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立ち退きと引っ越しは人を強くすると思った話


はじめに

2024年、夏。

私は32年の生涯で一生忘れることの出来ないような、内容の濃い夏を過ごしたという確信を得て、この記事を書いている。


「イベントが沢山あって充実していた」

恐らく、それが一番大きい。


「久々に遠方の祖父母と会えた」

これも間違いないトピックだろう。


でも、そんな諸々の忙しさに拍車をかけた事件こそが、私にとって一番忘れられない今夏の出来事だったと実感している。


「実は、今住まわれているアパートを取り壊すことになりまして…」


これから書く内容は、私の身に訪れた出来事の健忘録である。


「家、取り壊すことになりまして…」

あれは、2024年7月下旬のことだった。

仕事を終えて帰宅すると、ドアのポストに紙一枚が三つ折りの状態で乱雑に突っ込まれていた。
封筒に入れられていたでもない、剥き出しの紙がそのままの状態…。


「何かのチラシだろう」と思い紙を開けてみると、そこには「現住居の管理をしていた大家(個人)が諸事情で交代となり、新しく大家になりました」という不動産会社からの報告と、「この紙を見たら、記載されている連絡先まで電話してほしい」との内容が記されていた。

重要な出来事を告げている紙なのに、封筒に入っていないので、私は一瞬何者かによる怪文書を疑ったが、旧大家と新大家の印鑑が実印で捺されている。どうやら、カラーコピーとかではなさそうだ。


とはいえ、住居を契約した不動産会社を飛ばして、直接このような連絡なんて来るものなのだろうか?

年齢の割に社会的知識と経験の薄い私は、何となく「こんな文章来たんだけど、新大家といきなり話し合わずに管理会社通した方が良いのかな…?」とXとは別のSNSに独り言として投稿したところ、見ず知らずのアカウントから「管理会社に聞いた方が良い」とか「不動産会社から直に連絡が来るよ」などというアドバイスが届いた。

その中には、面識も一切無いアカウントによる、このような返信も来た。

不動産会社は関係ないです。以前は、貸主が入れ替わったら、店子は追い出されても文句を言えませんでしたが、今は借主に有利になるように法律は変わりました。そわそわしていないで、この機会に少し勉強されてはいかがでしょうか。

貴方みたいな嫌味は言っちゃいけないと勉強になったぜ。
本名でSNSのアカウントをやってらっしゃったけど、止めた方が良いよ…?


その中で、唯一相互フォローだった方に言われた「怪文書の可能性もあるので、一度管理会社に確認した方がいいかもしれないです…」という内容を元に、契約して管理も兼ねてる不動産会社に後日連絡してみると、こんな反応が返ってきた。

「先日、大家さんが代わってますね…。代わったことで、もうウチも物件の管理から離れてまして…。直接新しい大家さんとやり取りしてもらっても良いですか…?」


大体、こんな内容だった。
「もう、ウチには関係ない」と言わんばかりの、驚くほどあっさりした対応に、私は思わず面食らってしまった。


数日後、私は紙に書かれていた新しい大家を務める不動産会社の連絡先に電話を入れた。

正直な話、私の住んでいたアパートは中野区だと相当安い家賃で、会話の流れで人に家賃を伝える度に「事故物件じゃない?」と言われるくらいには安かった。
故に、「そろそろ家賃が上がるタイミングなんだろうなあ…」という覚悟を決めて新しい大家に電話をしたのだが、そこで告げられたのは予想外の内容だった。


「実は、今住まれてるアパートを取り壊すことになりまして…。家賃を上げることも検討したのですが、築年数も随分経っていて、ネズミも現れるという話なので、取り壊した方が良いということになりまして…。」


非常に申し訳なさそうな口調で話す担当者の言葉に、私は電話越しで頭が真っ白になった。

とはいえ、相手方の言うことは充分に理解も出来た。
今のアパートは築年数で既に50年以上が経過しており、私も5年~10年先まで今の部屋に住めるとも思っていなかった。
だから、「来るべき時が遂に来てしまったか」という実感だ。至って冷静と平静…。

