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【日記】懐古について

・あなたは今までずっと何処にいたの

無くしていたWiiが見つかった。

中身も完璧だった

僕はWiiが大好きなので胸を躍らせ、ケーブルを解き、説明書を読みながら組み立てていった。
思えばこのWiiはクリスマスにサンタさんから貰ったものだったが、包装から取り出した時と何ら変わらない興奮を感じた。
確かにこの瞬間、僕は8歳だった。実際、8歳の時に貰ったのかは定かではないが。

しかし、順調だった作業に暗雲が立ち込める。

ない。
Wiiを接続するための端子が、テレビにない。

白を白の端子に、赤を赤の端子に、黄を黄の端子に繋ぐらしい。

テレビの背面がどうなっているのかは微かにもわからないが、少なくとも僕の探し物がそこにないことは容易にわかった。まさか素人に配慮して色をわかりやすくしたことがここまで落胆までの時間を早めるとは。これもタイパなのか。

ひとまずインターネットで調べることにした。実際には繋ぐ場所があるのかもしれない。

検索すると多くの情報が見つかり、暴力的に使われる専門用語に苦戦しつつ、なんとか読み解いた。大文字アルファベットはもう見たくない。

そこに書いてあったことを要約すると、

①最近のテレビではWiiを接続できない

②専用の変換端子?(この辺は疎いので適当に用語を使っている、そうするだけでわかっているように見えるから)を使えば接続できる

といったものだった。

なるほど、確かにうちのテレビは数年前に買い替えたばかり。それから見れば2006年に販売を開始した家庭用ゲーム機なんて過去の遺物でしかなく、電気自動車にガソリンを注ごうとしていたようなものだ。あまり芯を食っていないか。

僕は悲しかった。プレゼントを取り上げられて悲しまない8歳児がどこにいるだろうか?
もちろんおそらく数千円程度であろう端子を買えば遊ぶことはできる。僕は大好きなポケパーク2でふりふりダッシュをすることだってできるし、何故かツンデレボクっ娘だったツタージャに会いに行くことだってできる。

しかし、思い出に浸るには僕はまだ若すぎるのかもしれないと思った。まあ買いに行くのがめんどさかったと言えば、それも1つの答えになる。


最近、過去に寄り添いすぎだと思うことがある。
側から見れば老害だとか、そういうもの。

もちろん懐かしさを感じるのは悪いことじゃないし、気持ちが良いことだ。味のしなくなったガムは捨てるしかないが、記憶はいつか味が戻るのかもしれない。

毒薬変じて何とやらといったように追想の先に金脈が見つかることだってあるし、温故知新なんて言葉もある。かなり念を押させてもらう。

ただ、陳腐なことだが、振り返ってばっかではいられないのだと気づいた。進んで初めて振り返ることができる。試合前に感想戦をする馬鹿がどこにいるのだろうか。

だから、今までのことを考えずにとにかく色んなことをする。色んなことをしたい。

そう思った僕はWiiの箱を、そっと押し入れにしまうことにした。またいつか。

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