見出し画像

◎自己紹介note

●はじめに


45歳の誕生日に漠然と
この先の人生
今のままの自分じゃ嫌だ
と思いました…

🔍【脱悲劇のヒロイン

これまで何度も
「いまの自分を変えたい!」
と思うことはあったけれど

言い訳ばかり考えて逃げていました…

「離婚したら変われるはず!」
と思っていたのに
現実は何も変わらず自己嫌悪に陥る日々

結局は自分が変われないことを
周りの人や環境のせいにしていました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そんなときにインスタで
50代の方の『ミニマルな暮らし』に出会い

(ミニマルとは:自分にとって必要なモノだけを持ち
                 豊かに生きること)

過去や未来に執着せず
要らないモノを手放し
いま目の前の暮らしを楽しむ

私もそんなシンプルな暮らしがしたい!
と思いました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そこから1年間コツコツと
いま要らないモノを手放すことに向き合い

🔍脱汚部屋 Before→After 99日目
🔍最後の汚部屋 和室DIY

汚部屋が整ってきたこと以外にも
私がずっと変わりたかった
考え方や価値観にも変化が出てきました

🔍進め!40代

インスタでの発信は
ついつい一方的になりがちですが
今回私がいままでどんな人生を送ってきたか
皆さんに知っていただくことで

「私と似てる」
「私もそうだった」
「そんな過去が!」などなど

このnoteをきっかけに
より皆さんとの距離が縮まれば嬉しいです!


●私のベース

家族紹介

ちこ 46歳 シングルマザー      
      ・いまの自分から変わりたいと
                         常に思っている
      ・大人数より1人がいい
              ・INFJ+HSP
      ・自然の中で過ごすのが好き
      ・何より子どもたちが大好き

家族:長男 高校1年 
      ・恐ろしいほど冷静沈着マイペース
      ・分け隔てなく相手を認めて
                         尊重できる仏のような人
      ・推理小説が大好き!
   次男 中学1年 
      ・典型的なHSC
                        
(ハイリー・センシティブ・チャイルド)
      ・反抗期に片足突っ込み中の甘えん坊
      ・お料理上手!
   杏・ねね(犬) 7歳と1歳

 築33年4LDKの中古住宅暮らし

   彼:マッチングアプリで出会って4年目
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

母との確執原点

今回改めて私の人生を振り返ったとき
根本にあるのは母の存在だと気付きました

博識が高く 料理も裁縫も園芸も
なんでも出来る母でした🌼

幼少期の記憶はほとんどありません

ただ3歳からピアノを習い始めたことだけは
覚えています

毎朝 幼稚園へ行く前と
帰宅してから寝る時間まで
家にいる間はずーーーっとピアノの練習

「本当はもっとお友達と遊びたい…」

本心を伝えることで
母を怒らせてしまうと思い
素直な気持ちは言えませんでした💦

常に母の顔色を伺い
母に喜んでもらえるように…
認めてもらえるように…

そう思って過ごしてきました

私にとって『家』は安心できる場所ではなく
本当の自分を隠さないといけない場所でした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

16歳まで続けたピアノですが
ある時 音大入学を目指し
レッスンをお願いしていた先生が急逝されたことで

私を「プロのピアニストにする」という母の夢は
閉ざされてしまいました

正直私はピアノが嫌いでした

ピアノを弾くことは好きでしたが
母との厳しい練習がつらく
苦しかったです💦

何度も「やめたい」とお願いしても
聞いてもらえませんでした…

母が私の音大入学を諦めたとき
私の身体に巻かれた重い鎖が
やっと解かれた感覚を覚えています

それ以来 母の前でピアノを弾かなくなりました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大人になった今でも
私の人格を決めつけて
否定されることがあります

何度も歩み寄ろうとしましたが
その度に感情的になることに疲れて
離婚と同時に母を避けるようになりました…

ただ孫に対しては協力的で
息子たちが幼いころから
食事やお風呂など
本当にたくさん助けてもらいました✨

一緒にランチをしたり買い物へ行ったり…
母娘で仲の良い人たちをみては
「うらやましいな」と思うことがあるけれど

付かず離れずほどほどの距離感🫧

私たち母娘にはその位がちょうど良いのかもしれません

母と絶縁したいとは思っていないし
困ったときは協力し合っています
ただ親子ではあるけれど母を1人の人として尊重し
私も「理解して認めてもらおう」という気持ちは
持たないようにしたら少し気が楽になりました