ただ、取り壊しに伴う立ち退きという事実をそのまま私が受け入れるには、どうしても時間と金が必要になる。
新しい部屋探しには時間を要するし、引っ越しにも金がかかることも充分予想がついたからだ。

その辺りの話を電話で質問すると、詳細を後日説明したいとのことで、新しい管理会社の担当者と会うことになった。
日時は2024.8.1の夜。立ち退きの時期に関しても、電話で秋頃との説明を受けた。


取り壊しの事実を告げられた日は、無性に不安が私を襲ってきた。
それは、週の始まりにあたる月曜日だったことも無関係ではなかったのだろうけれど。

果たして、新しい住まいは見つけられるのか?

この先、どうなるのか?


そんな不安を吐き出したくなった時、偶然にも、普段月曜日には営業していない行きつけのバーが開店していることを知り、気付けば私は新宿二丁目へと駆け込んでいた。


「えっ?大丈夫ですか…?」

マスターから言われた一言に、私はホッとした。
大抵の悩みや不安も、人に話すだけで前向きな気持ちに傾くのだと改めて気付かされた。


私がよく訪れる近所のライブハウスの人にも、立ち退きで近々引っ越すことを話していた。
徒歩10分圏内の場所で、仕事終わりに着替えとシャワーを済ませてからでもライブに間に合う今の立地を、転居後も確保できるとは限らない。
極端な話、条件次第では中野区から離れる可能性だって考えられたし、そうなれば、以前よりライブハウスに通う頻度は減ってしまう。
(その辺の条件については、後述…)


すると、店員さんから、こんな言葉が返ってきた。

「新中野方面だと安い物件があるかもしれないです!」

「俺の知っている不動産屋があるから、もしアレだったら紹介するよ!」


通り魔のように「この機会に少し勉強されてはいかがでしょうか?」なんて言ってくるSNSアカウントより、身近に付き合いのある方から発せられる情報やアドバイスの方が、私にとっては遥かに大事なのだと身に染みた。


引っ越しまでのリミットは、約1ヶ月半

2024.8.1、東京都中野区。

私の仕事終わりというタイミングで、現管理会社の担当者から打ち合わせで指定された場所は、中野駅前の喫茶店だった。


先に指定された店へ入った私は、2人掛けのテーブル席で待っていると、程なくして担当者がやってきた。

担当者は30代後半~40代前半の男性で、スラッとした体型とスーツの着こなしは、デキる男の風格を纏っていた。
なるほど、【人は見た目が9割】と言うが、服装から先手を打つこともあるのだな…。

そして、人間は何か打ち合わせをしたくて、かつ腹がそれほど空いていない時には、やたらとコ○ダかルノ○ールを打ち合わせ場所に指定したがるのだということも知った。
オフィスを除いて、そういう秘め事や会合を行える場所が気軽に無いからだろうな、多分…。


担当者と交わした約30分の打ち合わせで出てきた内容は、纏めると概ねこんな感じだった。

・10月には解体工事に進みたい都合上、2024.9.20までに退去を完了させてほしい。

・この打ち合わせの時点で、既に私を除くアパートの住民は退去に同意している。

・立ち退きに伴う補償金はしっかり支払う。契約を交わした補償金から、新居関連の契約費用+引っ越し費用を出す形になる。

・ウチで利用している引っ越し業者もあるので、そこを使ってもOK。

・引っ越しに伴い発生したゴミに関しては、室内に置いたままでOK。ゴミの処分費用は管理会社が持つので、補償金から差し引くことはない。

・ウチの会社でも新しい物件探しは可能。取り敢えず、お盆休み明けに家を探し始めて、8月末まで探して候補がなさそうなら連絡してもらえれば、ウチでも探してみる。


私は他の人に相談する時間が欲しくて、「週明けの月曜日(2024.8.5)まで待ってもらえないか?」と打診したものの、「立ち退きの諸々を早めに進めたい」ということで、最終的にその場で契約書を交わすことになった。
その代わりに、補償金は当初の提示より増額して貰えた。

