私の経歴⑤コンハウスパーティ
もう少し自己紹介も兼ね、現在の仕事につながる私の経歴シリーズとしてこれまでに経験した会社や仕事について掘り下げてみたいと思います。
コンハウスパーティ。関西在住の40歳以上の方であれば名前を聞いたことある、という方も多いかもしれません。
私が入社したコンハウス株式会社のメイン事業でもあり、④で紹介したあんずBOXパーティも傘下に持つ当時関西最大級のパーティ会社でした。
ちなみに、コンハウスは日本で一番最初にカップリングパーティなるものを開催した企業で、当時
・ねるとんパーティ
・コンハウスカップリングパーティ
はコンハウス株式会社の登録商標でした。
また、今では当たり前によく使われるフレーズ
・春よ恋
・サマーバレンタイン(七夕)
・小さい恋小さい恋みーつけた(秋)
・タイムリミットはイヴの夜(クリスマス)
・Sweet Valentine(2月)
・Whitedays Memory(3月)
これはすべて私たちの考案したコピーです。
そんな、コンハウスパーティですが、企画のマンネリ化、ライバルの台頭などもあり低迷しかけていた折に、私がそこの担当をやることになりました。
何をやったかというと、
「必死で働いた!」
これだけでした。
平日は
朝7時から主要な駅にパーティスケジュール掲載のパンフレット配布
9時に戻って営業開始、電話申し込みや問い合わせを受けながら業務
19時夜のパーティを開催
22時会社に戻り片付け、広告やスケジュールを作成
25時頃終了
土日祝は、一日かけて3つのパーティを開催運営
休みは月に2~3日、という状況が数年続きました。
(それでも毎日のように夜遊びしたり、飲みに行ったり、ですから若いっていうのは恐ろしいですね)
全くお勧めできない働き方ではありますが、個人的にはこれがあったから
以降、どのようなしんどい仕事もこなせるようになりました。
誤解を恐れずに言えば、若いうちは死ぬほど働いたほうが
後々その貯金で悠々働ける、と思います。
コンハウスは企画が売りのパーティブランドでしたので、それを見直すところから始めます。
カップリングパーティでいう企画とは
・パーティ参加設定
・コーナー企画
・会場演出
です。その中で、これも恐らく我々が日本で初めてだと思いますが
カジュアル/プレミアム/マリッジ というセレクション分けを
行いました。
いわゆるカップリングパーティがカテゴライズされた瞬間です。
その中のマリッジが
お見合いパーティと呼ばれ、後の婚活パーティと呼ばれるものになり
現在に至っているという状況です。
ちなみにパーティを取り巻く現代の状況についてはいろいろ思う所がありますが、それはまたの機会に書かせていただきます。
特にマリッジセレクションで
Wedding View 参加条件:結婚を意識されている男女
Royal Wedding 参加条件:一年以内に結婚を希望する男女
この2つの企画を打ち出したのですが、ありがたいことに大ヒットしました。特に結婚に期限を付けることをパーティの参加条件にするというのは誰も考えたことなく斬新であり、そして多くの企業にパクられました。
決して自慢するわけではないですが、このことに限らず今世の中にある婚活パーティの条件や設定に関してはほとんどが我々のパクりです。
別にそれはいいのですが、きちんとパクってくれるなら別にいいよ!というのが本音です。
そう思えたきっかえは実はパーティのお客さんで、某〇ャープにお勤めの方と話していて、すぐにパクられるという話をしていたら、シャープ(ゆうてもうとるがな)では、アイディアはパクられる、盗まれるそれを目指しなさい、それが世の中のため、でも最後は作った人が勝つ、という創業者の企業方針があるそうで、これだけの大企業がそういうスタンスなんだと、驚いたのを記憶しています。
私が、今でもことカップリングパーティ・お見合いパーティ・婚活パーティに関して日本中の誰にも負けないと思えているのは、
「作ったものにしかわからない本質がある」
ここの部分です。会社でいう所の創業者にしかわからない部分というのでしょうか。
話がそれてしまいましたが、そんなことで、パーティの企画を作り直し、スタッフの運営を見直し、広告を作り直し、と地道なことをやりながら
コンハウスパーティも復活し気が付けば、
・コンハウスパーティ 年間約500本
・あんずBOXパーティ 年間約300本
と年間800本以上のパーティを主催していました。
仮に一本5万円の利益しかなかったとしても、4000万円ですからコツコツ積み重ねることってとても大事なんだと実感しました。
恐らく当時では日本一のパーティプロデューサーだったと思います。