「信教の自由」にある矛盾
自分の母は数年前に聖和、死去しました。
父親は生きていて、プロフにも書いてあるとおり仲良くやっているのですが、
母親は家庭内ではとてもバイオレンスな側面が出ていたなと感じています。
教会の活動に関しては、毎週礼拝に行くのみではないほどの、本当に熱心な食口でした。
父親も信仰の度合いとしては一緒ですが。
就学以前、父はほとんど家にいないことが多くて、母親と一緒に家にいました。
父親は今では教会でなくても理想とされる、温和な性格、一方で母親には厳しくしつけられました。
普通に厳しいだけなら、後々振り返ってみて感謝したくなるかもしれませんが、
ここは食口の家庭。原理に逸脱するようなことがあれば叱られることも。
ただその内容に関して、ほとんど覚えていません。
その代わりに印象に残っているのは、食口の拉致監禁に対し、「信仰の自由」がどうこうと批判をしていたことでしょうか。
今振り返ってみると…
統一教会は、正体を明かさない勧誘や霊感商法をすることで一般的に知られた宗教。
「伝道」している立場でしょうから、果たして批判できる立場なのでしょうか。
そして私たち子供たちに、強制的に食口になるような教育。
それで「信仰の自由」などと軽々しく口にしないでほしいものです。