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

10代の私

3歳上の兄の影響で
私も中学受験をしましたが失敗🏫

さらに自尊心が低下し
別の中学へ進学後も劣等感や嫉妬に苛まれ
「どうせ私なんて…」と自信が持てず
友人関係もうまく築けませんでした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

17歳のときにオーストラリアの高校へ
短期留学したことをきっかけに
多様性を尊重する文化に触れて

「周りの人と違っても
 私は私らしく生きていいんだ」
と初めて思えました✨

ただ日本へ帰国してから
女子校という独特の世界の中で
”他と群れないこと”に対して
心ない言葉を言われたり

これまでの人生
他の人より秀でているのはピアノしかなかったのに
それも途中でやめてしまい

私は"得意"なことが何もない
ダメな人間なんだ
と思うように…💭

勉強をする意味もわからなくなり
学校へ行けなくなりました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「高校卒業後はバイトして働けばいい」
と思っていたある日

偶然見かけたマチュピチュ遺跡の写真に目を奪われ
「ここへ行ってみたい!」という気持ちから

南米や日系外国人労働者に興味を持ち
大学へ進学してもっと学びたいと
思うようになりました✨

高校へ復学し
推薦入試を受けるために勉強を頑張り
無事 希望していた大学へ入ることができました🌸

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

大学へ進学し
新たな環境での友人関係は刺激的でしたが
同世代の同性との関係には依然として悩み続け
相手からどう思われるか怖くて
本心を言えないままでした…

自信のなさから
「他人と自分を比べること」をしていたので
友人の中でも居心地が悪かったんだと思います

逆に異性や異年齢のお友達とは
見栄を張ることなく素の自分で付き合えて
楽しい思い出がたくさん出来ました!

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

破天荒だった20代の私

20歳のときに
片思い→人生最大の大失恋を経験したあと
(離婚よりツラかった笑)
同じ研究室の仲間と
お付き合いすることになりました

初めて両親に紹介した人です!

彼とは一緒に車で全国を旅したり
アメリカ周遊もしました・・・✈

結婚の約束もして親同士の交流もありました

でも交際から3年目に
彼が仕事を辞めてから お金のトラブルが続き
(気付けば100万以上 彼に貢いでた…涙)
最終的にお別れすることになってしまいました

その後も20代の恋愛は
お付き合いした人に依存するタイプで
好きな人の気持ちを無理やり繋ぎとめようとしていた…と思います←反省
その分 もっと自己投資に時間を使えばよかった涙

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私も体調不良から仕事を辞めニートになり
『彼との結婚』という夢も失った24歳

同世代の女の子たちが仕事もプライベートも
満喫している一方
私はニート生活を送っており
「これからどうしよう…」と焦っていた時期でした

この先どうするか考えたとき
ずっと私の心に引っ掛かっていたのは

当時入院中の祖父母の
「家に帰りたい」
という願いを
叶えてあげられなかったこと…

その頃はまだ介護保険制度も始まったばかりで
在宅医療の体制は今ほど整っておらず
共働きの両親も対応できませんでした

慣れない病院で不安そうに過ごす祖父母を見て
「自宅で看取ってあげればよかった」と
後悔しかなかったので

自分の目の前で苦しむ人をサポートしたい!

という目標が出来て
ニート生活を抜け出し
専門的な知識を学ぶ決意をしました✊✨

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

専門学校へ入るための
学費を貯めようと再就職し(←24歳)
留学もしたいと
駅前留学で英会話を学び始め(←24歳)
カナダの語学学校へ通う夢も叶いました(←25歳)

カナダへ行くことは誰にも相談せず
私1人で決めて 手配完了後に両親へ報告しました
(まったく反対されませんでした笑)

この時に出会った様々な国籍の友人が
その後の私の人生で本当に大きな影響を与えてくれました🇨🇦✨
(バンクーバーの街もステキだったので
 いつか息子たちを連れて行きたいです)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

帰国後は専門学校へ入学し
同じ志を持つ仲間と充実した日々を送りました📝

勉強以外にも一緒に富士登山をしたり
駅伝大会に参加したり…
26歳で学生生活を満喫していました!!

こう振り返ってみると
幼稚園の頃からずっと人間関係で悩んでいたのに
誰も知り合いがいない環境へ飛び込んでいく
決断力と行動力はあったんだなーと思います
(きっと17歳のときのオーストラリア留学の経験が生きていると思う)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

卒業後 新しい職場で
キャリアを積むことに集中しました💻

周りの友人たちは30代独身で
自由な働き方をしつつ

国内外問わず旅をしたり
好きなことに挑戦していて
当時の私にとっては憧れの存在でした❤️

バリバリ働いて 旅を通して人生を豊かにする!