これは何も、交渉条件の手札として出したわけではない。
私自身の知識が乏しい故に、契約書にサインする前に「この条件は妥当なのか」人に相談する時間が本当に欲しかっただけなのだ…(苦笑)。

立ち退きに関しては決まったことなので、そこをゴネる理由はない。私が気になっているのは、引っ越し等に関する費用面だけだ。


この打ち合わせの前に、私は「立ち退きの場合、補償金は幾ら貰えるのか」という疑問点を、インターネットや他の方から紹介して貰ったブログを元に相場を調べたのだけれども、大体は【家賃半年分+次の家の管理費等】という内容だった。
この一般的な相場と照らし合わせてみた時に、今回の立ち退きで貰える補償金は、私の想定していたものより遥かに手厚いものだった。
引っ越しを終えた今でも、かなりの好条件だったと思っている。


退去のリミットが決まったことで、幾ら泣きわめこうとも、私は引っ越しの準備をせざるを得ないのだという決心がついた。

ただ、新しい部屋を見つけて引っ越すまでの猶予は約1ヶ月半…。
早め早めで準備をしていかないと、あっという間に引っ越しは訪れてしまう。

その為にも、早めに動かなければならぬ…。


ギリギリの内見と、運命の出会い

しかし、私が本格的に部屋探しを始めたのは、立ち退きまで約1ヶ月を切った8月末の事であった。


その間の私と言えば…。


中野駅前大盆踊り大会を楽しんだり、


プロレスリング・ノアの『N-1 VICTORY』4連戦を観戦したり、


お盆休みに父方の祖父母がいる熊本県まで帰省したり、


お盆休み明けにもプロレス観戦や資格試験が待ち受けていたり、


とてもじゃないけれど、引っ越しを直前に控えた人間が過ごすようなプライベートではなかった(笑)。


とはいえ、このまま遊んでばかりもいられない。

新しい部屋探しに着手してない焦りから、物件をサイトで検索するようになったのはお盆休み明けのこと。

私は幾つか条件を絞った上で部屋を探すことにした。


  • ①部屋の家具が入る

幼少期の頃から自宅にあったタンスや家具などを、一人暮らしを始めるにあたって譲り受けていたのだが、かれこれ30年以上過ごしてきた家具なので、引っ越し先にも捨てずに持っていきたかった。
故に、部屋にはそれなりの広さを確保する必要があったので、そこは個人的にも優先事項だった。

  • ②新しい部屋の家賃上限は、退去前の月額+1万円

今回立ち退きを言い渡された部屋は、壁の薄さや築年数の経過はあったものの、部屋の広さが確保できる上に家賃も安いという好条件の部屋で、故に他の方から家賃を聞かれて答えると、ほぼ100%の確率で「安くない?」、「事故物件じゃないの?」と返されるのが常だった。

だから、次に引っ越すとなった時に、家賃が上がるのは覚悟していたが、広さと勘案した時の家賃には限界もあるので、新住居の家賃は現住居の+1万円の範囲内に設定した。

  • ③引っ越し先は中野区内

元々、私が中野区で一人暮らしをすると決めたのは、「行きつけの新宿のバーでも終電ギリギリまでいられる」とか、そんな理由だった。

この引っ越しを機に他の場所へと移るのもアリだったのだろうけれど、突然の引っ越しで予定も詰まっている故にバタバタした状態だったことや、中野で自宅から徒歩圏内のライブハウスに通うようになって愛着も沸いていたので、中野駅ないし東中野駅or落合駅周辺のエリアで部屋を探すことにした。



