#48 コリント人への手紙第二

本日はこちら。

レジュメ

※「※」や「⇒」で書いてる記述は、このNoteを書いてる者のメモです。他はレジュメのコピペです。

※コリント人への手紙は3通あったが、2通目は残ってない。第2コリントは3通目。

1.はじめに

(1)コリント人への手紙第二の位置づけ
①コリント書は、地域教会が直面する課題について書かれた書簡である。
*コリント人への手紙第一では、パウロは教師である。
*コリント人への手紙第二では、パウロは牧会者である。
②コリント人への手紙第二は、さほど注目されない(難解な箇所が多い)。
*皮肉的な言葉が多いが、その判断が難しい。
*個人的な感情を伝える言葉が多い。
※まとめにくい。

(2)2つのコリント書執筆の経緯
①パウロは、第二次伝道旅行でコリントを訪問した(使18章)。
②コリントでは、アクラとプリスカ夫婦とともに天幕作りとして働いた。
③シラスとテモテがマケドニアから来て合流した。
④パウロは、伝道に専念することが出来た。
※パウロは非常なおそれを抱いていた。
⑤夜の幻によって励まされたパウロは、1年半の間コリントに留まった。
※幻というのは神。おそれずに語り続けなさい!
⑥ユダヤ人たちが反抗したので、パウロは異邦人伝道に向った。
⑦多くの人たちが救われたので、ユダヤ人の指導者たちはパウロを訴えた。
⑧アカヤの総督ガリオは、訴えを却下した。
⑨その後パウロは、ケンクレアの港からエペソ、アンテオケに向った。
⑩第三次伝道旅行で、パウロはエペソに戻り、そこに2年間留まった。
⑪エペソに滞在中、コリント教会から使いが来て、パウロの助言を求めた。
⑫彼らの疑問に答えるために書かれたのが、コリント人への手紙第一である。
⑬後にパウロは、この手紙に対する反応が気がかりになった。
*特に、罪を犯したメンバーの懲戒の問題
⑭そこでパウロは、テトスに会うためにトロアスに行ったが、会えなかった。
⑮次にパウロはマケドニアに渡り、そこでテトスに会うことができた。
⑯テトスは、コリント教会の情報を持っていた。
*グッドニュース:罪を犯した人は霊的に回復した。
*残念なニュース:エルサレムの貧しい聖徒たちに献金を送っていない。
*バッドニュース:偽教師たちが、パウロの使徒職を否定している。
⑰そこでパウロは、マケドニアでコリント人への手紙第二を書いた。

(3)執筆年代
①コリント人への手紙第一は、紀元55年頃に、エペソで書かれた。
②第二は、紀元57年頃に、マケドニア(恐らくピリピ)で書かれた。

2.執筆目的(これがアウトラインとなる)

Ⅰ.コリント訪問の計画を変更した理由(1:15~22)
Ⅱ.懲戒を正しく実行したことへの褒め言葉(2:6~11)
Ⅲ.パウロの動機を疑う者たちへの応答(4:1~2)
Ⅳ.エルサレムの聖徒たちへの献金(8~9章)
Ⅴ.パウロの使徒職を疑う者たちへの応答(10~12章)

※最も論調が厳しくなるのは5番目。

コリント人への手紙第二について学ぶ。

Ⅰ.コリント訪問の計画を変更した理由(1:15~22)

1.最初の計画の変更
(1)1コリ16:5~6
1Co 16:5 私はマケドニアを通って、あなたがたのところへ行きます。マケドニアはただ通過し、
1Co 16:6
おそらく、あなたがたのところに滞在するでしょう。冬を越すことになるかもしれません。どこに向かうにしても、あなたがたに送り出してもらうためです。
①ところがパウロは、計画を変更した。

2.パウロの計画は、「しかり」と「否」を含んだ裏表のあるものではない。
(1)彼が宣べ伝えた福音は、「しかり」と「否」を同時に含んだものではない。
①真実な宣教内容を見れば、パウロが真実な人間であることは明らかである。
②パウロが訪問を延期しているのは、思いやりのためである(1:23)。
2Co 1:23 私は自分のいのちにかけ、神を証人にお呼びして言います。私がまだコリントへ行かないでいるのは、あなたがたへの思いやりからです。
※行くと厳しいことを言ってしまうから。