私もそんな30代を過ごしたいと思っていました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

就職して1年が過ぎたころ
偶然ある人(元夫)と再会し
その後 妊娠していることがわかりました

私の人生 急展開ばかりです笑💦

20代は
・大失恋
・彼とアメリカ旅行
・兄とオーストラリア横断旅行
・彼に貢ぎ過ぎてお金なくなる
・婚約破棄
・ニート生活
・再就職
・英会話習う
・カナダ留学
・専門学校入学
・初富士登山
・彼と初同棲
・転職
・元夫との再会
・長男出産
いま思い返すだけでも
この10年ですごい経験ばかり✨

ツラいことも多かったけれど いま思い返せば
すべて『今の自分』へ繋がる
貴重なことばかりだったな~と思えます✨
こんなにもいろんな経験ができたのも
若さと勢いと独身だったからかなー
(今も独身ですが…)

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

●人生の分岐点

交際0日で結婚した話

新しい職場で働き始めて2年が経ったころ
1人の男性(元夫)と再会する機会がありました

大学時代のバイト先の息子で
数回だけ一緒に働いたことがあります

彼(元夫)が新しくオープンしたお店で再会し
連絡先を交換
その後 頻繁に会うようになりました✨

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

友人と訪れた韓国で
車酔いがひどく何も食べられなくなり
帰国後の検査で妊娠がわかりました✨

当時私は結婚に興味がなく
30代も仕事に打ち込みたいと考えていたし

彼(元夫)とは
「お付き合いしましょう」
「そうしましょう」
という話はなく
将来について具体的に考えていなかったので

突然の妊娠に驚きつつも
「絶対にこの子を産みたい!」と思いました!

私が母親になれる喜びは大きかったです!!

ただ彼(元夫)は私に隠していたことがあり
入籍までに さまざまな出来事がありました涙

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

理想と違った結婚生活

20代独身の自由な生活から一転

初めての出産や育児に直面し
私の人生は大きく変わりました…

・育児本通りに進まない授乳
・毎晩の夜泣きで睡眠不足
・突然死が怖くて目を離せられない

トイレや食事も自分のタイミングで出来ず
テレビや新聞も見れず…
時間があるなら寝ておきたい一択で

社会から孤立していく日々

理想の子育てとはかけ離れた現実に
育児ノイローゼになってしまいました💦

飲食店を経営する元夫は
年間30日ほどしか休みがなく
生活リズムも私たちとは真逆

サラリーマン家庭で育った私は
休日は家族一緒に過ごすことが当たり前だったので
彼との"家族"に対する価値観の違いに悩みました

それでも私が頑張ることで
「彼は変わってくれるはず」という
一方的な期待を抱きながら

長男が1歳半のときに私は仕事復帰をし💻

朝から夕方まで働いた後に
深夜まで元夫のお店を手伝い🍽️

毎日倒れる間もないほど働きました

入籍と同時に購入した自宅は
”寝に帰るだけの場所”になり
理想の結婚生活とは程遠い日々を送っていました

元夫は「自分時間優先」
私は 「子ども時間優先」
ここをお互いに擦り合わせて受け入れることが
出来ませんでした…

休みの日は1人で
朝から夜まで自分の趣味に時間を使う元夫に対して
次第に不信感が募り
「許せない」「信頼できない」という感情が
芽生えていきました

いま考えてみると
いろいろな夫婦・家族の形があるので
『我が家の形』を作ることが出来たら
良かったのかもしれません
私自身も頑なに自分の理想の家族像を
彼(元夫)に押し付けていたな…と反省しています

