仰天のドラマ化
東京からの変な電話
2005年の、そろそろ暑くなってくる頃だったと思うが、取材を終えて本社に戻ってくると、自分の机の上に、電話があったことを記したメモがあった。
「×××会社の●●さんという人から、電話をくださいとのことです。03-****-△△△△」
まったく記憶にない会社名と人名で、社名からも業種はまったく想像がつかなかった。電話がほしいとはどんな用件なんだろう。しかもここは大阪。東京からの面識のない相手からの電話なんて、めったにないことだ。何か変だと思ったが、とりあえずかけてみることにした。
メモの電話番号にかけると、若い声の男性が出た。
「新聞でKさんの記事を見ましてー」
Kさん。取材したJR福知山線脱線事故の中でも、特に記憶に残っている人だった。夫と妻はともに2回目の結婚をしたばかり。それぞれの子どもたちと一つの家族になっていく苦労と奮闘のさなか、夫を事故で奪われてしまった。そのエピソードはあまりに哀しく、社内でも、当時ほぼ唯一のネット発信手段だったブログなどでも、自分の記事が話題になっていた。
ただ、その記事は大阪でしか掲載されていない。当時は今ほどネットに新聞の記事が載らず、特に大阪発の記事なんてほとんど無視されていた時代だったから、きっと有料のデータベースで見て、署名を見て見ず知らずの私に電話を突っ込んできたのだろう。だとするとテレビの制作会社か、雑誌の編プロか。
話を聞いていると、どうやら自分たちもKさんに取材したいらしいということが飲み込めてきた。ただ、何の媒体でどういう企画で、ということをまったく説明しない。電話の用件は何なのかも、さっぱり要領を得なかった。
「いや、私たちも、住所とか連絡先とか、すべて分かってるんですよ。それで、Kさん、どうなんですかねー」
どうなんですかねー、と聞かれても、答えようがない。こういう相手にはうかつなことはしゃべれないと、はあ、はあ、と生返事を繰り返していると、相手はだんだんイライラしてきた。
「何なんですか。あなたは本当に取材したんですか」
取材しなければ社会面のトップの長行記事なんて書けないということも、この相手は分からないらしい。何をしゃべっても無駄なので、はあ、はあ、とそのまま生返事を繰り返していると、相手はあきらめて途中で電話を切った。
ふざけたやつだなあ、と腹立たしく思いながら、しばらくそのことは忘れていた。
まさかのドラマ化
年が明けた2006年ごろだったと思う。脱線事故1年を前に、事故遺族をドラマ化した特番がフジテレビで放送されるという話が、遺族や負傷者を回っている中で聞こえてきた。耳を疑った。
確かに、愛する人たちとの普通の暮らしが、ある日突然暗転してしまった今回の事故は、どの家族にも波乱に満ちたストーリーがあった。まるで映画か小説のような物語性のあるものもあった。メディアはそうしたストーリーを被害者から聞き出して再構成し、連日紹介していた。その趣旨や目的への迷いについてはこちらを読んでもらうとして、「お涙ちょうだい」という批判は一定程度甘受せざるを得ない。
しかし、事故からかなりの時間が過ぎ、記憶が揺らいでいく時期ならともかく、1年も経たず当時の記憶が生々しい中で「俳優に演じさせて本当にドラマにする」という発想は仰天だった。
夏前にかかってきた変な電話は、この企画のリサーチだったのかな、と、記憶がつながった。
事故が起きてから、事故現場や遺族の悲しみの一部始終は、新聞の写真やテレビ局の映像として記録され、頻繁に見る機会があった。ただ、民放の全国網は地域ごとの別会社がネットワークを通じてつながる緩い構造だ。そこに報道やワイドショー、ドラマなど部局ごとの壁が厚く高く立ちはだかる。関西のニュース映像を関東のドラマに使うのは簡単ではない。系列の準キー局側はドラマ化の提案に激怒し、一切のニュース素材提供を拒否したという。カンテレGJ。
浄化された記憶
放送当日。自分の担当とも関わることなので、おそるおそる見た。
有名ワイドショー司会者の総合司会で、3つの遺族のストーリーをオムニバスでつなぐ構成。取り上げられた遺族を見て、ああ、なるほどなあ、と思った。
神様のような方々。事故発生直後から、メディア側のどんなむちゃな依頼も断らず、誠実に応じてくださる方々。自分が受けた地獄の苦しみにもかかわらず「記者さんも大変ね」と逆にこちらを気遣ってくれる天使のような方々が、世の中には存在する。自分の担当する遺族ではなかったが、紙面や放送を見ていると、そういう方々はおおよそ判別が着く。
「ご家族の話をドラマ化したいんです」なんていう依頼、私はとても怖くてできないが、ここで登場した方々なら、きっと引き受けてくれただろう。言い方を変えれば、そういう人たちにつけ込んで制作したのだなあ。おそらくいろんな遺族に断られ、最終的に神様のようなお三方に落ち着いたのだろう。自分は関係ないのに、なんだか申し訳ない気持ちにすらなってきた。
ドラマは、自分が見聞きしてきた修羅場とは別世界の、浄化された物語だった。遺体や負傷者が夜を徹して運び出される事故現場も、連絡の取れない肉親を求める人たちが集まる遺体安置所も、連日どこかで葬儀があるニュータウンの街も、文字どおり阿鼻叫喚だったのだが、ドラマではどの場面も、余計なものは何一つなく、美しく整っていた。
「あんなきれいじゃなかったですよ」。マンションに激突した車両から奇跡的に生還した負傷者の一人は後日、ドラマの感想をポツリとつぶやいた。その負傷者は後日、自分が生還した事故現場の様子を、自ら絵にした。地獄絵図とは、まさにことのことだというのが、私の見た感想だった。
ゴールデンタイムの全国放送だったが、視聴率はかろうじて2ケタといったところだった。「こけたってことか!」「よかった!」。取材を通じて仲良くなった生還者たちと、メッセージ(mixiのメッセージ機能)で安堵の気持ちを分かち合った。