【2024.11.7版】自己紹介¦はじめてのnote
はじめまして。よくいるだろう社畜です。数人ばかり部下をもつ、プレイングマネージャーと呼ばれる生き物です。
日々の仕事はフルリモートワーク。朝起きてとりあえず程度に身嗜みを整えて、カメラオフの定例をこなし、日中は部下のフォローや突発の打ち合わせで時間が過ぎ、定時後にようやく自分の仕事を終わらせて、気絶するように寝る。衣食住も「健康で文化的な最低限度の生活」とやらにコストを掛けられる余裕もないまま、ただ「会社員」であるから働いている。──きっと、今の世の中では珍しくもないだろう社畜です。
新人のとき、お世話になっていた先輩が言いました。
「働くというのは、時間をお金に替える作業だ」と。
「けれど、それだけでは味気無いし、モチベーションにもならないから、プラスアルファを得られる現場で働くのだ」と。
そのプラスアルファは、例えば我らエンジニアの好奇心を擽る新しい技術を得られることだったり、チームメイトに恵まれていて、お互いに最高のパフォーマンスで働けることだったり……様々ありますね。
けれど今これを書いているのは、ただ働くために働いているだけの人間歯車に成り果てた社会人です。
忙しさと無気力にかまけて胃壁の保護だけを目的にした食事(飲むヨーグルトと水)で半日過ごすことも稀ではない、不健康な食生活。
デスクに釘付けになって運動量もなく、リモートワークの恩恵で通勤ラッシュのストレスはなくとも体幹が衰え。
出社日は満員電車のストレスで一日中呑気症の空吐き地獄に相見え、隔日で降って湧くハラスメントには怒りを燃やし。
当然心身共に擦り切れて、疲労は抜けず、常時偏頭痛が付き纏い、自律神経の失調に伴って生理も悪化してうつ症状も出てくる始末。なんとか体を動かすための冷食やエナジードリンクや冷えピタ、EMSやら入浴剤で稼いだお金はあっという間に消えていく。
もはや、「お金を稼ぐために働いている」ですらないのです。
働いては体を壊し、休める隙間には文字通り気絶しながら睡眠を摂り(5分以内に入眠するのは得意です)、働くために栄養剤を摂取する、──いなくなればしばらくは困ることもあるけれど、それなりに調整をすればなんとかなる──人間歯車です。
さて、よくいるだろう、とは書きましたが。よくいて堪るか、という気分で認めています。
そんな、消耗するばかりの「人生」が。
ただただ摩耗していって、他人の生活に多少なりとも寄与したかもしれないけれど、自分の充足を放棄したような「人生」が。
よくあって堪るものですか。
忙しすぎる日々は半ば夢のように過ぎていくけれど、これは目が覚めたら2周目がスタートする訳でもない、現実の1度きりの「人生」で。
30も半ばになれば、不意に亡くなる方だって(悲しいかな)今は珍しくもなく。
「あ」と言った、その瞬間命が潰えたときに、後悔しない人生を送っていく。
私の座右の銘は、それであった筈でした。
8月のお盆明けに、転職を考えました。
ここ5年はのめり込んでいるFF14の開発スタッフ募集のページを幾度となく読み込んで現実逃避を図っていました。
転職エージェントさんにも有難くも様々なスカウトを頂きながら、けれど「果たして、転職したところで私は自分の人生を生きられるのだろうか」と首を傾げました。
結局、エンジニア然り、PM然り、やることはどこも大きな違いはないものです。人が違い、風土が違い、案件が違っても、高がそれだけ。恐らくは、別の場所で社畜をしているだけだろう、と思ってしまいました。
東京は狭い。窮屈だ。よく零していた事でした。
たまに海や山に遊びに行って、解けるように肩の力が抜けるのが好きでした。大学生の頃に行った旅行先で、古民家を活用した移住促進活動の案内に心を踊らせたことを思い出しました。
移住をしようか。
地域おこし協力隊という制度があるらしい。当時は「定年退職したら移住して古民家に住む」と言っていたものだったけれど、どうせボロ雑巾のようになった定年後に、新しくなにか事を始められる余力はないだろうし、やるならまだ燃やせるもののある今の内だ。
萩市の城下町や、二の丸に残っている古民家は確かに魅力的だけれど、「地域おこし協力隊」という目で見るなら、まだまだ手付かずなところが多く残っていそうな場所がいい。
空港までの湾岸沿いで見た、透き通った碧。あの海を見ていたい。
萩市のお隣、長門市に地域おこし協力隊の募集が掛かっていました。申し込み締め切りが、運良く翌週まででした。
ちょうど一昨年の今頃に、「山口の海を見るドライブツアー!」と銘打って、レンタカーで宇部空港から石見空港まで走る旅をしたときに通った町。
青海島を一周ぐるりと回りながら、青の洞窟さながらの絶景を堪能した場所。
ミッション内容も私に都合良く、デジタル化が織り込まれたもの。
SMOUTという移住希望者のマッチングサイトの中で移住者であり元協力隊の市役所職員の方とお話をし、中間支援団体の方も交えた面談も行わせて頂いて、「やりたい」ことの想像が広がっていきました。
転職を思い立ってから2週間。協力隊申し込み締め切りの数分前に、滑り込むように応募用紙を送りました。
1週間ほどして、一次通過の案内が来ました。
9月の月末には二次選考兼お試し地域おこし協力隊として長門市に行き──予定していた便が全て満席になっていて大層慌てたのですが、5分ばかりの間に何故か、譲られたかのように席が空いて、無事に工程を終えることが出来ました。私の旅程には何故か度々このような豪運が起こります。
10月初旬、内定通知を頂きました。
会社には退職の意向を伝え、1月末をもって終了と決定しました。
そして恐らく、2~3月には引っ越しやらなにやらをし、4月からは身寄りのない新天地で、今までの給料の1/3の収入をやりくりしながら、今までの仕事とは全く異なる活動をしながら生きることになります。
人生を180°変えるのに、2ヶ月でもお釣りが来てしまうことが実証されてしまいました。
さて、自己紹介に戻りましょう。
「よくいる社畜」改め、「弾丸移住を決行する破天荒」、名ばかりは太平の、凪と申します。
自己紹介らしからぬ長文にお付き合い頂きました方には御礼申し上げます。終わりと始まりの間に認める自己紹介として、それなら経緯を丸ごと書いてしまうのが「私らしさ」も伝わる自己紹介になるかと思ってみた所存です。
どれだけ続くことやら、と思いはするものの。
私という一人の人間が、ひとつの自由意志をもって生きているのだという記録を吐き出しに、また都度都度この場をお借りしに参ります。
来年、再来年の自己紹介が、人生を謳歌しているものになりますよう願って。
凪
サジェストされていた #想像していなかった未来 に応募をさせて頂きました。
「なんとか火消しも落ち着いた……」とくたばっていた8月冒頭の私にはとても想像していなかった未来を今、生きています。……と、いうことでひとつ。