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

離婚を決意した日

「家族優先に考えて欲しい…」
そうお願いした話の流れで

家事や育児が1人で出来ない私に対して
「お前は家政婦以下だ」
と言われてしまいました

それまで かろうじて繋がっていた心の糸が
プツっと切れた瞬間でした✂️

🔍私が離婚した理由 51日目

仕事と子育てでいっぱいいっぱいで
家事を後回しにし
部屋の中が荒れ始めたころに言われた言葉でした

もちろん他にも離婚を考えた理由は
いくつかあります

この先の人生もずっと
子どもを理由に我慢し続けることは嫌だったし

不信感を抱いていた元夫と一緒の未来が
幸せになるとは思えませんでした

結婚11年目のときに
私から元夫に「離婚したい」と伝えました

🔍子供のために離婚しない⁉
🔍離婚って悪いこと
🔍家族とは?休日の過ごし方

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

離婚調停について

話し合いができない2人だったので
最初から協議離婚は難しいだろうな…
と思っていました

ある日 義母が訪ねてきて

「すぐに籍を抜いて欲しい」と言われました

婚姻費用としての生活費は
渡すつもりはないとのこと…

私が義母に会ったのはそれが最後です

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

財産分与や養育費の額でモメると思ったので
弁護士にお願いしようと考えていました

でも最初に相談した3人の弁護士からは
親身になってもらえず…
「子どもが成人するまで我慢したらどうですか?」
と言われたこともありました💦

それでも私の気持ちは変わらなかったので
知り合いに女性の弁護士を紹介してもらいました

費用を抑えるため
・過去5年分の家計簿
・夫の今までの収入証明
・銀行通帳の出入金履歴
・証拠写真や発言の詳細メモ
 などなど

調停員に提出する添付資料は自分で作成しました📝

仕事と並行して準備するのは
精神的にも体力的にも本当に大変でしたが
弁護士の存在により
元夫や義両親と直接話をしなくて良いのが
何より救いでした…

お互いの主張がズレていて
結局 調停成立までに1年もかかってしまいました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

離婚調停ではそれぞれ別室に通され
双方の意見を調停員から聞かれます📣

別室とはいえ
駐車場やエレベーターなどで
元夫に会うのが怖くて
ビクビクしながら通いました💦

あるとき 突然 調停が成立しました

お互いの弁護士同席のもと
双方が同室で調停条項の確認をしますが

当時の私は元夫の顔を見ることも出来ないほど
拒絶していました

🔍信じられない 元夫を許す

精神的に追い詰められていた時期でした
でも結論から言うと
わが家の場合は弁護士に依頼して良かったです!
お陰で この家に住み続けることができたし
離婚した後も”弁護士”の名前を出すだけで
元夫はすぐ対応してくれるようになりました笑

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -

●自分で選んだ道

シングル生活スタート

離婚することは先に長男に伝えました
当時12歳の彼は
冷静に受け入れてくれました

とても繊細な内面を持っている次男には
"離婚"という言葉を使わずに
「パパとは別々に住むことになった」
とだけ伝えました

離婚当時12歳と9歳の息子たち

元々 父親と一緒に過ごす時間が少なかった
我が家の子どもたちにとって
『別々に暮らす』ことに対して
あまり違和感はなかったようです

ただ子どもたちからお願いされたのは
・このまま自宅に住み続ける(転校したくない)
・苗字を変えない

この2つでした

◎自宅は残ローンを私が支払い
 登記の名義変更をしたことでずっとこの家に住めることになりました

◎苗字は元夫の姓のままにしました

🔍離婚の条件

離婚して困ったことは…正直ないです😂

🔍離婚して良かったこと 5選

重い荷物を運んだり
高いところの作業は長男がやってくれるし

私が忙しいときは
次男が気付いて協力してくれます

🔍気遣い男子の育て方
🔍私は正直…

逆にそれまで元夫へ気を遣っていたことがなくなり
物事がスムーズに進むことが増えました
(特に食事メニューはストレスが無くなりました笑)

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

婦人科系の病気で手術

離婚調停のための資料作りで忙しかったころ
仕事中に下腹部に鈍い痛みを繰り返すことが
半年ほど続きました

当初はPMS(生理前症候群)かと思い
様子をみていましたが
次第に我慢できないほどの激痛になっていきました

病院受診を後回しにしていたとき
同世代のママ友が乳がんを患ったことをきっかけに
検査を受けに行った結果…

要精密検査となり
総合病院を紹介されました🏥

もともと生理不順で生理痛も酷く
月経過多だったため
「結果に影響したかな?」くらいの気持ちで
このときはあまり深刻に思っていませんでした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

精密検査の結果
子宮頸部高度異形成と診断され
子宮頸がんの一歩手前の状態であることが判明

さらにハイリスク型のウィルスに感染していて
放置すればがん化する可能性は高いとのことで
手術で頸部の一部を切除することを勧められました

離婚を決意したときは
「自分が子どもたちを守る!」
と意気込んでいたのに
どうすることもできない現実に
自分の無力さを痛感…不安でいっぱいでした

離婚成立から半年後 入院し手術を受けました

現在のところ予後は良好ですが
年に1度は検診を受けるようにしています
40代は疲労やストレスも多く更年期症状も始まります
ついつい自分のことは後回しにしてしまいますが
みんなには同じようなツライ思いをして欲しくないので
少しでも「おかしい」と感じたら受診してください!

