存在意義
全てでは無いにしろ、大多数の人間はこの社会で生きていく上で《存在意義》を求めていると思う。自分が自分としてこの世に存在している《価値》とか《尊さ》を探究する。高度な知能を持つ人間だからこそ、そういうところに思いを馳せる事ができる。
しかしその思考に思いを巡らせる時間は、全くもって無駄である。
そもそも、人間という物理的存在に存在意義や価値などない。《この人がいなければ社会が回らない。全人類が生きていけない。世界が終わる。》なんて人は誰一人として存在していないからだ。その人がこの世界に存在しているという事実以外の現実はないのである。
たまに《あなたが居なければ会社が回らない》とか《あなたは社会に必要な人間だ》とか《僕(私)が居なければみんなが困るから》とか、こういう言葉を耳にするが、はっきり言ってそんな事は全然ない。何故なら、あなたが入社する前から、会社は回っていたし、あなたが生まれる前から社会は形成されていたし、僕(私)が居なくても生きていけない程困る事はまず無いからだ。
僕やあなたが居なくても、社会や世界は何の問題も滞りもなく回り続ける。僕たちが生まれる前からそうだったし、僕たちが死んだ後もそうなのだ。
例えばノーベル賞を受賞したアルベルト・アインシュタインにしても、マザー・テレサにしても、彼らでなければ出来なかったなんて事はない。彼らがやらなくても、他の誰かがやっていたと思う。ただ、成したのが彼らだった。ただそれだけなのだ。
その人にしか出来ない事なんてものは無い。その人がやらなくても誰かがやってくれる。それが世界だ。それを成したからといってその人が特別な存在なわけではない。
ただ、その人はそれを成そうとしたからこそ成せたのだ。誰でもいいし誰がやってもいい事をその人は自分が成そうと思い、その意志の下に行動した。だからその存在に《価値》や《尊さ》が付随したのだ。
であるなら、志こそ存在意義で、それを思考し、選択し実行するのは自分で、そこにこそ自分自身の存在意義を見出す事ができるのではないだろか。
何を成すかではなく、成そうと志し、動く事こそがその人間の存在意義なのだと思う。