#49 ガラテヤ人への手紙

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レジュメ

※「※」や「⇒」で書いてる記述は、このNoteを書いてる者のメモです。他はレジュメのコピペです。

※ちっちゃいトカゲで、でっかいエアコン装置がダメになる話。
※クリスチャン生活でも、ほんのちょっとしたことが、正常に生きることの妨げになる。
※クリスチャンになった時の喜びが過ぎ去って、できない自分を責めるようになることがある。トカゲが入り込んだ状態。
※ガラテヤ人への手紙のテーマ:律法主義的クリスチャン生活の危険性。福音な大事な部分の誤解について。

1.はじめに

(1)ガラテヤ人への手紙の位置づけ
①特定の教会や個人ではなく、ガラテヤ地方の複数の教会に宛てられたもの。
②1章2節に、「ガラテヤの諸教会」と書かれている。
③ガラテヤ地方とは、今のトルコである。
④パウロは、第1次伝道旅行でこの地方に複数の教会を設立した。
 *ピシデヤのアンテオケ、イコニオム、ルステラ、デルベの諸教会
⑤パウロが設立した諸教会を、ユダヤ主義者と呼ばれる人々が訪問した。
 *彼らは、誤った教えを説いて回った。
⑥ユダヤ主義者は、元パリサイ派で、律法を守ることに固執していた。
 *彼らは自ら権威ある者のように振る舞っていた。
 *しかし、エルサレム教会から承認を受けていたわけではない。
 *エルサレム教会は、ユダヤ主義者の立場に反対していた。
⑦パウロは、ユダヤ主義者の教えに反論する必要を感じ、この書簡を書いた。
⑧恐らく、アンテオケで紀元48年頃に執筆したのであろう。
 *タイミングは、エルサレム会議の前である。

(2)エルサレム会議(使徒15章)の内容
①エルサレムからアンテオケに下って来たユダヤ人の教師たちがいた。
②「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と教えていた。彼らは、ユダヤ主義者である。
 *救われるためには先ずユダヤ教に改宗する必要があるという教え。
 *パウロの「人は信仰のみによって救われる」という教えとは異なる。
③そこで、エルサレム会議が開催された(使15章、紀元49年の初め)。
④キリスト教がユダヤ教の一派に留まるのか、普遍的な宗教になり得るのか
を決する、非常に大事な会議であった。
⑤この会議の結果、人は信仰のみで救われるという福音の真理が確認された。
⑥異邦人信者には、ユダヤ人信者を配慮するようにとの勧告がなされた。
 *「偶像に備えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行を避けるように」

(3)ガラテヤ人への手紙の特徴
①ガラテヤ人への手紙は、ローマ人への手紙の短縮版である。
②ローマ人への手紙は、ガラテヤ人への手紙の拡大版である。
③(マルティン・ルターによる)宗教改革の土台となった書簡である。
④キリスト者の自由の「マグナ・カルタ」(後のイギリスの「自由の大憲章」)だと言われる。

※イエス・キリスト以外の何者にも束縛されない、ということ。

(4)ガラテヤ人への手紙のアウトライン
①個人的弁明:パウロの使徒職(1:1~2:21)
②教理的教え:信仰義認(3:1~4:31)
③実践的教え:キリスト者の自由(5:1~6:18)

2.メッセージのアウトライン:この書簡の4つの特徴

(1)感情的な書簡
(2)厳粛な書簡
(3)信仰義認を宣言する書簡
(4)キリスト者の自由を宣言する書簡

ガラテヤ人への手紙について学ぶ。

Ⅰ.感情的な書簡

1.ガラ1:6
Gal 1:6
私は驚いています。あなたがたが、キリストの恵みによって自分たちを召してくださった方から、このように急に離れて、ほかの福音に移って行くことに。
(1)パウロは、ガラテヤのクリスチャンたちの現状を知って、あきれ果てている。
①短時間のうちに、彼らの心が変わってしまった。
②彼らの信仰の内容が、パウロが教えた福音とは異なっていた。
③単純な福音の真理を離れて、「ほかの福音」に移って行った。

(2)「ほかの福音」とは、「同質」ではなく「異質」な福音という意味である。
①「信仰のみ」という福音に別の要素を加えるなら、「ほかの福音」になる。
※ユダヤ教に改宗すべきというのが異質。

