日本に入ってきた聖書 言語と聖書 翻訳 そして奴隷と聖書

memo




ザビエルの死後92年を経た1644年にイエズス会士のイエロニモ・リベイロ(Hieronymo Ribeiro)という人物が纏めた。さらに、これが20年後の1664年にポルトガルのコインブラ大学のトーメ・カルヴァリョ(Thome Carvalho)印刷局で印刷、刊行されたものである。
 本書の構成は28頁からなっており、冒頭にラテン語で「主人が婚礼から帰って来て戸をたたいたら、すぐに戸を開けようと、その帰りを待ち受けている人たちのようでありなさい」という聖書の「ルカ伝第12章、第35-37節」が掲げられ、その後は「創世記」や「マタイ伝」などの重要な部分を引用している。その際、これらを表現する重要なラテン語語句については、平易なポルトガル語表現に改め、さらに通訳がクレオール言語に翻訳する


やっぱ
「ラテン語」
の聖書だったのかな?

どうだろう?
ポルトガル

(日本に最初入ったと
「授業で習うかんじ」の
キリスト教伝来
ザビエル 
インド ゴア
日本人に出会って「日本語に翻訳した聖書」 マルコ それが日本に伝来
元の言語は イエズス会だからおそらく「ラテン語」?(ギリシア語?)
教皇に「認められた」イエズス会

京都大学
マタイ
キリスト教
https://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~shuichi.yokoyama/html/religions/religionsChristianity.html



①小アジアのヒエアポリスの主教(紀元2世紀中葉)であったパピアス
マタイは主の言葉をヘブライ語で記した。そして他の者たちがそれを、各々できる限り最善に翻訳をした。」(エウセビウス、教会史Ⅲ39・16)

ヘブライから「翻訳」!
元はヘブライ!
マタイ!!


②フランスのリヨンの主教であったイレニウス(120~202年)
「マタイは確かに彼の福音書の書き物をヘブライ人のあいだで、彼らの言葉で著したのである。」(エウセビウス、教会史Ⅴ8・2)

オリゲネスのマタイ福音書注解の中では以下のように説明されている。
「最初の(福音書)は、ヘブライ語で作られたが、マタイによって書かれた・・ユダヤ教から信仰に入った者たちのために・・」(エウセビウス、教会史Ⅵ25:4)

④カイザリヤの主教であったエスセビウス(325年頃)
「マタイは最初ヘブライ人に宣教したが、人々のところに行こうとしたとき、自分の母国語でもって自身の福音書を書いた。」(エウセビウス、教会史Ⅲ24:6)




生涯の後半31年間をベツレヘムで過ごし、すべての教父のうちでもっともヘブライ語に精通した人物で、ヘブライ語からラテン語訳を完成させたヒエロニムス
「マタイはユダヤにおいて、キリストの福音書をヘブライ文字と言葉で作った最初の人だ。後にそれをギリシア語に翻訳したのは誰かは、確実には知られていない。さらに言えば、ヘブライ語の本分そのものはカイザリヤの図書館に保存されている。その図書館は殉教者パンフィラスが大変な労力をもって収集したものだ。」


図書館に
マタイ
イギリスと「ここ」に
ヘブライのマタイ!


見るという動詞(ギリシア語)
ヨハネ

ヨハネの福音書 1 章における「見る」という動詞
◆新約聖書で使われている「見る」に関する動詞は以下の通りです。( )の数字は使用 頻度数です。□で囲まれた動詞が 1 章で使われている動詞です。
1ホラオー
2セアオマイ
3ユウリソー
4ブレポー
5セオーレオー
6イデ
7エムブレポー
8イドウ
9ノエオー
10デイクノーミー
11アナブレポー
όραω (449) θεαομαι (22) ευρισω (176)
βλεπω (132) θεωρεω (58)
ιδε (34)
εμβλεπω (12) ιδοω (200)
νοεω (14) δεικνυμι (33)
αναβλεπω (25)
(1章には登場しません) (1章には登場しません)
(1章には登場しません) (1章には登場しません)
●以下、ギリシャ語と英語の表記はすべて現在形で示します。 聖書の引用は、【新改訳訂第3版】
●ヨハネの福音書 1 章には、24 回、「見る」に関する動詞がみられます。
ヨハ 1: 14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た
θεαομαι(behold)。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は
恵みとまことに満ちておられた。 ヨハ 1: 18
いまだかつて神を見た όραω(see)者はいない。父のふところにおられるひとり子の神
が、神を説き明かされたのである。 ヨハ 1: 29
その翌日、ヨハネは自分のほうにイエスが来られるのを見て βλεπω(see)言った。
「見よ ιδε(behold, look)、世の罪を取り除く神の小羊。 ヨハ 1: 32
またヨハネは証言して言った。「御霊が鳩のように天から下って、この方の上にとどまら
れるのを私は見ました θεαομαι(behold)。 ヨハ 1: 33
私もこの方を知りませんでした。しかし、水でバプテスマを授けさせるために私を遣わ された方が、私に言われました。『聖霊がある方の上に下って、その上にとどまられるの
1

