#51 ピリピ人への手紙
本日はこちら。
レジュメ
※「※」や「⇒」で書いてる記述は、このNoteを書いてる者のメモです。他はレジュメのコピペです。
※嬉しい時には、大抵、理由がある。
※しかし、今回の手紙でパウロは、通常は喜べない状況で、喜んでいる。
※状況に支配されない喜びがある。
1.はじめに
(1)ピリピ人への手紙の位置づけ
①獄中書簡と呼ばれるものが、4つある。
②パウロがローマの獄中にあった時に書かれた書簡である。
③当時パウロは、皇帝ネロによる尋問が行われるのを待っていた。
④4つの書簡とは以下のものである。
*エペソ人への手紙:テキコが届けた(エペ6:21)。
*ピリピ人への手紙:エパフロデトが届けた(ピリ4:18)。
*コロサイ人への手紙:エパフラスが届けた(コロ4:12)。
*ピレモンへの手紙:オネシモが届けた(ピレ1:10)。
・オネシモは、コロサイの主人の元から逃亡した奴隷である。
⑤4つの書簡のテーマ
*エペソ人への手紙
・教会は、キリストのからだである。
・この場合の教会は、普遍的教会(全ての信者を集めた概念)である。
*ピリピ人への手紙
・クリスチャン生活は喜びに満ちたものである。
・私たちは、キリストにあってなんでも出来る。
※犯罪などではなく、有意義なことができるという意味。
*コロサイ人への手紙
・キリストは、教会の頭である。
*ピレモンへの手紙
・異教社会におけるクリスチャンの行動の原則は、愛である。
(2)ピリピという町
①当時ピリピは、ローマの「植民都市」(コロニー)であった。
*植民都市は、軍事上の拠点となる(辺境の)地に設立された町である。
*まさに小ローマがそこに存在したということである。
*住民にはローマの市民権が与えられ、税制上の特権も与えられた。
④新約時代におけるピリピの重要性
*農業生産、海路と陸路をつなぐ通商の拠点、金鉱、植民地、医学学校
※ルカが医学を学んだのはピリピじゃないかと言われてる。
(3)パウロとピリピの関わり
①ルカは、ピリピ伝道に最多のスペースを割いている(使16:12~40)。
*第二次と第三次伝道旅行で訪問したどの町の情報よりも多い。
②ピリピは、パウロが伝道した最初のヨーロッパの都市である。
③福音が、アジア大陸からヨーロッパ大陸に伝わったのである。
④最初に、紫布の商人リディアとその家族が救われた。
⑤次に、牢獄の看守とその家族が救われた。
⑥かくして、ピリピに教会が誕生した。
⑦この手紙は、パウロからピリピの信徒たちに宛てられたものである。
(4)執筆の経緯
①ピリピの教会は、エパフロデトに「贈り物」を託して、パウロに送った。
②エパフロデトは、パウロを支えるためにそこで働き始めたが、病気になった。
③エパフロデトの病気が治ったので、パウロはピリピに彼を送り返す。
④その際、パウロはこの手紙をしたため、彼に託した。
⑤執筆年代は、60年から61年頃と推定される。
⑥この手紙のキーワードは「喜び」である(関連した表現が19回も出て来る)。
※クリスチャンは自分に対して死ぬことで、本当の意味で生き始める。逆説的心理。
2 .メッセージのアウトライン
( 1 )試練の中にある喜び( 1 : 1 ~ 30 )
( 2 )奉仕の中にある喜び( 2 : 1 ~ 30 )
( 3 )信じることの中にある喜び( 3 : 1 ~ 21 )
( 4 )与えることの中にある喜び( 4 : 1 ~ 23 )
ピリピ人への手紙について学ぶ。
Ⅰ.試練の中にある喜び( 1 : 1 ~ 30 )
1 .パウロの感謝( 3 節)
Php 1:3 私は、あなたがたのことを思うたびに、私の神に感謝しています。
(1)「あいさつ」が終わると、パウロは最初に感謝の言葉を書いている。
①彼が感謝している相手は、神である。
②ピリピ伝道では、パウロは投獄され、むち打ちの刑にも会った。
③神の恵みの大きさのゆえに、苦しい体験を忘れているかのようである。
(2)ピリピの教会が誕生したのは、神の恵み以外の何ものでもない。
①ピリピの教会に注がれた神の恵みは、パウロ自身も経験したことである。
②「罪人のかしら」が、「キリスト・イエスのしもべ」とされた。
③人に与えられる最も名誉ある称号は、「キリスト・イエスのしもべ」である。
※ Man of God と言われるのは嬉しい。
2 .パウロの確信( 6 節)
Php 1:6 あなたがたの間で良い働きを始められた方は、キリスト・イエスの日が来るまでにそれを完成させてくださると、私は確信しています。
(1)「良い働き」とは、聖霊の働きによって生まれ変わること(新生)を指す。
①イエスを主と告白した人の中には、すでに聖霊の働きが始まっている。
②新生した人は、次に聖化の過程に導かれる。
*これもまた、聖霊の働きである。
③やがて私たちの姿は、栄光の姿に変えられる。これが栄化である。
*「キリスト・イエスの日」とは、携挙の時(教会が天に上げられる日)を指す言葉である。
※パウロは携挙がいつ来るかは把握してなかったが、その日が来るまでに神の救いは完成すると考えていた。