2.ガラ3:1~3
Gal 3:1 ああ、愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、目の前に描き出されたというのに、だれがあなたがたを惑わしたのですか。
Gal 3:2 これだけは、あなたがたに聞いておきたい。あなたがたが御霊(みたま)を受けたのは、律法を行ったからですか。それとも信仰をもって聞いたからですか。
※信仰を持って聞いたから、聖霊が変えてくれた。
Gal 3:3 あなたがたはそんなにも愚かなのですか。御霊によって始まったあなたがたが、今、肉によって完成されるというのですか。
(1)御霊によって始まったなら、肉によって完成されることはない。
①「義認は信仰によるが、聖化は業による」というのは「ほかの福音」である。

(2)パウロの感情がほとばしり出ている。
①福音の真理に関して妥協することは、決して許されることではない。
②ローマ人への手紙は、パウロの頭から出た。
③ガラテヤ人への手紙は、パウロの心から出た。

Ⅱ.厳粛な書簡

1.ガラ1:7~8
Gal 1:7
ほかの福音といっても、もう一つ別に福音があるわけではありません。あなたがたを動揺させて、キリストの福音を変えてしまおうとする者たちがいるだけです。
Gal 1:8
しかし、私たちであれ天の御使いであれ、もし私たちがあなたがたに宣べ伝えた福音に反することを、福音として宣べ伝えるなら、そのような者はのろわれるべきです。
(1)人であれ天使であれ「ほかの福音」を伝えるなら「のろわれるべき」である。
①ギリシア語の「アナテマ(呪われる)」という言葉
②ヘブル語の「ハラム」(聖絶)という概念から出たものである
③ヨシ(ヨシュア記)6章で、アカンは聖絶のものに触れたために、裁きにあった。
④「アナテマ」を宣言された人や物に触れてはならない。
⑤それに触れる人は、滅びるしかない。

(2)パウロは、「ほかの福音」を宣べ伝えた者は、滅びると宣言した。
①厳しい言葉を使う理由は、このテーマがきわめて重大なものだからである。
②真の福音を説くか、「ほかの福音」を説くかで、聞く人の運命が決まる。

(3)この手紙は、行為の矯正ではなく、信仰の土台の矯正を目的としている。
①福音理解が異なれば、クリスチャン生活そのものが崩壊する。
②ガラテヤ地方のクリスチャンたちの信仰の土台が、揺さぶられていた。

2.ガラテヤ人への手紙の中で欠落している要素
(1)他のパウロ書簡と比較すると、驚くべき差がある。
①褒め言葉、賞賛の言葉、感謝の言葉がない。
②祈りの要請がない。
③位置的真理への言及がない。
*クリスチャンは「キリストにあって(in christ)」すべてのものを得ている。
④パウロとともにいる人の名前が上げられていない。

※それほどストレートであり、厳粛。

Ⅲ.信仰義認を宣言する書簡

1.ガラ1:11~12
Gal 1:11 兄弟たち、私はあなたがたに明らかにしておきたいのです。私が宣べ伝えた福音は、人間によるものではありません。
Gal 1:12 私はそれを人間から受けたのではなく、また教えられたのでもありません。ただイエス・キリストの啓示によって受けたのです。
(1)パウロ自身の経験を通しての弁明
①彼が宣べ伝えている福音は、人間が作り出したものではない。
②人間は、「信仰+人間の業」という「ほかの福音」を作り出してしまう。
③ユダヤ教も含めて、すべての宗教は何らかの形で「人間のわざ」を強調する。
④「救われるためには○○をせねばならない」というのがそれである。

※信仰以外に何か必要なのはカルト的。
※高いごちそうをおごってもらって、消費税だけでも払おうとしている。

(2)「救いは信仰のみによる」というのが聖書の教える福音である。
①パウロはそれを神から直接受けた。
②これは、パウロの使徒職の弁明でもある。

2.ガラ3:6~9
Gal 3:6 「アブラハムは神を信じた。それで、それが彼の義と認められた」とあるとおりです。
Gal 3:7 ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。
Gal 3:8
聖書は、神が異邦人を信仰によって義とお認めになることを前から知っていたので、アブラハムに対して、「すべての異邦人が、あなたによって祝福される」と、前もって福音を告げました。
Gal 3:9 ですから、信仰によって生きる人々が、信仰の人アブラハムとともに祝福を受けるのです。
(1)パウロは、アブラハムを例に上げる。
①信仰義認の真理が旧約聖書ですでに教えられていることを示そうとする。
②「彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」(創15:6)
③ここには、すでに信仰義認の真理が啓示されている。