があなたに見えた όραω(see)なら、その方こそ、聖霊によってバプテスマを授ける方
である。』 ヨハ 1: 34
私はそれを見た όραω(see)のです。それで、この方が神の子であると証言しているの
です。」 ヨハ 1: 36
イエスが歩いて行かれるのを見て εμβλεπω(look at)、「見よ ιδε(bshold, look)、
神の小羊。」と言った。 ヨハ 1: 38
イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て θεαομαι(behold)、言われた。 「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳して言えば、先生)。 今どこにお泊まりですか。」
ヨハ 1:39
イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすればわかります όραω(see)。」そこで、 彼らはついて行って、イエスの泊まっておられる所を知った。そして、その日彼らはイ エスといっしょにいた。時は第十時ごろであった。
ヨハ 1: 41
彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて ευρισω(find)、「私たちはメシヤ(訳して言え ば、キリスト)に会った ευρισω(find)。」と言った。
ヨハ 1:42
彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンに目を留め εμβλεπω(look
at)言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたをケパ(訳すとペテロ)と呼ぶこと
にします。」 ヨハ 1: 43
その翌日、イエスはガリラヤに行こうとされた。そして、ピリポを
見つけて ευρισω(find)「わたしに従って来なさい。」と言われた。 ヨハ 1: 45
彼はナタナエルを見つけて ευρισω(find)言った。「私たちは、モーセが律法の中に書 き、預言者たちも書いている方に会いました ευρισω(find)。ナザレの人で、ヨセフの 子イエスです。」
ヨハ 1: 46
ナタナエルは彼に言った。「ナザレから何の良いものが出るだろう。」ピリポは言った。「来
て、そして、見なさい ιδε(see)。」 ヨハ 1: 47
イエスはナタナエルが自分のほうに来るのを見て όραω(see)、彼について言われた。
「これこそ ιδε(here)、ほんとうのイスラエル人だ。彼のうちには偽りがない。」 ヨハ 1: 48
2

ナタナエルはイエスに言った。「どうして私をご存じなのですか。」イエスは言われた。
「わたしは、ピリポがあなたを呼ぶ前に、あなたがいちじくの木の下にいるのを見た
όραω(see)のです。」 ヨハ 1: 50
イエスは答えて言われた。「あなたがいちじくの木の下にいるのを見た όραω(see)、と わたしが言ったので、あなたは信じるのですか。あなたは、それよりもさらに大きなこ
とを見る όραω(see)ことになります。」 ヨハ 1: 51
そして言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。天が開けて、神の御使 いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたはいまに見ます όραω(see)。」



宣教師らは年季奉公人(または期間奴隷)の洗礼も行うことがあった。奴隷の所有者は取得から6ヶ月後に洗礼を受けさせる義務があったが、10歳以上の奴隷(年季奉公人を含む)は洗礼を拒否することができた。洗礼は社会的包摂の一形態であり、洗礼をうけることでポルトガル王室と教会法の管轄に服し保護をうけることができた

洗礼を受けないものは保護されない、つまりは植民地支配などで行われていた形態の、信仰の強要

信仰
布教
そして
奴隷
洗礼、、、「義務」


メソジスト教会のジョン・ウェスレーは1787年に奴隷制廃止運動への支持を表明し、翌年にはブリストルで奴隷制廃止の説教を行い騒動を起こし

うーん
奴隷貿易
いまだに続いているけどなー

ブリストル!


