名盤散策|影響を受けた楽曲への追想①
kentaro fujitaの記憶に残るアルバムや曲を巡る名盤散策のコーナー。このnoteで多く語ることになる、サザンオールスターズではなく、実は他のアーティストの影響も強く受けている。セールスとしての記録よりも、個人的な記憶重視で話したい。
裸足の女神/B'z(1993年6月)
今回の名盤散策は、好きなシングルを順番に並べてみようと思った。一応、「随想」では、1993-1994年あたりなので、8センチシングルに絞って話したい。
当時のシングルは800円から1000円くらいで手に入っていたが、毎週買うわけにはいかなかった。前作品は、「愛のままにわがままに 僕は君だけを傷つけない」(1993年3月)と大ヒットとなったシングルだが、当時はあまり好きではなかった。
前奏が長いだの、西遊記のラストで流れるのをリアルタイムで見てた世代だけど、アルバム『RUN』(1992年10月)のようなサウンドが欲しかったので、遠慮していた。
ちなみにアルバム『RUN』は、発売日に手に入れることができた人はほんのひと握りであった。当時、高校1年生の頃、部活のために音楽室にいくと、こぞってこのアルバムを手に入れたとか、そもそもレコード店には20枚しか来てないとかの話題となった。
そんな中、リリースされたのが「裸足の女神」である。今であれば、B'zはハードロックであると言えるが、まだ、当時はハードロックというジャンルではなく、あくまで邦楽のひとつであった。また、これまでのB'zの曲では、ギターが思うより前に居る感じはしていた。
ア・ブラ・カダ・ブラ/米米CLUB(1994年3月)
素直に、こういう曲が好きという一言に尽きる。
米米CLUBらしい、今では歌うまい歌手としてテレビに出ている、石井竜也氏の才能のなせる作り方である。
当時、「LIVE UFO」というイベントがゴールデンウイーク頃にあったと記憶している。無論、現地に行ったわけではないが、フジテレビのイメージがあり、前年がCHAGE & ASKAの「夢の番人」(1993年3月)がテーマソングであった。
テレビではじめて聴き、これは好みだと一気に惚れ込んだ。また、2006年には「アイコトバはア・ブラ・カダ・ブラ」というマッシュアップソングもあり、今でも詩の方向性の中にアレンジやマッシュアップという考え方が残っている。
まずは、オリジナルの表記により好きな部分を紹介したい。1993年の楽曲であるため、拙著の作品集『GROUND』では、X編が該当する。
innocent world/Mr.Children(1994年6月)
当時、「音の鳴り始めから終わりまで完璧な曲」と評価されている名曲中の名曲。
編曲は小林武史&Mr.Childrenと表記され、例えば、あのサザンオールスターズのシングル「涙のキッス」(1992年7月)での編曲クレジットは、小林武史&サザンオールスターズと、小林武史氏は、どこの名曲にでも出てくる存在である。
(これは私の地域だけかもしれないが)シングルリリース後、少ししてCM曲でオンエアが広がり、ミスチルの存在も合わせて知れ渡ると、シングルが手に入らない時期があった。
何ヶ月も入荷待ちとなり、私がこのシングルを手に入れたのは、夏も過ぎた9月頃だったと記憶している。夏休みに、ある組み立て工場でアルバイトしたことがあり、そのときも曲の全容はわからず、CMで流れた部分だけを何度も歌っていた。
どんなときも。/槇原敬之(1991年6月)
何か語れる曲がないかと何日かザッピングを繰り返す中で、この年代でという曲を見つけた。
親友M氏が、中学卒業前に「すごくいいんだよ」と紹介してくれたのが槇原敬之氏のこの曲。きっと、彼は高校から離れてしまう私のことを彼なりに考えてくれたのだろうと勝手に今でも想像している。
この後の人生で、(誰ともなく)カラオケで歌っているところを聴くと、いつも酔っぱらって複数の男子がと光景が浮かぶ。
改めてシングルバージョンを聴き直してみると、声が元気、演奏が明るいと思いながらも、アルバム『君は誰と幸せなあくびをしますか』(1991年9月)に収録された「どんなときも。」を聴くと、いつもの「どんなときも。」であった。wikiを見ても、別バージョンとは書いていないが、当時のカセットテープの音みたいに聴こえた。
また、1992年3月頃であったが、しっくりとこなかった。すぐにいい曲だと惚れ込んだわけでなく、何度も聴き、理解した記憶を思い出した。
このレビューを書いているときに、同アルバムの「僕の彼女はウェイトレス」(アルバム『君は誰と幸せなあくびをしますか』(1991年9月))という曲が好きだったことを思い出した。この文章を書いているときに、曲が進み、あれ?聴いたことがある、と。もしかしたら、この曲が、「どんなときも。」のイメージにすり替わってしまっていたのかと、年月が流れるのは怖いものだ。
当時の歌詞では、「一つ」や「2人」「傍(そば)」のような表現があった。「傍(そば)」は、表記の妙で使うことはあるが、時代に合ってないため、拙著『GROUND』のX編では、「2人」であった部分を「ふたり」と振りなおす表記とした。