3 .パウロの喜び( 18 節)
Php 1:18 しかし、それが何だというのでしょう。見せかけであれ、真実であれ、あらゆる仕方でキリストが宣べ伝えられているのですから、私はそのことを喜んでいます。/そうです。これからも喜ぶでしょう。
(1)投獄されたことが、かえって福音の前進に役立った。
①投獄によって、福音に興味を示さなかった人々が、関心を持つようになった。
②パウロの勇気と大胆さによって、他のクリスチャンたちが励まされた。
(2)福音を語る動機が異なる2つのグループがいた。
①パウロを苦しめるためにキリストを宣べ伝えている人々がいた。
⇒この場合でも、キリストって誰なのか、聞いた人たちは気になり出した。
②愛をもってキリストを伝える人々がいた。
③動機を問題にするなら、前者の伝道は容認できないものである。
④しかしパウロは、それをも喜ぶと表明している。
*キリストが崇められ、宣べ伝えられているなら、自分はどうでもよい。
⑤「究極的な救い」とは、神から無罪宣告とおほめのことばをいただくこと。
⑥「私にとっては、生きることはキリスト、死ぬこともまた益です」
※キリストのためだけに生きている。
Ⅱ.奉仕の中にある喜び( 2 : 1 ~ 30 )
1 .一致の勧め( 1 ~ 2 節)
Php 2:1 ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
Php 2:2 あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。
(1)クリスチャンは、父なる神の愛情と憐れみをお互いに対して示すようになる。
①慰め、励まし、交わり、憐れみといったキーワードに注目しよう。
②これらは、父なる神から発し、キリストを通して神の子たちに与えられる。
③キリストにつながり続けるなら、一致を保つことができる。
2 .私たちの手本( 6 ~ 8 節)
Php 2:6 キリストは、神の御姿であられるのに、/神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
Php 2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、/人間と同じようになられました。/人としての姿をもって現れ、
Php 2:8 自らを低くして、死にまで、/それも十字架の死にまで従われました。
(1)謙遜な人となる秘訣は、キリストの生き方にならうことである。
①キリストは、地上生涯で常にへりくだり、他者を配慮する生活を貫かれた。
(2)キリストのへりくだり
①キリストは、天地が創造される前から神として存在しておられた。
②しかしキリストは、「神のあり方」に固執せず、私たちと同じ人間の姿を取って地上に誕生し、人間として地上生涯を送ってくださった。
③キリストは神としてのあり方を捨てたが、神でなくなったことはない。
④神が人となられたということこそ、最大の奇跡である。
⑤このような犠牲を払ってくださったのは、私たちを愛する愛のゆえである。
3 .私たちの応答( 13 ~ 14 節)
Php 2:13 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
Php 2:14 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
(1)この聖句は、クリスチャンに積極的な生き方を提示してくれている。
※キリストは、高速道路の速度違反のパトカーのようなお方ではない。
①キリストとともに歩んでいるなら、心に聖い志が与えられる。
②なんらかの願いが与えられたなら、神からのものとして受け止めてよい。
③自己中心的な動機から出たものであるなら、神はそれを教えてくださる。
(2)願いの実現のためには、「すべてのことを、つぶやかず、疑わずに行なう」。
①その人は、純真な者、傷のない神の子、世の光となる。
②そのような人生を歩ませてくださった神をほめたたえるようになる。
③聖化を求める生活は、神的受動態である。
Ⅲ.信じることの中にある喜び( 3:1~21 )
1 .ユダヤ主義者を警戒するようにという警告( 2 節)
Php 3:2 犬どもに気をつけなさい。悪い働き人たちに気をつけなさい。肉体だけの割礼の者に気をつけなさい。
※3つとも同じ意味。
(1)ユダヤ主義者の誤った教え
①彼らは、割礼を受けないと救われないと教えていた。
②パウロは、ユダヤ主義者のことを「犬ども」と呼んでいる。
*犬は、自分が吐いたものに戻って行く。
*彼らは、福音に触れながら、もとのユダヤ教の教えに戻って行った。
※現代で言うところの犬とは異質な物。
③彼らは「悪い働き人」である。
*キリストにある赦し、喜び、誇りを奪っていくからである。
④さらに、「肉体だけの割礼の者」で、心に変化がない者たちである。