15世紀後期から16世紀前期まで奴隷制が教皇によって認められる期間が続いた。西アフリカでの奴隷制はニコラウス5世、カリクストゥス3世によって容認され、アレクサンデル6世のインテル・カエテラ(1493年5月4日)によって、それ以前の勅書は再承認され、アメリカの先住民にまで拡大された

「教皇」によって、、、か

それほど「強い」
「権威」「宗教」「教皇」

そして
「キリスト教の生まれながら持っている原罪 十字架破壊 イエス 磔刑 贖罪 それまでの聖書になかった 「付け加えられたストーリー」 イエスの十字架磔刑! 2世紀パピルス ギリシア語 LOGOS その哲学と「考え方」!!!


奴隷も自由人もないというガラテヤ 3:28、人を神のかたちに創造したとする創世記1:27[4]、自由意志の教義[5]、奴隷制度を原罪に起因するものとして批判したアウグスティヌス[6]、奴隷制が人間の自然な権利を侵害すると論証した歴史上最初の人物とされるニュッサのグレゴリオス[7]、キリスト教を普遍主義、自由、尊厳の源流として、普遍的人権が成立するための前提条件だったとする見解[8][9][7][10]の一方で、聖書の一節が奴隷制度廃止論者と奴隷制度容認論者の両方から引用されることがあっ

ローマ帝国は
「奴隷が足りない」と
戦争奴隷を「必要」とするような国だったしな、、、


ドミニコ会やイエズス会は主として当時のアメリカ大陸でネイティブ・アメリカンの権利を主張し、奴隷制に抗議していたからである。イエズス会員はキリスト教徒になったインディオを他部族やヨーロッパの奴隷商人の襲撃から守るためブラジルとパラグアイに「保護統治地」(Reducciones) をつくった。インディオを保護しようとするイエズス会員はスペインとポルトガルの奴隷商人およびそこから利権を得る政府高官にとって目障りであったため、のちにポルトガルからイエズス会への迫害が始まることになる

奴隷
迫害
ポルトガル
イエズス会


イエズス会は「より大いなる善」のためなら、どんなことでもするというイメージをもたれており、そのため教皇や各国元首暗殺、戦争、政府の転覆など、あらゆる「陰謀」の犯人とされた


これは
学校で「習う 教えてくれる 歴史の授業 キリスト教伝来」
では
教えてくれないな。。。



1832年(天保3年)の10月11日、尾張米を積んだ千石船「宝順丸」に乗って鳥羽港を江戸へ向かって出発しました。ところが、途中遠州沖で遭難してしまい、14ヶ月間の漂流の後に1834年(天保5年)1月、バンクーバーの近くの北米西海岸ワシントン州のフォートバンクーバーのフラッタリー岬に漂着しました

鳥羽から
漂流
そして
「奴隷」?

インディアンの奴隷の日本人???

(そんなこともあったんだ。。。)



デ・オランディア(またはスペイン人船員)は次のような発言を行った。「スペイン国王は宣教師を世界中に派遣し、布教とともに征服を事業としている。それはまず、その土地の民を教化し、而して後その信徒を内応せしめ、兵力をもってこれを併呑するにあり」[1]。これにより秀吉はキリスト教の大規模な弾圧に踏み切ったとされる。この経緯はスペイン商人ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロンが書いた『日本王国記』に、イエズス会士モレホンが注釈をつけたもの

そういう「部分」
日本で授業で習う
キリスト教伝来

では
あまり習わないけど
「そういう部分」

思いっきりあったんだ!

宣教師!
布教!
征服!!

スペイン国「王」

王立奴隷貿易の
イギリスかー


「スペイン人たちは海賊であり、ペルー、メキシコ(ノビスパニア)、フィリピンを武力制圧したように日本でもそれを行うため、測量に来たに違いない。このことは都にいる3名のポルトガル人ほか数名に聞いた」という秀吉の書状を告げた

海賊、、、



イエズス会内部には、アメリカ大陸と同様に、武力による日本・明国の征服

武力!
征服!!

を主張する者もあった。アレッサンドロ・ヴァリニャーノなども書簡でこの考えを述べており、九州のキリシタン大名を糾合し、長崎を軍事拠点とする計画であった。サン=フェリペ号事

軍事拠点!


しかし、これをスペイン・ポルトガルによる日本征服の第一歩ではないかと疑いの目を向けた豊臣秀吉は、1587年にバテレン追放令を発布し、イエズス会から長崎を取り上げて直轄領

どうだったんだろうな?

宣教と
支配 統治

あの大陸では
支配と統治と宣教は
セット!だったようにみえるけど!