(2)神の約束はキリストにおいて「しかり」となった。
①すでに成就した預言も、将来成就する預言も、すべてキリストにおいて成就する。

Ⅱ.懲戒を正しく実行したことへの褒め言葉(2:6~11)

1.「悲しみの手紙」(今は残っていない手紙)
(1)パウロは、前の手紙(第一コリント)で、不品行な者を処罰するように命じた。
①「父の妻を妻にしている者」(1コリ5:1~13)がいた。
②パウロが厳しい処罰を命じた目的
*教会がパウロの教えに従順になるかどうかを試すため
*その不品行な者の魂を滅びから回復するため

2.教会は処罰を実行し、その人が悔い改めた。
(1)そこでパウロは、赦しの実践を勧める。
①深い悲しみに耐え切れずに信仰の崩壊に追い込まれることがあるから。
②処罰が厳しすぎたり、長すぎたりすると、信仰を放棄する可能性がある。
③パウロ自身もまた、教会とともにその人を赦す用意ができている。
④その赦しは、裁き主であるキリストの御前での赦しである。

(2)サタンの策略(2コリ2:11)
2Co 2:11 それは、私たちがサタンに乗じられないようにするためです。私たちはサタンの策略を知らないわけではありません。
①サタンは、光の天使に変装する(2コリト11:14)。
②罪に対する厳しさと、悔い改めた人を赦すという恵みの側面
③サタンの策略とは、「罪に対する厳しさ」だけを主張することである。
④サタンは良いことを主張することで、結果として、自分の願望を達成する。
※厳しくある必要はあるが、人の魂を破壊しようとすることは悪魔の策略に乗っかっている。その人を通して、悪魔が光の天使として語っている、とさえ言える。

Ⅲ.パウロの動機を疑う者たちへの応答(4:1~2)

1.使徒としてのパウロの姿勢
2Co 4:1 こういうわけで、私たちは、あわれみを受けてこの務めについているので、落胆することがありません。
2Co 4:2
かえって、恥となるような隠し事を捨て、ずる賢い歩みをせず、神のことばを曲げず、真理を明らかにすることで、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦しています。
(1)パウロには、新しい契約に仕える務めに召されたという認識があった。
①彼は、恥ずべき隠されたことを捨てている。
②彼は、悪巧みに歩むことがない。
③彼は、神のことばを曲げないで語っている。
④彼は、真理を明らかにしようとしている。
⑤彼は、神の御前で自分自身をすべての人の良心に推薦している。

2.人々が救われない理由
(1)人々が救われないのは、伝える側の問題ではなく、聞く側の問題である。
①彼らには、霊的な覆いがかけられているので、福音が理解できないのである。
②それは、この世の神(サタン)によって心の眼をくらませられた状態である。
③そのために、キリストの福音が放つ栄光の光が彼らの心に届かない。
④天地創造の時に、闇の中から光が輝き出るようにされた神は、パウロの心にも同じことをしてくださった。その結果、パウロの心にキリストを知る知識の輝きが与えられた。
⑤それゆえ、パウロに誇るものはないし、自分の偉さを宣べ伝える必要もない。
※偽教師は自分が何ができるか、何をしてきたかをくどくど言うが、パウロはそうではない。
⑥パウロの願いは、人々に仕え、キリストを宣べ伝えることだけである。

Ⅳ.エルサレムの聖徒たちへの献金(8~9章)

1.当時パウロは、エルサレム教会を助けるために、異邦人信者からの献金を集める計画を実行中であった。
(1)先ず、マケドニアの諸教会の献金に対する姿勢が素晴らしいことを伝える。
①彼らは、激しい試練と極度の貧しさの中から、惜しみなく捧げた。
②彼らは、自ら進んで、力以上に捧げました。

(2)献金を捧げるのは、恵みによる。
①コリントの信者たちは、信仰にも、ことばにも、知識にも、熱心にも、愛にも富んでいた。
②これらの点で富んでいるというのは、神の恵みがあったからである。
③「この恵みのわざ(献金)にも富むようになってください」と勧めている。
④献金を捧げるのも、「恵みによるのだ」ということを教えられる。

(3)第3のこととして、主イエス・キリストの姿を思い起こさせている。
①主は富んでおられたが、私たちのために貧しくなられた。
②それは私たちが、キリストの貧しさによって富む者となるためである。
③つまり、キリストの犠牲によって罪が赦され、神の子とされるということ。
④パウロは、献金の原点はキリストの中に見出されると教えている。
⑤コリントの信者がエルサレムの信者の欠乏を補うなら、彼らの余裕が逆に
コリントの信者の欠乏を補うことになる。
*エルサレムの信者が持っている余裕とは、霊的なものである。
⑥ロマ15:27
Rom 15:27
彼らは喜んでそうすることにしたのですが、聖徒たちに対してそうする義務もあります。異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので彼らに奉仕すべきです。

