せめて、女の子にしてくれよ。

僕にとって母にあたる彼女は、僕を褒める時、きまって「かわいい」といいました。勿論、嫌なことをすると、○○してえらい、と云うふうに褒められました。でも、何にもしないで褒められるのは「かわいい」だけでした。話によると、それは母の祖母由来とのことでした。

存在としての価値を無条件に「かわいい」という文化と、女の子を無意識に優遇する担任の先生という名の社会の上に産まれたのだから、女の子に対して劣等感を抱かない方が無理があるのです。
少し前まで、僕にとって道端の女子は、僕の胸を締め付ける存在でした。お前は可愛くない方の人間だよ、と。
「かわいい」のダブルミーニングに気づいたのも随分と最近ではありますが、まあ、頭ではわかってるつもりでした。最近は、例えば上裸になれるとか、知らない街で深夜徘徊できるとか、山の中でおっさんたちと宴会できるとか……男の子の素晴らしさに気付くことも多くて、17にして、やっと、この性別に愛着を持ち始めています。

でも、文化祭で、女装して女の子の動きをする後輩のウマ娘達を見て巻き起こった感情は嫉妬でした。やはり、そう簡単に抜けるものでもないみたいです。

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