日本は?



『源氏物語』講義の集大成と言える注釈書です。それまでの注釈を批判的に取捨し、一語一句について精確に読解し、自説を詳細に述べ、人情に感ずべき「もののあはれ」を強調して論じています

あの翻訳ぽいな!
百年の孤独 
翻訳by
relaxmax



シヴァ派では、「世界の始まりのカオスの中、ヴィシュヌ神とブラフマー神のどちらが先に生まれたのかを言い合っているところ、巨大なリンガ(シヴァ神のシンボル)の中からシヴァ神が現れて、ヴィシュヌ神もブラフマー神もシヴァ神が創造したのだと明かす」という神話

道教の『太上妙始経』では、万物の根源を「道(太初・混沌・大極とも)」とし、道が集まったものが気であり、清らかなものが「天」となり、濁ったものが「地」となり、色々な天地の気が合わさり、人や虫や草木が生まれたと記述されている

日本書記は「こっち」かも!
清らかなものが「天」
そして
濁ったものが「大地」に?

「大陸的な者の考え方」と本居宣長が言うのは「道教」とかこのあたりもあるのかも!



ロゴス

ギリシャ的ヘレニズム的背景としても「初めにことばがあった」と論じる人たち

ギリシャ哲学者ヘラクレートス(Heraclitus, 545-484B.C.)、ストア派哲学(Stoics)、ユダヤ教の哲学者フィロン(Philo, 30B.C.-40 A.D.)そしてギリシャ哲学の影響を受けたキリスト教の異端のグノーシス主義(Gnosticism)などが「はじめにことばがあった」と説いています。

旧約聖書はヘブライ

そもそも
フィロンの哲学を知っていた?
(ユダヤ教の、、、迫害されて十字架? だけど そっちの「考え方」を?)

イエス もしくは
ヨハネ。。。

(ただ旧約聖書に da barという言葉がある)


ギリシア哲学って、、、イエスが生きた時代、「その場所」にはあったのか?
そしてアラム語を話しヘブライで旧約聖書を読んでいたイエスが、、、ギリシア語でギリシア哲学「も」?、、、??



https://suzume.love/?pid=156274608

こういうのあるけど、、、

こういうのの「ヘブライ」!
どうして見つけてないの?

「ある」っぽいけど!
本居宣長の言葉に
出ている

そして
アラム語が古代日本に「入っている」という事実にも出ている!

厩戸の皇子 という「名前」にも!

それが出ている

ヘブライの「存在」
聖書はシルクロードで「日本の歴史の授業で習うあの時代」より「先」に!
日本に伝わっていたのでは?


奴隷貿易と「聖書」印刷技術と布教キングジェームス!(マタイのヘブライ「イギリスの図書館」にあるなら それの全文英語訳、、、「どこかに」あるの?)


19:15 この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。この方は、鉄の杖をもって彼らを牧される。この方はまた、万物の支配者である神の激しい怒りの酒ぶねを踏まれる。

15節は、「ことば」(ロゴス)を解明する一つの手がかりです。「この方の口からは諸国の民を打つために、鋭い剣が出ていた。」つまり神の「ことば」であるキリストは、口からみことばの剣を出す、支配者、世界の裁判官なのです

口から「肉」 言葉

ロゴスを?
ギリシア哲学的な
三位一体のキリスト教を
理解しようとすると
「支配」?


ヘブライ語のマシューの最も重要な写本の1つは大英図書館の図書館に保存されている写本です

ヘブライあるのに!
なんで?
マタイをヘブライから「英語」!にしなかった?
キングジェームス時代は
持ってなかったの?
その「写本」

今ならあるなら
ヘブライから「マタイ」
翻訳すると
2世紀のパピルスと「そのぐらい違う」? どこが「いっしょ」?


ヘブライはないの?グリーク(パピルス写本 2世紀)より「古い」 写本の「元」そして「本人」が書いたヨハネ1:1それを探してみたけど、、、(見つかっていない?それとも「もともと存在しない」?)

ギリシア語しかない説と4つのうちヨハネ以外の3つはヘブライがある説

最初にどの言語でヨハネは「書いた」?読んでいた旧約聖書はヘブライそういう人が住んでた場所がグリークだからといって ギリシア語で書くものなのかな?アラム語で話すイエスの言葉を「正確に伝える」なら そもそも聖書用の言葉 ヘブライで書くのでは?−どうして写本 ギリシア語 2世紀しか見つかっていないのか?−キングジェームス決定版の「英語」「翻訳」その当時のイギリスで1番正確な元! はギリシア語の「コレ」って思って学者たちが何年かかけて「翻訳」(一部ない部分は 「彼らが書いた?」!!!????)