まず私は、SUUMOやHOME'Sなどの物件登録サイトで上記3条件に当てはまりそうな物件を検索し、その物件を扱う不動産会社と連絡を取って、8.24(土)と8.25(日)の2日間で内見することになった。

しかし、内見直前になって、25日の予定は相手都合で白紙に変わってしまった。
高円寺駅前で大々的に祭りが開催される影響で、物件に行くまでの車が出せないからだという。

元々、不動産会社の人から「内見出来ても、祭りの影響で車が出せるのは午前中になってしまう」と告げられていたのだけれども、まさか、このような支障が出るとは想定していなかった…。


不安な船出に思われたが、結果的に内見は8.24だけで済んだ。
幸いにも、一日のうちに上述した3つの条件を満たす物件に巡り遭えたからだ。

内見当日の私は酷くバタバタしていた。

この日は、14:00~22:00にかけて近所にあるライブハウス・中野MOONSTEPでプロレスとライブを観る予定が入っており、午前中のうちに内見を終わらせる必要があったからだ。
自分が決めたこととはいえ、日中の気温が35度前後に達する環境は流石に堪えた(苦笑)。

予約していた朝10:00に不動産会社を訪れると、私の拘っている条件を担当者に伝え、その日の午前中に回る物件を幾つか選定していただいた。

「この部屋の広さなら家具も入ると思いますね。引っ越しの時期が先なら、ゆっくり物件は決められるんですけど、引っ越しのリミットが決まっている場合、良いところが見つかったらそこに決めちゃった方が良いです。」


そんなアドバイスと共に、私はある部屋を紹介された。
何となくだが、話を聞いていても上記の条件と合致するし、意外と悪くはなさそうだ。

実際に内見へ訪れると、「今の自宅にある家具が問題なく入るかどうか」という点を除き、特段不安に感じる物件ではないと確信した。
不動産会社から貰った間取り図に、メジャーで測った部屋の広さをペンで書き込んでいく。

自宅の家具の大きさは内見の時点で測っていなかった為、この日は仮契約で物件だけ押さえて、後日計測する家具の大きさと問題がなければ本契約する方向にした。


内見を終え、私は気疲れした状態で午後からはライブハウスに向かった。


「俺、もしかしたら部屋が見つかりそうです。」


ライブハウスの店長と喫煙所で話していた時に、新しい物件の場所を店長に伝えたところ、こんな言葉が返ってきた。

「もしかしたら、俺の知ってるアパートかもしれない。」


私はバッグから、すぐさま物件名の入った見取り図を取り出して、店長に見せた。

「ここ、ウチの元店員が昔住んでたアパートだよ…!」


店長の言葉を耳にした時、私はこのアパートに住むことになるかもしれないと思った。
何となくだけど、こういう時の自分の直感は、不思議と当たる方向に傾いていく。
まるでそれは、恋にも似たような急展開で…。

内見当日のプロレス観戦の模様。


その後、近所のドン・キホーテで買ったメジャーで自宅の家具の大きさを計り、内見でメモしていた部屋や入口の大きさと照らし合わせたところ、家具は無事に入りそうだと判明した。

それは、私が部屋探しというミッションに勝利した瞬間でもある。


打ち合わせ、荷造り、趣味、疲労、ミッション完了

不動産会社に内見した部屋で契約する旨を告げ、管理会社による審査を経た上で、9月頭に晴れて引っ越し先が決まった。

その後、新住居の管理会社や現住居の管理会社、現住居の管理会社経由で手配した引っ越し業者との打ち合わせなどを、仕事が終わった後に電話やオンラインを通じて進めていった。
多分、こんなに電話でやり取りしたのは久々で、数年前に転職活動をしていた時期でも経験していないと思う(笑)。


ドタバタしながらも、今やれることは徐々に動かしていくようにした。

引っ越しまで1ヶ月を切ったタイミングで、着ることは無いであろう衣服を段ボール箱に詰めていき、中野区に越してから一度も着用していない服は処分した。
実家から持ってきたけれど、一度も使用しなかった折り畳み式のベッド、本棚、書類も纏めて捨てることにした。


