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どんな撮影場所も、芸術になる。

Instagramの普及で、インスタ映えのスポットが注目されたりしている。また、そういうスポットで撮影した写真をSNSにアップし、さらに注目を集めていたりする。

けれど、本来写真はシャッターを押して切り取ったものそれ自体が写り込むもので、その対象が単にインスタ映えのスポットになっているにすぎず、そこに個性なんてない。
個性のない写真がたくさんアップされた結果、「え、また?」みたいな写真が大量に目に入ってきて、うんざりする。夕日がきれいな日はアホみたいに夕日の写真が流れてくるし、夕日をバックにスマホのディスプレイが写し込まれた写真も目立つ。彼岸花や桜・紅葉など、もうええねんというくらい見かける。

これは、集団心理として、季節やタイミングに乗り遅れまいとする人間の意識を具現化した行為だと思う。そういうみんなから共感を得られそうな写真をアップしたいって意識だ。

けれど、それいいのか?

人と同じような写真をアップし、それをまたいいと思って反応するのはなんか変。反応が多いから、そういう写真がいいと勘違いされてまたそういう写真が増殖してしまう。
どうせなら、他の人にはマネのしにくい構図の写真をアップしてきてほしい。こういう写真は自分にしか思いつかない、みたいな。

意識したいのは、撮影場所だ。誰もが同じような写真がたくさん上がってくるのは、そういう同じような写真が撮れてしまう場所で撮影するから悪い。他の人と違う写真を撮ろうと思うのなら、普通はこういうところで撮影しないだろうという場所でなるべく撮影したい。

場所なんてどこでもいい。自宅でもいいし、近所の公園とか、オフィス街の裏側、学校の片隅、水族館の休憩所、スタジアムの最上段、綺麗な花の根っこなど、普通は思いつかない場所やアングルで撮ってみる。
当然、他の人がよくアップする写真にはなりえない。それでいてどうやって見る人を魅了し感動できる写真にすればいいのか?
そういう場所にいると、自然にそういうことを考えるようになり、結果、他の人がマネのしにくい写真が次々生まれてくる。

そう、どんな撮影場所も、芸術になる瞬間だ。
写真好きなら、そういう写真をたくさん出したいね。

@rem6_photo

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