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【いつか来る春のために】⓲ 三人の家族編 ⑰ 黒田 勇吾

 ・・・隆行、あなたが残していった三つ目の思い出は、向日葵なんだよ。あなたが一番好きだった花、向日葵。もう津波で無くなってしまったけど北山町の自宅のお庭には、隆行専用の直径三メートルほどの丸い庭園があった。あなたを溺愛したおじいさんが整備していろんな花を植えられるようにしてくれた。しかしあなたはそこに毎年向日葵だけを育てていた。もっといろんな花を植えたら、という私の意見を笑ってやりすごし、ひたすら向日葵だけを育て続けていた。友達の和男君も向日葵が好きだから、という理由だった。
 そうだ、あなたが小学校四年の夏が忘れられないねぇ。もう五メートル四方に広がっていた庭園に三十本ほどの向日葵が咲いていたかなぁ。向日葵の中で虫取りをしていたあなたが突然泣き出した。その声を聞いてあわてて庭に下りてあなたを見たら、倒れて泣いている。どうしたんだい、とあなたの顔を見ると左指をつきだして、痛い、痛いと泣くだけで理由を言わない。それであなたの肩に掛けられた虫かごの中を見ると、なんと蜂ばかりが何匹も入っていた。とっさに理解した私があなたの人差し指を見ると、蜂の針が刺さっていた。急いでそれを抜き、病院に連れて行って処置していただいた。おそらくあしなが蜂でしょう、と医者に言われてほっとしたけど、それからうちに帰る車の中で私は笑って運転してた。なぜってあなたが久しぶりに泣くのを見て、なんか可笑しかったんだよねぇ。それに蜂を採っていたあなたが可笑しくってねぇ。本当に不思議な子だったよ、あなたは、隆行。
 そんな痛い思いをしたのも忘れて毎年あなたは向日葵だけを育てていた。やがて向日葵の種が段ボールいっぱいまでになった六年生の秋、あなたは何げなく言った。
 お母さん、来年の春はこの種を小学校の校庭中に全部植えるからね。真顔で私を見るあなたに正直言って呆れたもんだ。なんでそんなことをしたいと思ったんだい、と聞いた時のあなたの返答を聞いて、私は思わず泣いちゃったねぇ。
「夏に交通事故で亡くなった同級生の和男君が、空の上からでも向日葵が見えるようにいっぱい咲かせたいんだ。和男君、おらのうちの向日葵すきだったからだべさ」
 隆行、あなたの思い出はお母さんの心に溢れるほどいっぱいあるよ。二十五年間の思い出は、もちろんいいことばかりではなかったけれど、どれもかけがえのないものだねぇ。それだけでもお母さんは幸せに生きてこれたんだと、この頃はしみじみと感じるんだよ。

幸せってどこか遠くにあるもんではないんだねぇ。歓びも怒りも悲しみも楽しみも、思い出という濾過をこして振り返ると、すべて幸せに変わっていくように最近お母さんは思えるようになったよ。なぜそう思えるようになったかは、お母さんよくわからないけど、震災という出来事でお母さんの心の何かが変わった気がする。確かにあなたと両親を失ったことは周りから見れば不幸の極みだろうけれど、この1年を経て何かが変わったんだろうねぇ。

 美知恵は何か不思議な思いで布団の中で隆行のことを心にめぐらせた。あぁ、少し酔ったのかもしれないねぇ、と思い直した。もう寝ないと、と気持ちを切り替えて寝返りをうった。しかし酒のせいなのか、頭が冴えわたってなかなか眠れないまま夜は更けていった。

          ~~⓳へつづく~~