その国ではなくとも別のイスラムの国ならもっと正しい(シリア語 など ヘブライはある?)聖書 伝わって残っていたのかも!ムハンマドさんの時代に 彼はシリア語で聖書 (ヨハネの黙示録も!)読んでいるヨハネ にシリア語写本で 翻訳(? 元はヘブライ?? どうだったんだろう?)7世紀に「ある 聖書 ギリシア語ではない」おそらく写本!(元の本ではなく?)ヨハネは「どの言語」で元々書いていた?「ヨハネ」が虚偽を2世紀に書いたのではないか?つまり2世紀の「ヨハネ」! 虚偽の部分! 付け加えられたストーリー!それまでの聖書言語はギリシア語ではなく 創世記 旧約聖書が書かれたヘブライでは?それをギリシア語に「翻訳」LOGOSという考え方で「書いた」ギリシア哲学的な三位一体の「キリスト教」多神教の「2世紀のヨハネ」が付け加えたストーリー!"The Word," a translation of the Greek λόγος (logos), is widely interpreted as referring to Jesus,哲学ロゴスギリシア哲学が出ている1:1 ヨハネ−ヨハネヨハネ福音書 125年使徒行伝 250年→ 180年2世紀か、、、(十字架 磔刑 贖罪付け加えられたストーリーイエスということは「一部」に「なにかを誰かが」パピルスは「一部」だから付け加えられたのかもな(英語翻訳の時にも!)−主イエスの場合は「神の国のための悔い改め」しかしヨハネの思考、信仰パターンは「罪の悔い改めの洗礼」でしたそうなんや、、、十字架?罪?悔い改め?懺悔?、、、贖罪を欲していたのは「誰」?そして「どうして」?なんとなくの理由は、、、「罪」悔い改めつまり「罪」があるということ!

イエスとの「違い」そこを離れて、エッセネ派を離れて自分でヨルダン川で洗礼を授ける運動を開始しました。その時の中心的な主張が罪の悔い改めの洗礼でした。これは画期的なことだったのです。その意味でバプテスマのヨハネはタダの人ではなく、一つの発想から自分独自の世界を切り開いた人なのです。「独自の世界を切り開いた」?(独自の聖書も書いちゃった? 新約?!)主イエスはバプテスマのヨハネから洗礼を受けたやはり一時期ヨハネ集団に属していたと考えられます。主イエスは洗礼を授けるというよりも「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言いました。「神の国」主イエスの場合は「神の国のための悔い改め」このところがバプテスマのヨハネと微妙に違うのですが、しかし主イエスも自分独自の発想を持って宣教活動を行ったのです

ヨハネはなんというか「贖罪」ぽいかもな−エフェソスに移り住み、エフェソス教会の指導者となる。51年? エルサレム使徒会議に出席する。80~98年 『ヨハネの福音書』を執筆する。90~95年 『ヨハネの書簡 1~3』を執筆する。95~98年 パトモス島に追放され、そこで『ヨハネの黙示録』を執筆する。98~100年 余生をエフェソスで暮らす。100年 エフェソスで死去する。ヨハネ!自分で書いたの?^_^「この場所」で?どの言語で?別の「説」も!−へブ ラ イ 語 で 「言 葉 」 を あ ら わ す 代 表 的 な 単 語 に ダ バ ル (da bar )がある

ダバルは言葉と出来事の両方の意味を表現する

なるほどな!だって!言葉があって出来事がある−言葉 と事は切り離すことができないからである。「できごと」の意味を合わせ持つ「ことば」である。言葉と事切り離されて長い(嘘 偽 増えた)−ヘブライではないからでは?聖書!−

今どきは電脳空間辞書(サイバースペース)「元」があればそれぞれの「言語」の人が電脳空間(サイバースペース)「辞書」を駆使して「自分」で理解することは出来る!

−ヘブライの「元」を探しているrelaxmax

ヨハネが旧約聖書創世記をヘブライで読んで!そして「ヘブライで書いた」ヨハネ1:1!

どうして「ない」のだろう?ギリシア語のパピルス写本2世紀しか、、、?

