数字視点の趣味は地獄だと思った話
はじめに
先日SNSを弄っていたら、突然このような引用コメントが飛んできた。
私自身、このコメント主と面識もやり取りも一切ないし、「ただのクソリプみたいなものだ」と一蹴してしまえば何とか解決する話だろう。
でも、前々から私自身抱えていた何かが、このクソリプを以て弾けた。
その弾けた何かは、歪だとしても、自分なりに形に残してスッキリさせた方が良い。
だから、今私はこうしてnoteで記事を書いてみた。
怒りだとか、モヤモヤだとか、SNSでは文字数的に書けない事だとか…。
思考停止と傍観者気質を生む、「動員が少ない」という呪詛
私は、「観客が少ない」といった動員批判をすることが嫌いだ。
何故ならば「動員が少なかった」、「集客に苦戦している」という話は、言った時点で「ああ、そうだね」で完結してしまう言葉であり、肝心なコンテンツの内容そのものに触れぬまま、話を終わらせてしまうからである。
「数字は正しいんだ!」と主張する意見も見かけた事があるけれど、正直、それを考えるのはコンテンツに内部から関わる人の仕事であって、ファンのような外野の立場が負う責任は無いに等しい。
個人的には、観客が少なかろうが、行った人間が「楽しかった」と思えるかどうかだと思うから。
寧ろ、楽しかったと思っている人に向かって、数字で殴ってくるのは無粋で乱暴な話じゃないか、と。
そして、これは私の経験則なのだが、「動員が少ない」と声高に主張している人ほど、少ない動員を何とかするべく自分自身で動いてくれる訳でも無ければ、コンテンツの内容に触れる事も無い。
それでいて、団体が集客したら自らの手柄のように誇る。
自分の好きな団体にお客さんが入っていたら嬉しい気持ちは確かに分かるけれど、そもそも「自分が楽しむために観に行く」のであって、動員ありきで観に行くわけでは無いから、「正直順番逆じゃないですか?」って…。
誤解を恐れず言ってしまうと、「動員が少ない」というワードは、思考停止に陥る魔力の強い呪詛のようなものだと私は思っている。
観戦している私に対して、客席写真だけ見て「集客苦戦してるね」なんて言葉を平気で人に投げつけてる時点で、数字だけに囚われて楽しむ気持ちが無いんだろうなって。
貴方が「二階席は空席多いな」なんて引用で吐いてきた興行、俺はめちゃめちゃ楽しかったと思ってるよ。
結局のところ、自らが娯楽を主体的に楽しめていないから、そんな箇所にしか目が行かないのではないか。
スポーツ観戦とかライブ鑑賞とかした時に、試合やライブ、対象の一挙手一投足よりも、観客席の埋まり具合しか見てない・気にしてない娯楽なんて、凄くつまらないよ。
他ジャンルに触れて気付く、圧倒的現実と学び
「動員が少ない」だなんて、誰にでも言える。
極端な話、動員云々の話題は、そのコンテンツを見てなくても言えるし手が出しやすい題材ではあるけれど…。
でも、そもそもプロレスの外を見渡してみれば、数ある娯楽の中で如何にプロレスに来ている観客や、配信サービスやグッズ等を購入している方々の存在がどれだけ貴重な事か。
他のジャンルを見渡せば、一ファンの立場でも目に沁みて実感させられる。
一例だと、今女子プロレス団体でも最大手のスターダムが2022年7月に満員札止めにした立川ステージガーデンで、ASIAN KUNG-FU GENERATIONは3階席まで解放した状態で満員札止めにしている。
(どちらも生で見たけど楽しかった)
野球やサッカーは、平日夜開催でも普段のプロレス会場とは比べ物にならないくらい観客が足を運んでいる。
そうした他ジャンルの光景を見てしまうと、プロレスで動員の多寡を論じる事自体、私は恥ずかしくなってしまうのだ。
プロレスは、他の娯楽と常にパイを争いながら闘っている。
2020年春のコロナ禍以降、私は現在まで約600興行ほど現地観戦したけれど、後楽園ホールで常に満員になっているような団体は殆どない。
最大手の新日本プロレスでさえ、コロナ禍後の2021年春頃は後楽園ホールでも非常に苦戦を強いられていた。