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

マッチングアプリの話

病気のこと 仕事のこと 老後のこと
今後私に何かあったときの子どもたちのこと

それまで他人事と思っていた
たくさんの不安が押し寄せたことで
改めて自分のこれからについて考えました

そして
「なんでも話せるパートナーが欲しい」
と思うようになりました🌸

離婚してすぐは
「もう絶対恋愛はしない」と思っていたし

普段は職場と家の往復のみで
異性と出逢うきっかけもありません

偶然友人の1人からマッチングアプリの話を聞いて
(その子の担当美容師さんが
 アプリで彼が出来たという話)
「私もやってみようかな?」という
軽い気持ちで登録しました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

登録したばかりのころは
訳もわからずアプリに夢中になりすぎて

”恋愛ではなく生涯のパートナーを見つける”という
本来の目的を見失いかけていた時期もありました笑

マッチした中で3人の方とお会いしましたが
"将来のパートナー"と思える存在の方とは
出会えませんでした…

🔍マッチングアプリ失敗談

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

お付き合いして4年目に入った彼の話

「次で最後にしよう…」
そう思ったときにマッチングした人がいました

それが現在の彼です✨

🔍46歳 シンママ恋愛

お互いちょうど年末年始の休みが重なり
連絡も頻繁に取り合うことができて
マッチしてから1週間で会いました

第一印象は「チャラい人かな…」笑

私と同い年ですが
10歳くらい年下に見えました
(私の父は初対面の時に20代と思ったそう…汗)

でも実際の彼は穏やかな性格で
落ちついていて
一緒に過ごす時間も居心地が良かったです🌼

そして初めて会ったその日に
お付き合いを申し込まれて
「よろしくお願いします」と返事をしました

他にお会いした方と何が違ったのか…
それはただ単純に
「また会いたい!」と思ったから

興味のあることや将来のビジョン
彼とはそういうところが
自分と似ていると感じました💛

初めて会ったその日に
お付き合いをすることを決めるなんて…
自分でも驚きの展開でした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

"恋愛ではない…"と言いつつ
最初は嬉しくて
毎日電話で話していました☎️

ただ月日を重ねるにつれて
お互い不満に思うことや
理解し合えないこともあって
喧嘩も増えていきました…

過去の私なら"分かり合えない"と感じた時点で
別れる選択をしていたと思いますが
私は恋愛ではなく
”パートナーとして彼を選んだ”という事実と

汚部屋の片付けに挑戦することで
私の内面も少しずつ変化があり

彼の表面的な部分だけを判断するのではなく
もっと本質的な部分を理解しよう
思えるようになりました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

過去の恋愛や人間関係を振り返ったときに

私はいつも関係が上手くいかないことを
相手のせいにして
自分自身の考え方を省みることなく
来てしまいました

別れを選ぶのは簡単だけど
それは自分自身の弱い部分と向き合うことから
逃げているだけ
だと気付けました

”彼の存在に依存した生き方”ではなく
彼がいてもいなくても
”私の人生を豊かにするための考え方”
できるようになりたいと思いました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2025年のお正月で
彼と付き合って4年目に入ります✨

いまでは月に2~3回会ったり
週に2~3回電話をしています
(LINEは毎日しています)

彼のことは大切に思っているし
将来は一緒に住むのも楽しみですが

彼の存在に依存しすぎないためにも
私1人の時間も大切にしたいです!

「冷めてる」と思われるかもしれませんが…
私は過去の恋愛から相手に期待しすぎて
自分の時間や心も振り乱されて笑
それがお互いにとってマイナスだということに
気付いていませんでした
"恋愛"ではなく"人生のパートナー"として
相手に変わることを望むのではなく
どんな彼のことも受け止められる
自分でありたいと思っています

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

現在の私

彼への依存から抜け出すため
夢中になれることを見つけたくて
Instagramの発信を始めました

私と同じように
「いまの自分を変えたい」と思っている人が
一歩踏み出すきっかけになったら嬉しいなと思い
100日企画からスタート!
(この辺りから見てくださってるフォロワーさん!
 ありがとう♡)