−イスラムの受難を癒すキリスト教の原罪を癒す−そして十字架破壊−2世紀の虚偽付け加えられたストーリー十字架 磔刑 贖罪 会計 ユダ −

−新約聖書言語はギリシア語(コイネー)のみと書いていた人もいたけど、「キリスト教」の人

だからムハンマドさんがシリア語で旧約聖書、そして「シリア語のヨハネ 黙示録 新約聖書」を読んでいた

ということを知らなかったからではないか?(キリスト教徒の 牧師さん などは ムハンマドさんが コーラン書く時に シリア語で聖書を読んでいたと知らないのではなかろうか?)

ヨハネ1:1ジョン(ヨハネなんだけどな 日本人は日本語で「ヨハネ」さんと思っているけど 、、、英語で聖書読む人は「ジョン」??)

−ムハンマドさんの時代彼はシリア語で聖書読んでいた「その場所」に残ってる聖書!

旧約聖書や

新約聖書(、、、の「何語」!ヨハネの部分!)

あるの?(ないの? 宗教が違う ローマ帝国ではない ギリシア哲学ではない キリスト教もある場所だけど、、、)

ムハンマドさんが住んで「読んでた場所」

「正しい写本 シリア語」で読んでそれでコーランを書いたムハンマドさんだと思うけどな、、、(アラム語とシリア語は近い そしてヘブライで書いている旧約聖書)

「多神教」との違い言語 バベル 翻訳そして!一神教と多神教!

ギリシア語で書かれた「ヨハネ 新約聖書」 ギリシア哲学ぽい!「考え方」=それが三位一体 ジーザス=神 言語と哲学からきている

とrelaxmaxは思った

−福音書記者はイエスの語られた言葉の中に、ごく少数ではあるがギリシア語と並行してアラム語を保存している

新約聖書はギリシア語??シリア語でムハンマドさんは聖書読んでた

ヨハネの黙示録も「シリア語」で読んでた?

ムハンマドさんはアラム語部分はアラム語で読んでたとしても、、、

ヨハネの黙示録と同じくゴク マゴク出てくるしなーコーラン!−住んでいる場所と伝わっている聖書の「言語」

ギリシア語 キリスト教シリア語 イスラム

元々聖書はヘブライアラム語とシリア語は近いイエスはアラム語で話したという

ヘブライとアラム語(新訳は、、、

−マタイの福音書はもともとヘブライ語で書かれた後、ギリシア語や他の言語に翻訳されました。 マタイのヘブライ語版は、中世のユダヤ人筆記者によってコピーされた少なくとも28の写本に残っています。 ヘブライ語のマシューの最も重要な写本の1つは大英図書館の図書館に保存されている写本です

こっちの教会の人はヘブライのマタイのこと知ってるけど、、、

ヘブライ語のマシューの最も重要な写本の1つは大英図書館の図書館に保存されている写本です

ヘブライあるのに!どうして大英帝国pt.1はマタイをヘブライから「英語」!に翻訳しなかった?キングジェームス時代は持ってなかったの?

(それとも ヘブライの「正しさ」を知っていて「あえて」使わずに 2世紀のパピルス写本を元に「翻訳」したの? 当時の学者たちはどう思っていた?)

その「写本」

今ならあるならヘブライから「マタイ」翻訳すると2世紀のパピルスと「そのぐらい違う」? どこが「いっしょ」?

最も重要な写本の1つヘブライのマタイは大英帝国pt.1の図書館にいまもあるという

−従来の仮説(アラム語説)を覆し、イエスが話していた言葉はヘブライ語であったことを、さまざまな証拠をもって論証する本の紹介を読んでいたその人「も」やったというイエスの言葉を元のヘブライ語に訳し直すこと

ヨハネの1:1で思った!

ギリシア語の LOGOS!旧約聖書の言葉のヘブライはDA BAR その違い!(Da barはギリシア哲学ではない!)

英語からギリシア語(キリスト教が三位一体という ギリシア哲学的だということがわかった! 2世紀パピルスの「虚偽」、、、ここからじゃないかな? ヨハネ 磔刑 付け加えられたストーリー)

JESUSと思わず「神」と思ってthe wordを読んでいたrelaxmax(つまり英語で)

イエスはどちらかというと「常人」と思っているrelaxmax(三位一体 ギリシア哲学的な LOGOSの捉え方で 読んでいなかった、、、)

そして旧約聖書にある言葉DA BARの意味を知ってさらにその意味を理解出来た

元の言語 ヘブライで理解する聖書(その方が 「より伝わる」)

キリスト教の「虚偽」とイスラムの人が書いていたあの「内容」の意味がわかった部分が「ココ」かも!