Ⅴ.パウロの使徒職を疑う者たちへの応答(10~12章)

1.パウロの権威を軽んじる者たちへの反論
(1)「パウロは面と向かうと弱気だが、遠く離れて書く手紙では強気だ」
①パウロの願いは、訪問する際には、強気にふるまわなくてもよいように。
②つまり、コリントの信者たちが悔い改めと従順に至ってくれるように。

(2)真の悔い改めがないなら、パウロが取るべき行動は非常に厳しいものになる。
①コリントの信者たちを完全にキリストに服従させる。
②彼らの従順が完全になる時、あらゆる不従順を罰する。
③働き人が主の権威によって立てられているなら、その働き人に従うことは
主に従うことである。
※そうではない指導者も居る。主の御心を語っているか吟味する必要あり。

2.反対者との対比
(1)エルサレムから下って来たユダヤ人の偽教師たちの存在
①彼らは、パウロの権威を否定し、コリント教会をその支配下に置こうとした。
②パウロは、偽教師たちと自分を比較し、正しく判断するように迫っている。
③彼らは、自己推薦や、仲間内での比較によって、自分を誇ったりした。
④パウロは、自分はそのような愚かなことはしないと語っている。
⑤偽教師たちがコリントに乗り込んで来たのは、越権行為である。
⑥クリスチャンは、他の人の働きを自分の手柄にするようなことはしない。

3.自分を売り込むパウロ
(1)パウロは、今まで否定してきた自己推薦を始める。
①パウロは、コリント教会の信仰の回復のために、あえてそれを行う。
②彼は、愚かさをこらえてほしいと願う。
③パウロは、偽教師たちに対抗するために、皮肉たっぷりに、自分は「あの大使徒たち(十二使徒たち)」に少しも劣るところはないと語る。

(2)無報酬の奉仕
①当時、哲学の教師たちは、報酬を得て教えるのが常識であった。
②ところがパウロは、天幕作りの仕事で生計を支えながら自給伝道をした。
③無報酬での働きが可能になったのは、他教会からの援助があったから。
④コリントで伝道する間、パウロの困窮を補ったのはマケドニアの諸教会で
あった(ピリ4:15参照)。
⑤今後もコリントの信者たちに経済的負担をかけないと表明する。
⑥パウロは、現に宣教活動をしている教会からは決して援助を受けないこと
を原則にしていた。偽教師たちの批判を封じるためである。

4.自分を誇るパウロ
(1)パウロは、気が進まないことをあえてしている。
①多くの敵対者たちが人間的誇りを語り、信者たちが影響を受けている。
②パウロは、信者たちに気づかせるために、「誇る価値のないこと」を誇る。
③コリントの信者は賢いのだから、自分の自慢話を喜んで我慢してくれるだ
ろうと語っているが、これは、パウロ独特の皮肉である。
※皮肉が分からない人は、この手紙の痛みが分からない。

(2)パウロは、使徒として、柔和と寛容をもって彼らに接してきた。
①ところが彼らは、そのパウロを「弱すぎる」と判断し、高圧的に出てくる偽使徒たちの教えに従っていた。
②人を支配しようとするのは、本物の使徒がすべきことではない。
③パウロは再び皮肉を込めて、「私たちは弱かったのです」と書いている。

(3)民族的誇り
①「彼らはヘブル人ですか。私もそうです」
*ヘブル人とは、パレスチナ出身でヘブル語を話すユダヤ人のこと。
*ギリシア語を話すユダヤ人たちは、ヘレニストのユダヤ人と言われた。
②「彼らはイスラエル人ですか。私もそうです」
③「彼らはアブラハムの子孫ですか。私もそうです」
④確かにパウロは、8日目に割礼を受けたユダヤ人でした(ピリピ3:5参照)。
※言わなかったけど、彼ら(偽教師)と同様に語る資格がある。