⑤信仰以外に何かを付け加えようとする人は、現代のユダヤ主義者である。
2.パウロの過去と現在(7~9節)
Php 3:7 しかし私は、自分にとって得であったこのようなすべてのものを、キリストのゆえに損と思うようになりました。
Php 3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、私はすべてを損と思っています。私はキリストのゆえにすべてを失いましたが、それらはちりあくただと考えています。それは、私がキリストを得て、
Php 3:9 キリストにある者と認められるようになるためです。私は律法による自分の義ではなく、キリストを信じることによる義、すなわち、信仰に基づいて神から与えられる義を持つのです。
(1)パウロの過去
①8日目の割礼を受け、ベニヤミン部族の出身である。
②律法を厳格に守るパリサイ人であった。
③教会を迫害するほど熱心であった。
(2)パウロの現在
①キリストを知ったことで、価値観、世界観が180度変化した。
②以前は誇りと思っていた事がらを、今は損と思うようになった。
③キリストの十字架以降は、恵みの時代になった。
④今まで大事にしてきたものは、「ちりあくた」である。
*犬に与える食べ物
3 .パウロが追求する 3 つのもの( 13 ~ 14 節)
Php 3:13 兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、
Php 3:14 キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。
(1)パウロは、キリストというお方をさらに深く知ることを追及している。
①キリストは、日々私たちを驚きと喜びの発見へと導いてくださる。
(2)パウロは、キリストの復活の力を知ることを追及している。
①その力とは、キリストの復活が信者にもたらした力のことである。
②それは、信者に死後の復活の希望を与え、今の時の試練に勝たせる力である。
(3)パウロは、キリストの苦しみにあずかることも追及している。
①苦難、迫害、戦いさえも、神からの贈り物である。
②宣教のための苦しみは、キリストとともに苦しむことであり、それは将来の復活の希望につながることである。
Ⅳ.与えることの中にある喜び( 4:1~23 )
1 .一致の勧め( 1 ~ 2 節)
Php 4:1 ですから、私の愛し慕う兄弟たち、私の喜び、冠よ。このように主にあって堅く立ってください。愛する者たち。
Php 4:2 ユウオディアに勧め、シンティケに勧めます。あなたがたは、主にあって同じ思いになってください。
(1)パウロは、具体的に名前を挙げて、一致の勧めをしている。
①ピリピ教会の中に、指導者同志の不一致があったのであろう。
②「一致」とは、意志の統一ことではなく、聖霊の思いを共有することである。
2 .いつも喜ぶ( 4 ~ 6 節)
Php 4:4 いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。
Php 4:5 あなたがたの寛容な心が、すべての人に知られるようにしなさい。主は近いのです。
Php 4:6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。
(1)この喜びには、「主にあって」という修飾語が付いている。
①置かれた状況のいかんにかかわらず、キリストを知り、キリストに知られ、必ず最善がなされると信じる者には喜びが伴う。
②喜びの理由を探してみまう。
③神の恵み、神の愛、与えられた人生、家族、健康、食物、住居、衣服、教会、信仰の友、職業‥‥。リストは尽きない。
(2)祈れば平安になる理由
①その平安は、「キリスト・イエスにある平安」である。
②「人のすべての考えにまさる神の平安」である。
※環境、状況に左右されない平安。
3 .贈り物への感謝( 10 節)
Php 4:10 私を案じてくれるあなたがたの心が、今ついによみがえってきたことを、私は主にあって大いに喜んでいます。あなたがたは案じてくれていたのですが、それを示す機会がなかったのです。
(1)パウロを思い出し、贈り物を送ってくれたことに感謝の意を表している。
(2)続いて彼は、金銭に対してどのような態度を取るべきかを教えている。
①貧しさにいかに対処すべきかを心得ている。
②豊かなときにもいかに生活すべきかを知っている。
③どのような境遇にあっても、それに対処する秘訣を心得ている。
4.終わりの挨拶
(1)「どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように」
①クリスチャン生活は、イエス・キリストの恵みによって始まり、イエス・キリストの恵みによって完成する。
②日々、この恵みによって父なる神に近づき、この恵みによって生かされ続けようではないか。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?