2世紀 パピルス写本 ギリシア語ギリシア哲学ぽい考え方の三位一体そして LOGOSの「翻訳」一部(かけていてない 誰か イギリスの学者たちが がんばって「書いた」 キングジェームス!)

新訳はギリシア語しかないと書いてあるところもあるけどヘブライも「ある」と知っている人もいる。4つのうち「3つ」はヘブライも「ある」!

だから「英語」に「翻訳された」聖書はキリスト教は三位一体なのだなジーザスが 翻訳として「神」肉 ギリシア哲学 ギリシアの言語があらわれている英語の「王」「勅令」で翻訳された決定版のキングジェームス!

ギリシア哲学が入ってる三位一体!ジーザス=神!(翻訳! 英語!! ギリシア語から!)

一神教との違い!

ヘブライで旧約聖書創世記を読んでいたなら、ヘブライで1:1書くのでは?ロゴスは「ギリシア哲学」言葉! 哲学そして多神教的!

キングジェームスの時代にギリシア語パピルス写本2世紀(一部欠けてる)とラテン語(元はヘブライとギリシア語)はマソラから英語に翻訳した「決定版」の「英語翻訳」!

聖書の活字による最初の印刷は1456年ごろのラテン語聖書の印刷で、聖書の普及に大きな役割を果たすことになったラテン語か。。。そして「布教と奴隷貿易」(羅針盤もね!)三大発明と聖書(奴隷貿易!「支配」「植民地」、、、大英帝国pt.2がいまだに奴隷貿易pt.2やってる理由は「歴史」にもみえてくる)

宣教活動に伴うもの欧米列強がアジア・アフリカを植民地化していく帝国主義の動き

奴隷貿易と布教その聖書はキングジェームス!

ギリシア語「写本 一部ない」から「学者たちが書いた」英語翻訳というもの、、、(しかもそれまでの「バビロン捕囚とか「歴史上」のいろいろあって!corrupted もaltered もあったらしい)

−70人訳の「歴史」

理解できなくなったヘブライ

だから「ギリシア語」なのか、、、−

正典(カノン)というギリシア語尺度・規準という意味

ヘブライ語ではカーネーとなり、葦の茎のこと

旧約時代の人々はまっすぐな葦の茎を竿尺として用いたので、「測り竿」の意味にも使われる「尺度」「規準」という意味が出てくる

まっすぐな葦の茎を竿尺として用いた場所で!その言語で書かれた旧約聖書というもの言葉と場所 そして聖書

バベル!(言語をわける 場所をわけた神人の「傲慢さ」)

聖書がキリスト教のカノンであるとは、聖書はキリスト教の信仰内容を正しく理解し伝えるための規準

、、、(基準に虚偽、、、あったり欠けた部分「誰かが書いた」部分あったりするのが キリスト教の新約聖書?、、、十字架 磔刑 贖罪 会計 罪が許される「付け加えられた」2世紀の虚偽!を必要とした「ヒト」

人は誰だ? ヨハネでは?(、、、2世紀のパピルス写本のヨハネ!)−

ヨハネが書いたとするとでも「ヘブライ」では「xxxx」みたいな記述が「ある」ヶ所もあるの?

元のヘブライの「意味」を伝える「それぞれの言語」を「自分」で探すこと! 電脳空間(サイバースペース)時代の聖書の読み方!

LOGOS?言葉?そのヘブライはDA BARその「意味」!

−ヨハネはイスラエル出身だったらそこの「言語」で書いた聖書?アラム語で話すイエスアラム語を聞くヨハネそれを「ギリシア語で話す場所」で元の言語ヘブライで読んでいた旧約聖書!創世記をヘブライで読んで書いた1:1は、、、ヘブライで旧約聖書読んで「ヘブライで新約聖書書くヨハネ」だったのでは?

古代ギリシア語話す場所、エフェソスで?