コロナ禍直後は、小規模会場で中々チケットが抑えられなかった団体も複数あったけれど、今では同じ会場規模の大会でも【前売完売】というフレーズを聞かなくなってしまった。
一方で「集客に苦戦している大会=面白くない」という光景にも、私はコロナ禍以降の生観戦で殆ど出くわしていない。
どの団体も、全体通じて「酷い大会だった」と思う内容は片手で数えられるほどで、総じて「楽しかった」とか「面白かった」という感想や思い出しか出てこない。
これは強がりとかではなくて、私の率直な感想だ。
数字見て「つまんない」ってジャッジするより、中身見てジャッジした方が、楽しい事とか面白い事にも沢山出会えたよ、俺は。
見た人間にしか出来ない、感想の構築
動員は簡単に論じることが出来るけれど、生や映像などで触れたコンテンツの感想は、それを見た人にしか構築できない。
他の人を見ていて思うけれど、積極的にコンテンツを楽しんでいる人は、内容に対する感想が先に溢れ出てくる印象が強い。
「この団体が面白い」という口コミも、会場でファンが撮影した写真も、ファンが描いた選手アートも、「こういう大会があるんだ」と知れるキッカケにもなる。
先に上げたサッカーの写真なんかも、ヴァンフォーレ甲府や甲府サポーターがSNSで上げた「他チームのサポーターの方も力を貸してください」という投稿がキッカケだったけれど、実際行ってみて楽しかった結果、2023年は国立競技場開催のホームゲーム3試合に足を運んでいる。
2024年も既にそんな感じで、1月から相原プロレスを観戦したり、千葉で2AWを観たりしたのも、SNSのフォロワー様から誘われたのがキッカケだった。
そういうキッカケみたいなものは、自分の価値観に刺激をもたらしてくれる。
何よりも、人が楽しんでいる様子を観ていると、自然に興味や関心は引き出されていくという実感がある。
現に、そんな感じで行き先を選んだ興行も私の中では多かったりする。
「動員が少ない」という指摘で「ああ、少ないから何とかしなきゃ」と動いてくれる人はいるのかもしれないけれど、この指摘自体、誰かが興味を持ってくれるようなポジティブな内容でもない。
「無理矢理ポジティブになれ」とは言わないけれど、仮にファンが数字ばかり見て、その数字が増えていくのであれば、とっくに皆そうしてる事だろう。
だったら、会場に人を誘ってみたり、観に行った感想を羅列したりして、他の方から「あっ、この大会(団体、選手etc)は何か面白そうだな」と惹かれるようなアクションを積み重ねた方が、動員は増やせると私は考えている。
(そこに義務感とか強制とかは全く無いけれど、「来ていただけたら嬉しいな」くらいのスタンスで…)
まとめ
趣味の視点や軸を数字に置くのは、考えただけで地獄だと私は思う。
もう、それは最早"仕事"だと思うし、客の人数を数えて満足して終わりなんて趣味は悲しすぎる。
団体のマーケティング担当とか運営する役割を目指すのなら未だしも、そういう感じでもないだろうし…。
動員は団体にとって重要だと思うけれど、「動員をどうにかしたい」と思ったところで、ファンが出来ることと言えば、自ずと周囲への布教活動とかに限られてくると私は思う。
そもそも現代は、娯楽の多様化や配信サービスの充実、新型コロナウイルス禍などもあり、ライフスタイルは変わりつつあるのだ。
プロレス会場に足を運んでいた人達が、コロナ禍を機にプロレス会場から遠ざかる様子を見たのも1度や2度なんかではない。
でも、私もコロナ禍以降はプロレス観戦と天秤にかけて音楽ライブに行く機会も増えたし、悪い事だとは決して思わない。
だからこそ思うのは、「数えるよりも、先ず行動だな」って。
成否は考えず、飲食店とか会場とかで「こういう興行があるんですよ…!」と地道にプレゼンしていった結果、「楽しそう」、「貴方がそこまで言うなら」と私のオススメする場所に行っていただけた経験があるから、尚更そのように思うのだ。
そしてまた、私も誰かのプレゼンに心を動かされている…。
(寧ろ、そっちの方が圧倒的に多い)
数字は誰でも言えるから、自分にしか話せないようなオススメとか好きなことを聞かせておくれ…。
あるクソリプから、最近私が感じていた事を吐いてみました…。
※関連項目