【本の展覧会】 本の芸術家・武井武雄展
数年前、とある取材で長野県岡谷市の「イルフ童画館」を訪ねた。このちょっと変わった名前の美術館は、童画家として活躍した武井武雄の絵画や刊本を所蔵している。武井作の小さな本たちは、まるで工芸品のようで、いつかもう一度見たいと思っていた。そんな武井の刊本作品が神奈川近代美術館にやってくると知り、いざ「本の芸術家・武井武雄展」へ。
明治生まれの武井武雄は、大正から昭和にかけて活躍した人物だ。いまの職業に当てはめるならば「イラストレーター」ということになるのだろうが、この一語では到底カバーできないほど幅広い分野で功績を残した。
まずは「童画」。これは武井による造語で、子どものための絵を指す。武井は『子供之友』や『コドモノクニ』といった絵雑誌の装画や題字、挿絵を手がけ、また童画で個展を開いたり作品集を出版したりした。
それから「刊本(かんぽん)」。武井は、少部数を自費出版する刊本制作をライフワークとしていた。恥ずかしながら武井作品に触れるまで知らなかったのだが、一冊ずつ手で書かれた「写本」に対して、印刷技術を使ってつくられた本を「刊本」というそうだ。さらに細分化された呼び名もあり、木版で摺られたものを「版本」、活字で刷られたものを「活字本」という。
ほかにも、郷土玩具を蒐集したり、おもちゃのデザインをしたり。はたまた刺繍の図案集をつくったり、子ども向け雑誌の編集顧問をしたりもした。そんでもって、アメリカでは版画家として人気を集めていたというのだから、そのバイタリティーたるや。子どもへの愛、芸術への情熱、描画スキル……自身の才と技を総動員して、できることはみんなやってやった、という感じがする。職業名なんてないほうが、人は自由に生きられるのかもしれない。
企画展「本の芸術家・武井武雄展」のハイライトは、もちろん刊本作品だ。武井がその89年の生涯で世に送りだした刊本は139冊。限定300部を原則として、「親類」という名の会員に原価で頒布したという。親類になれなかった順番待ちの人々は「我慢会」と呼ばれたとか。
武井自ら執筆、挿絵、造本設計までを手がけた刊本は、「本の宝石」と称される。中でも最もよく知られる宝石は、おそらく『ラムラム王』じゃないだろうか。1964年作の55冊目で、一冊750円で頒布された(60年前だとしても、良心的だよね?)。119×87ミリの手のひらサイズ。武井の刊本はサイズがまちまちなのだが、中でもこうした小ぶりな本は「可憐判」とされた。背継ぎの上製本で、真っ赤な夫婦箱入り。
物語はいわゆるナンセンス・テールで、貧しい珊瑚細工職人の息子「フンヌエスト・ガーマネスト・エコエコ・ズンダラー・ラムラム王」(略してラムラム王)が「生まれがい」を求めてすったもんだする。ラムラム王は、何とも不思議な魅力を備えている。無邪気なような、肝が据わっているような。子どものような、でも境地に達しているような。そして、武井はこのラムラム王の生まれ変わりだそうだ(本人談)。
当然ながら、いま『ラムラム王』の刊本を手に入れるのは簡単じゃない。しかしながら、ありがたいことに、普及版『ラムラム王』が昨年刊行されている。
武井の刊本作品の恐るべきは、何といっても毎回異なる素材や技法を取り入れていた点だ。木版、活版、石版、孔版、それからグラビア印刷も。西洋の製本様式で綴じた「洋本」もあれば、伝統的な「和本」もある。寄木細工や螺鈿細工、ゴブラン織りやステンドグラスなど「それで本をつくっちゃいますか」と唸るアクロバティックな挑戦もしている。
はじめて見たときは、この挑戦が自由奔放でのびのびしたものに思えた。だが、なぜだかわからないけれど、今回はそれとは違う印象を受けた。武井のあまりのストイックさに、息苦しくなってしまったのだ。だって、139冊だよ? そのすべてに異なる素材や技法を使うって……クレイジー!
自由のきく私家版だからこそ好きなだけ苦しめるわけだし、苦しいからこそ燃えるだろうし、熱く燃えたあとには大きな喜びが待っているのも理解できる。だけど、それを139冊分やりつづけるのは並大抵のことじゃない。武井本人はこうしたつくり方を、作家としての「若返り法」などと称しているけれど。決して手を止めてはいけない、己の技に甘んじてはいけない、常に新しくあらねばならない — そんな呪縛を自らに厳しく課さずにはいられない、器用すぎて不器用な人だったんじゃないだろうか。
ところで、武井のネーミング・センスは特別だと思う。小さい本を表す「可憐判」ということば一つに、本への愛情があふれている。「親類」と「我慢会」もおもしろいし、「フンヌエスト・ガーマネスト・エコエコ・ズンダラー・ラムラム王」ってどうよ。それから、イルフ童画館もまた武井が名付け親で「フルイ(古い)」の反対、つまり「新しい」ってことなんだそう。
神奈川近代文学館と公園をつなぐ霧笛橋から横浜の海を眺めながら、「武井だったらルリユール(工芸製本)にどんな和名をつけただろうか」などと考えた。
● 「本の芸術家・武井武雄展」
神奈川近代文学館
2023年6月3日〜2023年7月23日https://www.kanabun.or.jp/exhibition/17937/
● 『ラムラム王』武井武雄(フレーベル館)