つなぐ、手
わが家のお誕生日のお祝いは、1週間くらいかけて、じわりじわりとお祝いをする。
誕生日ウィークに主にやること。
それは「誕生日だからね」と言っておいしいものを食べること。
(いや、いつでも食べてるけども・・・笑)
それに加えて去年は、クジラを見るために徳之島を訪れた。
祖父のルーツを辿る旅でもあった。
今年はふと思い立ち、わたしたち家族のルーツである「鹿児島中央助産院」へ。
助産院は、息子の晴が生まれた場所。
わたしが母に、
夫の世太が父になった場所。
わが家の「誕生」の空間。
そして、お産以外にも助産院の移転時の「スターキルトプロジェクト」、
院長の愛さんがプレゼンターとして登壇した「鹿児島未来170人会議」など・・・
助産師さんとともに、切磋琢磨した思い出がある大切な空間。
久しぶりだったけれど、助産院も、 わたしたちのあいだに流れるものもなにも変わらなくて、
そのことが、とてもうれしかった。
助産師さんとの時間を通して、ここまでのお産と子育てを振り返る時間でもあった。
振り返ると、お産からの数年は、変化の「波」を受け容れていく時間だった。
お産の時は、身体的にかなり大きな波のなかで、
呼吸しながら、静かに待つ時間だった。
赤ちゃんが自分の力で生まれてくることを信じていた。
そして、誕生することを知っていた。
そのことに集中させてくれたのが、鹿児島中央助産院だった。
そして「波」は、お産の陣痛から突然はじまったのではなく、
“つわり”を受け容れるところから、すでにはじまっていたようにも思う。
わたしのつわりは、皮膚の痒みが数ヶ月続いた。
痒みのために眠れず、夜中に泣きながらお手当てをした。
同時に、膨らんでいくお腹と、皮膚に包まれてすやすやと眠る赤ちゃんに癒やされ、幸せだった。幸福感と不快感を行き来した。
生まれてからの1ヶ月は、ホルモンのはたらきか特に感情の幅が大きかった。泣き続ける赤ちゃんにどう接していいのかが分からず、恨みと愛おしさを行き来する日も多くあった。まさにカオス。
2歳、3歳になるにつれ、波の大きさは徐々に凪いで・・・
いまはその期間が、人生の根っこを養っていたと感じられているし、
その全部の時間が、息子の存在にやわらかく包まれ、
そして、母から子へと連綿とつながっている祈りに包まれていた。
助産院での誕生の時間。
産前~産後まで、助産師さんたちは、家族まるごとと向き合ってくれていた。
母が安心してお産ができる空間をしつらえ、
お産に向けて、家族のこころと身体のサポートをし、
産後は、母の心身のケアはもちろん、抱き方もわからないところから、赤ちゃんのお世話の仕方を教えてくれた。
母の視点、父の視点のひとつひとつの問いに細やかに答え、
家族が頼ることができるスペースを、ひらき続けてくれていた。
助産院は、意志とホールド力で、それをやり続けてきた空間。
同時に人は、そうやっていのちをつないできたんだなとも思う。
わたしの子育ては、助産院、
そして大きな見守りの意識に守られている。
それは、目には見えない先祖の祈りそのもの。
助産院は、わたしにとってレスキューの存在で、
なにかあれば相談しよう、飛びこもう、と思える場所のひとつ。
存在しているだけで、静かに、けれど確かなる力に支えられていることを感じる。
そしてなにもなくとも、記憶のなかで、助産院の扉をひらく。
陣痛が来て、家から助産院に辿り着いた時。
最も痛む場所に、 すぐに、迷いなく。
院長の愛さんの手が、その場所をホールドした。
その時「もう大丈夫だ」
とリラックスし、安心してお産の意識とからだに入っていった。
いのちをつないできた手だと思った。
あの手に、わたしはいまも憧れている。
子どもを生むことも生まないことも。
どのお産のプロセスも。
それぞれの人生の道が、とても尊いもの。
人生には1人では通過できない道があって。
わたしはそこで、助産院と愛さんと出会ったんだと思う。
そのことが、とてもうれしいのです。
助産院との時間は、わたしがわたしで在るということに、
すっかり含まれていることに気がついた、
そんな、誕生日ウィーク。