普段は断捨離なんて苦手な私なのに、「処分するゴミがあれば、そのまま置いていって良い」と管理会社に言われたり、引っ越しを迫られたりすると、断捨離が捗るのは何とも皮肉な話ではないか。

退去するにあたって部屋の復元をする必要が無いのは有り難かったが、普段から片付けていないと、こういう時に苦労することも身に染みて実感した。
普段から掃除しておかねばね…(反省)。

ただ、本や雑誌は捨てたり売ったりせず、思い出も極力残した。

暫く着ていなかったシャツ。捨てずに保管。


同じタイミングで、食材の買い出しも控えるようにした。
冷蔵庫の中に余っている食材を片付けて、徐々に中身を減らしていくためだ。

丁度その頃、マスコミによって世間的な米不足が取り沙汰されるようになり、スーパーなどで米が買えない状況が起きていた。
自炊もしている私にとっては、米が無いことは死活問題だ。しかし、引っ越しに向けて家から食材を減らしている最中だったこともあり、幸いにも我が家への甚大な影響は回避することに成功した。


引っ越しの日付も、2024.9.19に決まった。
9.20の立ち退きまでに余裕を持たせたかった私の意向と、「隣人が引っ越すタイミングと合わせたい」という業者側の意向が合致した結果である。

正直言うと、趣味と引っ越しに忙殺されたことで、私には9月に入ってから引っ越しを終えるまでの記憶があまり無かった。
写真を見て「ああ、こういうのあったな」と振り返るのがやっとの状態。良くそんな状態で遊んでたな、私…。


9月半ばの三連休中日からは、ようやく自然と荷造りモードにスイッチが入ったけれど、「本当に引っ越しまでに荷造り出来るのかな…」という不安は引っ越し当日まで拭えなかった。

それでも、何とか引っ越しは終わった。
だから、こうしてnoteに振り返りを書くことが出来ている。

転居先で撮った写真


引っ越し当日、業者が荷物を纏めて新居へと運んでいく時間はそれほどかからなかった。
前の部屋から徒歩20分程の距離しかないせいか、思っていたよりもアッサリと引っ越しは終わってしまった。

引っ越し業者が荷物を運び終え、当日中に予約していた業者とのガス開栓立ち会いまで時間が空いたので、私は近所のファミリーレストランを訪れた。


朝食を食べる暇も無いまま直前まで荷造りをしていたこともあり、私の腹はグウグウと空腹を知らせている。
そして、オーダーしたハンバーグ定食とデザートの旨さは、いつも以上に私の舌と胃を刺激した。

「ああ、引っ越しが無事終わった後の気分はこんな感じなのか…」


ガス開栓後、私は郵便局と区役所に出向いて転居手続きも完了させた。普段から、こういう感じで手際良く行動できれば良いのにね、私…。


まとめ~立ち退き⇒引っ越しの個人的雑感~

住居取り壊しによる立ち退き

新居探し

引っ越し準備

この流れを約1ヶ月半の間に終えた事を人に話した時に、大体相手から返ってきたのは「えっ?期間短くないですか…?」という反応だった。
色々な方から話を聞く限り、どうやら立ち退きを告知されてから完全に退去するまで、約2ヶ月半~3ヶ月程度は猶予が貰えるらしい。

今回の場合、大家が交代してから即取り壊しが決まったので、そこから退去に至るまでのスピード感は尋常ではなかった。
こういうのも、立ち退きによる退去を経験しないと分からない事だったと私は思う。


とはいえ、今回の退去を私は恨めしく思ってはいない。
引っ越し費用と新居の費用を支払ってもボーナス並に残った補償金と、話のネタがガッチリ貰えたのだから、寧ろ感謝しかない。