※手紙は口述筆記させてると思われる。おそらく、机を叩きながらしゃべってる。

(4)キリストの僕としての証拠
※キリストのために苦しんで来た者が使徒としてのしるし。
①ここから「愚か者」の誇りでなく、「狂気した者」の叫びのようになる。
②パウロは、キリストの僕としての弱さ、また労苦を数え上げている。
③ルカが書いた「使徒の働き」は、パウロの伝道活動のほんの一部である。
2Co 11:23
彼ら(偽教師たち)はキリストのしもべですか。私は狂気したように言いますが、私は彼ら以上にそうです。労苦したことはずっと多く、牢に入れられたこともずっと多く、むち打たれたことははるかに多く、死に直面したこともたびたびありました。
2Co 11:24 ユダヤ人から四十に一つ足りないむちを受けたことが五度、
2Co 11:25 ローマ人にむちで打たれたことが三度、石で打たれたことが一度、難船したことが三度、一昼夜、海上を漂ったこともあります。
2Co 11:26 何度も旅をし、川の難、盗賊の難、同胞から受ける難、異邦人から受ける難、町での難、荒野での難、海上の難、偽兄弟による難にあい、
2Co 11:27 労し苦しみ、たびたび眠らずに過ごし、飢え渇き、しばしば食べ物もなく、寒さの中に裸でいたこともありました。
2Co 11:28 ほかにもいろいろなことがありますが、さらに、日々私に重荷となっている、すべての教会への心づかいがあります。
④主とともに苦難の道を歩んでいることこそ、キリストの僕の証拠である。

※ここには栄光の神学(勝利者の神学)のイメージは無い。

(5)弱さを誇るパウロ
①「もし誇る必要があるなら、私は自分の弱さのことを誇ります」(30節)
②弱さの中に働く神の力と恵みとを証しすることで、御名をほめたたえる。
③14年前の自らの超自然的な体験を明らかにする。
*第3の天にあるパラダイスに引き上げられた。
*彼は、人間には語ることを許されていないことばを聞いた。
④その素晴らしい体験の直後に、「肉体に一つのとげ」が与えられた。
*目の病気、熱病、迫害、等々、さまざまな意見がある。
*ここはむしろ、明らかにされていないことに意味がある。
*「私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです」
※傲慢にならないようにするためのトゲ(弱点)
⑤これを取ってくださいと、3度も主(キリスト)に願った。
⑥「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである」

(6)あの大使徒たち(エルサレムの十二使徒たち)との比較
①使徒のしるしは、彼らの間でなされた「あの奇蹟と不思議と力あるわざ」。
②超自然的な業(わざ)全般を、3つの角度から見たものと考えたほうがよい。
③最後にパウロは、使徒としての特権を用いなかった(コリントの信徒たちに経済的負担をかけなかった)ことについて、謝っている。
④一方パウロは、主の働き人が霊の子供たちから経済的支援を受けるのは当
然であると語っている(1コリ9:3〜14)。

(7)コリントの信者たちは、偽教師の教えに従うか、パウロの教えに従うかの選択を迫られた。
①パウロは、次の訪問の予告を語る。
②コリントの信者たちを処罰するのは、パウロの本意ではない。
③彼が最も願ったのは、彼ら自身が信仰者として自己吟味をすることである。
④パウロは、彼らが信仰の歪みを矯正し、完全に正常な姿に立ち戻るようにと祈っている。

感想

コリント人への手紙第二で、傲慢にならないようにするためのトゲ(弱点)の話ありましたけど、ポジティブですね。1つや2つ弱点があったほうが、むしろ、ちょうどいいってことです。

傲慢がダメな理由ですけど、「傲慢=悪」っていうふうに、ネガティブなワードだからダメって、いきなりリンクしちゃってる人も多いと思います。私はちょっと考え方が違う気がします。傲慢になると、自分は完璧だ!最高だ!と思ってしまって、それ以上、成長も発展もしなくなるってことですね。

「自分は弱点があるせいで、No.1にはなれないかもしれない、だからこそ努力を続けないといけない」って思えることこそが、むしろ幸いってことですね。甲子園では負けた、元・楽天の田中将大投手をちょっと連想します。

追記。幸いとは書きましたけど、じゃあ、甲子園で勝った斎藤佑樹投手のほうはダメだったのか?というと、必ずしもそうでもないです。甲子園で勝ち切ることにより、野球や現世への執着を無くせたとは思います。人生2周目に早々に入れたということです。それもそれで幸いとも言えます。田中投手のほうの幸いというのは、現世での幸いです。資本主義的には、田中投手のほうがフィットしているというだけです。

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