聞いていたので、正直なところ自分は本当に行きたくありませんでした。入学してからは環境にも恵まれていて、1年生の頃から代打でしたが試合に出させてもらい、当時の3年生にもよくしてもらいました。その時の経験や先輩方への敬意などが今の人生にも活きていると思います。
――最初は進学になかなか気が進まなかったとのことですが、なぜ帝京高校へ行くことに決めたのですか?
父から「お前は揉まれる環境で野球をやるのが似合っている」と言われたのが一つです。また自分から野球を率先してやるタイプではなかったので、努力が劣る分、野球に注ぐ時間を増やそうということで進学先を決めました。
「甲子園に一番近い代」と期待されていた中での中止
――甲子園中止の第一報を知った時はどういった感情でしたか?
自分たちの学校の同年代のグループでは「なくなっちゃったけど、どうするか?」ということを話していました。その中で「野球やっていても意味ないよな」という声も出ました。
伝統校であり、3年間で一度は甲子園に行きたいという思いもありました。自分たちの代は1年生の時から出ていた人間が多く、「一番甲子園に近い代」と監督からも期待されていたので、とても悔しかったです。
――当時、監督からかけられた印象的な言葉などはありましたか?
個人的に電話番号を全員に回していただいて、監督さんからお電話をいただきました。その中で元気にやっているかという確認や、「なくなっちゃったけど、残り少ない日数頑張って野球をやってくれ」と言われて、選手の方から奮起しましたね。
9年ぶりとなる東東京大会優勝
――そんな中で代替大会の開催が発表されましたが、発表を聞いたときはどんな心境でしたか?
自分たちは秋が準優勝で、春の選抜に選ばれませんでした。そんな中選抜出場校による甲子園交流試合が発表され、そこで監督さんが「お前たちは出られなかったし、国士舘はあの舞台で試合をしているんだから、お前らはせめてこの独自大会で優勝しろ」という言葉をいただきました。それで、「そんなことを言われたらやるしかないだろ」という思いでやりました。
――その代替大会直前はどのような気持ちで過ごしていましたか?
最初は3年生全員で野球をやるという形だったのですが、先程もお話しした通り国士舘高校が甲子園での試合が決まったということで、ちゃんとしたメンバーで3年生だけでなく1,2年生もベンチ入りして勝ちに行くという方針に変わりました。
悔しい気持ちもありましたが、裏方でもやれることをやろうと全員が割り切って大会に臨みました。
――東東京大会の決勝では関東一高相手に延長11回にサヨナラ勝利という結末でしたが、決勝戦を振り返ってどのように感じましたか?
やはりもう「ここまで来たら優勝してくれ」というように思っていました。監督さんも今は退任されてしまいましたが、東東京で優勝すれば9年ぶりということで、指導者の方にも自分たちの方にも色々な思いがあったと思います。
また甲子園には出られなかったとしても、自分たちの肩書としては残るので絶対に優勝してくれと思っていました。
――東西決勝戦では東海大菅生相手に惜しくも逆転負けでしたが、当時のチームの雰囲気などについて教えてください
8回まで相手を1安打に抑えていて、エースの田代が最後の大会にふさわしい過去一番の投球をしていたので、もう「勝つなら今日だ!」というぐらいの雰囲気で野球をやっていました。
最後ああいったサヨナラ負けという形で終わってしまい、その後のミーティングでは監督さんに「お前らは2時間頑張ったけど、お前らは5分でやられた」と言われました。そんなこと言われたら何も言えなかったです。
悔しくもあり、いい思い出になったなと思います。
帝京高校の名を背負ってのプロジェクト
――この「あの夏を取り戻せ」というプロジェクトについて聞いたときはどう思いましたか?
キャプテンからこのプロジェクトについて話があり、「そんなのがあるなら、やるしかないでしょ」という感じで気持ちは本当に高揚していましたね。「甲子園で野球ができる!」っていう感動と嬉しさと、またみんなで野球ができるっていうワクワク感があって本当に嬉しかったです。
――このプロジェクトについてチーム内で何か話はありましたか?
チーム内には現役で野球をやっている人もおり、時期や費用についてお話がなかった頃で、当時はまだどうなるか分かりませんでした。ただ「出られるやつは出る、出られないやつは出ない」という形で出るなら頑張ってくれという話がありました。
また出場するにあたって現監督にもアポを取りました。「出るからには帝京高校の看板を背負っているからしっかりやってくれ」というお言葉をいただき、チームでやろうということで参加を申し込みました。
――このプロジェクトでの目標について教えてください
一番は皆で野球ができるので楽しくプレーするというのが前提ですが、やるからには母校を背負っているので勝たなくてはいけないという思いが一番強いです。
――最後に応援してくださってる方々へ意気込みをお願いします
ぜひ皆様の力で9年ぶりの帝京高校が甲子園でプレーする姿を、あのユニフォームを、甲子園でお見せできるようによろしくお願いします。
このプロジェクトやり切るぞ!