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パタンナーになるまでの歩み

【手芸に興味を持ったきっかけ】

私は、母の影響で小学校低学年で、手縫いの巾着袋を作ったのが、初めて手芸に触れるきっかけでした。


それを見た友達から「わたしにも作って〜!」
と言われて作ってあげた時、とっても喜んで貰えた事を印象深く覚えています。


その嬉しかった思いから、ものを作る楽しみを知りました。


その後も色々な手芸に挑戦。

編み物
リリアン(ご存知ですか?)から始まり、
指網、かぎ針、棒網… 
学生時代のマフラーは自分で編んだものを何個もローテーションして登校。

その後も、

ミサンガ

ビーズアクセサリー

ビーズ以外のアクセサリー作りにもハマり、
よく浅草橋に買い出しに行っていましたが、二十歳を過ぎたあたりから金属アレルギー発症…

これらの資材は宝箱の様に眠り、それからアクセサリーを一切つけなくなりました。


思い出すと小さな頃から様々な手芸を楽んできましたが、既に将来の夢は決めていました。

小学校の卒業文集には、
将来の夢は「デザイナーになる」と書き、
(当時、服飾系=デザイナーしか知らなかった)
中学で「パタンナー」と言う服の型紙を作る職種を知り、そこからずっとパタンナーを目指していました。

高校時代には、洋裁教室に通い、切りびなどの基本的な洋裁の手法も経験していました。

【夢を叶える為親を説得した言葉】

その後、親からは、大学進学を勧められましたが、
私は服飾の専門学校に進むと気持ちは固まっていたので、暫く押し問答。


そこで、親を説得する為にこんな発言をしました。


「大学行っても、卒業したらもう一回服飾の専門学校に通うからね。」

この一言で、意志の強さを感じてくれたのか…
親は諦めた
と言っていました。


今自分が親になって、この言葉を改めて聞くと、確かに色々な面で厳しいです。


でも、そのお陰で遠回りする事なく専門的な知識や、実務経験を積んだ講師から実践的な技術も学べ、
検定も沢山取る事が出来ました。

やりたい事があるのであれば、将来の夢は親に左右されずに、一度挑んでみたいですね。

本当、親に流されずこの路を選んで良かった。
そう思います。

専門学校卒業後、無事大手企業のレディースパタンナーとして就職。
12年間ブレる事なかった夢を叶える事が出来ました。

【専門学校で取得した検定】

・パターンメーキング技術能力検定 3級
・ファッションコーディネート色彩能力検定
 2級
・ファッションビジネス能力検定 2級
・洋裁技術検定 初級
・フォーマルウェアスペシャリスト認定 
 ブロンズライセンス


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