🔍100日後に脱汚部屋するマイホーム 1日目/100日
🔍50日間のBefore→After

自宅の4LDKのうち
使っていない3部屋は荷物で溢れていました

もし荒れた部屋を整えたら
私はどう変われるだろう…

そう考えたときに
叶えたいことが次々に浮かんできて

・キッチン
・トイレDIY
・私の寝室
・子どもたちの部屋
・和室DIY

"いま要らないモノ"を徹底的に手放してきました

初心者の私には どれも大変だったけれど
キレイな空間が出来たときの達成感が
私の自信に繋がりました

そしてモノを手放すことの大変さを痛感しました

🔍失敗したっていいじゃない

正直まだまだ要らないモノはたくさんあります涙
これからも少しずつ見直して
必要なモノを必要な場所に…✨
家族みんなが暮らしやすい空間作りを目指します!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昨年の年明け 隣家が火事で全焼しました

当時インフルエンザで
体調不良の長男が在宅中で

火事に気付いたときは
燃え上がる炎に恐怖を感じ
外出中の私に電話で助けを求めましたが
私は電話に出ることが出来ず
長男に怖い思いをさせてしまいました💦

幸い通行人の助けで無事避難できましたが
長男は1年経った現在もPTSDを患っています

🔍理想の母親になれない自分

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

6月には私が膝の手術で約2週間入院しました

術後の麻酔の副作用で体調が悪化し
退院後も不自由な生活が続いています…

この時 家族や友人 近隣の方々から
たくさん助けてもらい
「自分一人で生きているわけではない」
と痛感しました

人生 突然想像もしていなかったことが起こります

この2つの出来事がより一層
家族と過ごす時間をもっと大切にしよう!
と思わせてくれました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

次男は先天性の心疾患があり
年に一度の検診を受けています🏥

主治医からは
万が一のことが起こるかもしれないから
「覚悟はしておいてください」と言われています

でも…覚悟なんて出来てません…

元気に運動できる今
やりたいことを やれるうちに やらせてあげたい
思っています✨

幼稚園の時は私のスカートの中に隠れ
足にしがみついて離れられない子でした

中学に入ってからは運動系のクラブに入って
平日の夜や毎週末 早朝から夜まで
練習を頑張っています

試合でボールを追って
一生懸命走る次男の姿をみることが
いま私の楽しみになっています🏐

私の子育てに対して
”甘やかしてる”とか”過保護”とか
言われることもありますが
私は2人の息子に出来る限りのことは
してあげたいです
育て方が正解とか間違ってるとか…
未来にならないとわからないことだし
過去を後悔しないために
『いま』できることを少しずつ積み重ねて
それが彼らの未来で
絶対的な自信に繋がればいいなと思っています
私も完璧な親ではないので
子どもたちと一緒に成長していきます!

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 

●おわりに

めちゃくちゃ長くなってしまいました💦
ここまで読んでくださって
ありがとうございます!!

いままでの自分を振り返ると…
人の顔色を伺って
勝手に結末を決めつけたり
上手くいかないことは周りのせいにして

自分で自分を生きづらくしてきた45年間でした

でも汚部屋を片付けていくこと
少しずつ自分に自信が持てて
「絶対無理!」と決めつけていたことも
一歩踏み出す勇気が湧きました✨

自分自身の変化を感じられるようになると
世界がどんどん広がって🫧

これからの人生が
とっても楽しみになってきました!!

あくまで部屋を片付けることは
叶えたい目標へたどり着くまでの過程であって
ゴールではないです

その過程が険しくて
他人から見たらとっても遠回りしていたとしても
そこで気付けたことや体験したことが糧となり
その先の可能性は無限に広がると思います

「いまの自分を変えたい」と思っていても
自信がなくて一歩踏み出す勇気がない人に

・フォーカスする位置を変えるだけで気付くこと
・他人に依存しすぎないで自分の人生を歩むこと
・踏み出した後の人生は無限に広がること
・何歳からでも変われるから諦めないこと

まだまだ未熟な私の成長過程を通じて
フォロワーの皆さんと一緒に
成長していける存在になりたいです!!

これから先の人生
『更年期』『子の巣立ち』『親の介護』
『50代からの生き方』『終活』
どれも未知なものばかりですが

恐れず…前向きに…

どんなピンチも笑って楽しみながら過ごせるように

残りの40代 心と体を整えていこうと思います!!
これからもよろしくお願いします🫶💕

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集