−われわれに伝えられた聖書の本文はすべて写本による聖書の原本というものは存在していない

ほんとうに?場所によるのでは?ムハンマドさんがシリア語で聖書を「読んだ場所」そこにあったもの

キリスト教の原罪を癒す(キリスト教の生まれ! イエスの嘘! イーサーではない 多神教はギリシア哲学的! LOGOS! このギリシア語とギリシア哲学!)そしてイスラムの受難を癒すrelaxmax

言葉で癒すということ!

キリスト教が「生まれもって」宗教として「罪深い」部分を癒す十字架破壊偶像破壊(ヘブライで人々は「もっと」!聖書を読もうとする! 電脳空間(サイバースペース)の辞書の現代において!)

それぞれの中で偶像が破壊されていくヘブライという「言葉」

−旧約聖書全書のヘブライ語写本で現存しているものは紀元10世紀以前のものはない断片的なものでは1世紀に属する儀式に用いられたと思われる「十戒」と申命記6:4以下の古写本が19世紀末にカイロで発見されている1947年にいわゆる「死海写本」が発見されて、紀元前1世紀から紀元1世紀に属するヘブライ語聖書写本を手にすることができた

「写本」しかほんとにないの??ヨハネ1:1も?(ギリシア語 パピルス写本 2世紀)

では 新約聖書 ヨハネ「も」!「ヘブライ」が もしあって遣隋使の時代(厩戸の皇子の時代に!)ヘブライの聖書が日本にシルクロードを通して伝わっていたとして

そのヘブライの意味を知る本居宣長が「あの翻訳、古事記を現代語(その当時の!注釈書」書いたとしたら?

日本に(鞍馬 牛若丸!)アラム語が伝わっているのは「聖書のカタチ」ではないか?

そして2世紀のパピルス写本は許されたかった「ヨハネ」が書いた虚偽を付け加えたストーリー

イエス 磔刑 贖罪 ユダ 会計 その「罪が許されるストーリー」を付け加えた2世紀のパピルス写本(ギリシア語!)

ヨハネ本人が書いたヘブライが「もし」あるとすれば

2世紀のパピルス写本ギリシア語の時に「キリスト教の 贖罪 磔刑 十字架 会計 許されたかった 人が付け加えた」ストーリーなのかも!

ギリシア語で書かれたLOGOS という言葉1:1ヨハネはギリシア哲学ぽい!三位一体 キリスト教っぽい「哲学 考え方」が ギリシア語という言語とギリシア哲学にあらわれている言語と宗教イスラム教と(アラム語 ヘブライ シリア 一神教)キリスト教( ギリシア語 ローマ帝国 そしてギリシア哲学 三位一体 多神教)

神さま=イエスってそんなに思わないなーロゴスがジーザス? 英語の「翻訳」!神の子イエス というのはわかるんだけど、、、「お話し」東方の三賢者とか、、、(イーサーの話とは別のお話し!)

ヘブライ人によって書かれ、ヘブライ的な宗教や伝統習慣が背景になっている新約聖書は、ヘブライ的観点によってのみ正しく 理解できる

こう書いている人の本、私はまだ読んではいないけれど!

知りたいことはわかった!ヘブライ「3つはある」!

このヨハネ、、、あるの?(共観福音書4つのうち3つはあると ここでは書いていた)

著者のD・ビヴィンは、共観福音書のためのエルサレム学派の研究成果を発表する「エルサレム・パースペクティヴ」誌の編集・発行人

イエスはアラム語ではなくヘブライで話していた「説」の本

(、、、たしかに ロゴス より ヘブライの方が より なるほど!と思ってたけど)

元々はギリシア語の写本より古い ヨハネ本人が「何語? ヘブライ? イエスはアラム語で話していたけど??」書いた本は

見つけてないだけ?そもそもなくて

「写本時代」にヨハネ(ということ 有名人の 名前) でギリシア哲学的な考え方を入れた新約聖書 ヨハネ 書いた?(そして十字架のストーリーも「それまでないのに付け加えた」虚偽の、、、そういうパピルス写本 2世紀 ギリシア語!)

どうして!写本の「元」見つけてないのかな?

(、、、マルコは大英帝国pt.2が図書館にヘブライ持っている)

ではヨハネのヘブライは「日本」にシルクロードを通して!伝わっていたなら「もし」!(アラム語は日本に伝わっている! 言語だけが伝わるかな? 聖書のカタチで言葉は伝わったのでは? そして!本居宣長の「あの言葉、古事記の注釈書」ヘブライぽい! 聖書ヘブライの存在を「日本」に感じる言葉!)


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