前の住居のような低家賃の好条件を手離すことになったのは辛いけれど、いずれ引っ越しは避けられないと思っていたから、願ったり叶ったりだとも思った。

20時までに洗濯が終わるよう洗濯機を回しても、エアコンを付けても、私に向けたと思われる愚痴を毎日のように薄い壁越しに漏らし続けて、自身は知人と遠慮無く喋り倒すような隣人がいたので、私は一刻も早く離れたかったというのもある。
だからこそ、今回の立ち退きと引っ越しは、私にとって運命だったとしか言い様がないのである。

そんなドタバタ続きの立ち退きで実感したこと・遭遇したことを、最後に記事のまとめとして記していきたい。


①一番対応が良かったのは、立ち退きを言い渡した管理会社

立ち退きを言い渡した管理会社、新しい部屋を紹介した不動産会社と管理会社が関与していたけれど、一番誠意があったのは、立ち退きを言い渡してきた管理会社だったと私は思っている。

前述のように、立ち退きで貰える相場以上の金額は貰えたし、引っ越し業者の手配からケアまでガッチリ対応してもらえた。


新居の内見時に、部屋の照明と洗濯機蛇口コネクターが無いことを告知してこなかった不動産会社のドタバタだとか、引っ越し業者が養生してたのに畳が傷んでたりするハプニングもあったけれど、そういう点を私に教えてくれたのも、この引っ越し業者の方だった。
私は無知だからこそ、こういう指摘が非常に有り難かった。


②繋がりのある人が一番親身

今回の引っ越しで気付いたのは、何かしらで繋がりのある人が一番優しかったし、親身だったという点だ。

行きつけのバーのマスターとか、プロレス繋がりで知り合った方とかが心配してくださったことや、「不動産会社を紹介するよ!」と言ってくださったことは本当に有り難かった。

SNS上でしか知らなくても、一度もやり取りしたことのない人から貰うアドバイスで参考になった。
実際、引っ越し先に選んだ場所も「家賃が比較的安い」と教えてもらった新中野方面に落ち着いたし、新居は前述の通り、近所のライブハウスの元店員さんが住んでいたマンションと偶然にも同じ場所だ。

だから、通りすがりで面識もないのに「この機会に少し勉強されてはいかがでしょうか?」なんて言ってくるアカウント主みたいな人が、一番ヤバいんだなって…。
そういう人を相手にしない方が、好ましい結果が生まれるものだ。
(これは結構擦っていくSTYLE)


③立ち退きの話は持ちネタに変換出来る

「私、立ち退きで最近引っ越したんです」

飲みの場所でこんな話をすると、「えっ?何でそうなったんですか??」という反応に繋がりがちだ。
私はコミュ障なので、話の取っ掛かりとして立ち退きの話は自虐も込められるネタになった(笑)。


我ながら、持ちネタとしてオチが奇跡的だと感じた瞬間がある。

私とほぼ同じタイミングで、取り壊しを理由に引っ越したというプロレスファンの方がいた。
その方とは関東圏でも住んでるエリアが違ったものの、「お互いに引っ越しが終わったら、『何処の不動産会社から立ち退きを言い渡されたか』を答え合わせしませんか?」と打診されたので、引っ越しを終えて数日後、お互いにSNSのDM機能を通じて答え合わせをすることになった。


「立ち退きを告げてきた会社、僕のところは○○でした。」

私が先に会社名を告げると、相手からは思いも寄らぬ回答が届いた。


「私と一緒!!(笑)」


どうやら、会社名だけではなく、担当者まで同じだったと言うではないか。

世間とは、意外と狭い世界かもしれない。
ここから更に、相手方から衝撃的な話を明かされたのだけど、それは私の話ではないのでnoteでは割愛…。
(ただ、めちゃめちゃ面白かったです。)


立ち退きと引っ越しは、私に色々なことを与えてくれた。

このイベントを通じて、前よりも私を強くしてくれた気がする。根拠は薄いけれど(笑)。


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