(2)異邦人もまた、アブラハムと同じように信仰によって救われる。
①イエスを信じる異邦人を、パウロは「アブラハムの子」と呼んでいる。
②「子(子孫)」という言葉は、「アブラハムに従う者」という意味である。
③これは、異邦人が「霊的なイスラエル」になるということではない。
④異邦人もまた、アブラハムと同じ方法─信仰義認─によって救われる。

(3)ガラテヤの信者たちは、律法を行うことで救いを達成しようとしていた。
①しかしそれは、アブラハムが救われた原則とは正反対の方法であった。
②アブラハム契約は、異邦人も信仰によって救われることを預言していた。

Ⅳ.キリスト者の自由を宣言する書簡

1.ガラ5:13~14
Gal 5:13 兄弟たち。あなたがたは自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕え合いなさい。
Gal 5:14 律法全体は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という一つのことばで全うされるのです。
(1)自由が意味しているところを誤解している人は多くいる
①パウロは、キリスト者の自由の意味が誤解されることを恐れた。
②「自由があるなら、何をしてもいいのか」という疑問に答える必要がある。

(2)キリスト者の自由には、以下のような特徴がある。
①それは、何をしてもいいという意味ではない。
②肉の欲するままに生きるのは、自由ではなく放縦である。
③自由は、「キリストの律法」(6:2)を全うするために用いるべきである。
④「キリストの律法」とは、聖霊が与えてくださる愛の律法である。
⑤キリスト者の自由とは、愛を実践するための自由である。
⑥律法の全体は、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という命令をもって全うさる。

(3)愛を実践するための力は、聖霊によって与えられる。
①旧約時代には、愛を実行するための力が欠けていた。
②キリストの復活と昇天以降、信者には聖霊が与えられるようになった。

2.ガラ5:16~18
Gal 5:16 私は言います。御霊によって歩みなさい。そうすれば、肉の欲望を満たすことは決してありません。
Gal 5:17
肉が望むことは御霊に逆らい、御霊が望むことは肉に逆らうからです。この二つは互いに対立しているので、あなたがたは願っていることができなくなります。
Gal 5:18 御霊によって導かれているなら、あなたがたは律法の下にはいません。
(1)私たちのうちにある2つの性質
①クリスチャンの内側には、古い性質と新しい性質が宿っている。
②古い性質とは、自己中心的な性質のことである。
③新しい性質とは、聖霊によって与えられた「神の子としての性質」のこと。
④相対する2つの性質が、日々主導権争いをしている。
⑤そこに、クリスチャンの葛藤が生まれる。

※クリスチャンになって、最初に読んだらいいのは、ガラテヤ書。

(2)勝利ある生活の秘訣は、聖霊により頼むことである。
①聖霊に導かれて歩む人は、肉の願いからも律法の要求からも解放される。
②「御霊によって歩みなさい」(16節)とは、継続を意味する言葉である。
③古き肉の性質に従うか、御霊に従うかで、結果は全く違ったものになる。

(3)ガラ5:19~21
Gal 5:19 肉のわざは明らかです。すなわち、淫らな行い、汚れ、好色、
Gal 5:20 偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、
Gal 5:21
ねたみ、泥酔、遊興、そういった類のものです。以前にも言ったように、今もあなたがたにあらかじめ言っておきます。このようなことをしている者たちは神の国を相続できません。
①罪を犯したクリスチャンは天国に行けないという意味ではない。
②継続的に罪を犯し続ける人は、自らが救われていないことを証明している。
③救われていないなら、当然天国には入れない。

(4)ガラ5:22~23
Gal 5:22 しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、
Gal 5:23 柔和、自制です。このようなものに反対する律法はありません。
①クリスチャンは、罪を告白することで、罪の赦しを受けることができる。
②御霊の導きに従う人たちは、豊かな実を結ぶようになる。
③パウロは、9つの御霊の実を例示しているが、それ以外にも色々あるだろう。

3.適用
(1)古い自分はキリストとともに十字架に付けられたことを思い起こそう。
(2)御霊(みたま)に導かれることを意識しよう。
(3)御霊の実を熱心に求めよう。


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