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【いつか来る春のために】⓫ 三人の家族編 ⑩ 黒田 勇吾

 あの地震は本当に長いものでした。大揺れが来てから一階の資料棚からすべての教材が落ち、暖房と蛍光灯がすぐに切れました。教室に教材、プリントが散乱し机と椅子が倒れ、それらががさがさと揺れ続けました。さらに二度目の大きな揺れで天井の蛍光灯が次々に落ちて割れ、私は玄関まで壁伝いにふらふら歩いて何とか外に出ることができました。道に出るとご近所の家から人が外に出ていて何かにつかまりながら、上を見上げていました。電柱が倒れそうな勢いでぐらぐらと揺れていました。
 長い長い揺れがやっとおさまってあたりの人がざわめき始めましたが、私はというとようやく静まったという安心感のほうが強かったんです。近所の何人かの知人に声をかけて無事なのを確認すると、私はあらためて家に入りました。家が壊れないで大丈夫だったことを一通り確かめるとめちゃくちゃにフロアに散らばった資料の上に落ちていた携帯を拾ってまず妻に連絡しました。妻は出ませんでした。たぶんいつものように会社の自分のロッカーに荷物と一緒に入れていて出れなかったといまは想像するしかありません。その次に優衣の携帯にかけてみましたが優衣も出ませんでした。仕方がないので二人にショートメールで伝言しました。(大丈夫か、怪我はないか、連絡よこせ)
 停電になっていたのでテレビがつきません。私はラジオを持っていなかったので、さてどうしようかと時計を見ると三時を回っていました。そこでこの地震では今日の塾はできないなと考えて、今日来る予定の子供たちにメールで塾は休みにしますと一人一人に連絡し始めました。そのことに夢中になって、外で警報が鳴り始めていたのに気にしないでいたんです。また警報かと思いながら。
 僕はおろかでした。そして後で思い知りました。あの、生徒にメールを送っていた十分から二十分くらいの時間がいかに重要な時間だったかを。妻や娘の生死の境を分ける重要な、そして二度と取り戻すことのできない大切な命の時間だったかを。
 メールを送り終わったとき、教室に突然男の人が飛び込んできました。家から二軒先の懇意にしている町内会長のKさんでした。
「鈴ちゃん、まだいたのが!奥さんと娘さんはどうしたんだ。大津波警報発令されたの知らないのが!速く逃げっぺし。みんな内陸の風山のほうに向かっているよ」
 そのKさんの必死の大声に私は驚きました。
「え、おとといも警報あったけど大したことなかったっちゃぁ」
「鈴ちゃん、バカ言ってんでねえ。ただの警報でねえど。3メートル以上の津波が来るってラジオで言ってる。今近所のみんなに避難の呼びかけ終わったところだ。俺ぁ、あど行くがらな」と叫んでKさんは急いでまた出ていきました。
 僕の心の危機意識は、このKさんの呼びかけで目を覚ましました。もしこのときKさんが声をかけてくれなかったら、ぼくはあの時どうなっていたかわかりません。

            ~~⓬へつづく~~