ここに父と子は べつべつに! 「いつか」 辿り着く
自分の人生の一部が
なにかクリエイションには
はいっていく
コレもその一つ

うちの妹は
パパ(と私は呼んでいた)と生前会うことはなかった
パパが母を殴った(らしい、私はその夜、高校の友人の家にお泊まりに行っていて、家にはいなかった)
そして
家に帰ると
うちの母は(、、、殴られた後で 歯が、、、折れてしまったのか、、、)
母か妹
どちらかに聞いた話
その夜
うちの母は
助けを求めて
血だらけで 妹の部屋(たぶん鍵がかかる?)に逃げこんだらしい
パパは普段暴力をふるう方ではない
お酒は飲んでいたらしい
(母のお店で そしてうちに泊まりに来ていたらしい、、、離婚後もパパとはたまに家族四人で会ってご飯食べたりはしていた、、、再婚はしなかったけれど、、、それも考えていた時期はあったみたい うちの母とパパ、、、)
パパは言った
もうやめてくれ
それ以上言わないでくれ
(なにかパパをなじっていた 母)
それで母を殴ったらしい
(お酒の勢い? 母もパパを責める言葉、、、お酒の勢いで ケンカ? 止まらなかったのかな?)
だけど
パパは
手をあげる人では
それまで全くなかったと思う
私はその夜
たまたま家にはいなかった
(高校の友人の家にお泊り)
だから
家に帰ってから
後で妹と母から聞いた話
ー
うちの妹は
それ以来
パパとは会うことなかった
ー
私はその翌年の
お正月にお年玉を持ってきてくれたパパには会った(妹と母は会っていない)
私16歳だったかも、、、?(2月が17歳の誕生日)
ー
その後
何度かパパに会いたかったけど
(離婚後母に育てられて
普段はいないパパ
父がいない家庭
パパがいないと普段思って生きてきてた子供時代、、、)
20歳の時
27歳の時
それぞれ
成人と結婚(ブリストルに住んでたから いつでもカンタンに会える距離じゃないからパパに会っておきたかった、、、)
あと何回か、、、
何度か母に
パパに会いたい
って言ったけど
連絡先を教えてくれなかった
(母はパパに殴られた後 怖くて会いたくなくなったらしい)
私はパパっ子だったから
そしてその夜いなかったから(パパに殴られた血だらけの母は見ていない、、、)
パパには会いたかったのだけど、、、
36歳になるまで
パパに会えなかった
(母が大きな病気をして入院した2010年 母の救急車で付き添って、、、その夜 妹とタバコを吸いながら(その頃はまだ私はタバコを吸っていた)、、、病院の喫煙スペースでの妹との会話を覚えている。
パパに会っておこうと思う
最後に会うのが
パパのお葬式とかって嫌だから!
(それでパパに会っておこうって決めた!
妹も誘ったけど、妹は自分の意思で会わなかった)
妹はその夜を見ているから
血だらけで妹の部屋に逃げこんだ母を見ているから、、、
だからかな?
彼女は父には会わなかった
、、、あと父との記憶!
0歳の時に母とパパが離婚しているから、、、妹にはあまり父との記憶がないらしい(私はまだ少しは覚えている!4歳だったし。)
ー
妹のことを思って
出てきたセリフ
映画の中の彼
ー
妹は父の葬式で泣いた
妹は父に対してなんの感情も持っていないと思っていたけど、、、(だから彼女は泣くとは思っていなかったらしい、パパのお葬式で。)
ー
父はいないものと思って生きてきたけれど
ー
ここは私!
ー
私は16歳からパパには会っていなかったから、、、「父はいないと思って生きてきた」(、、、だけど「どこかには生きていて」母が反対して連絡先教えてくれないから会えなかっただけなんだけど)
ー
映画の中の
二人のママンがいる彼は
彼が普通の家族 (普通の奥さん 普通の出産 こども と家族旅行)を持つ頃には、、、
彼自身が父となったことによって
(、、、父はある意味いない ママン二人の家庭で、、、「だって(精子)、、、盗まれた、、、(望まれたこども?)そんな難しいこと、、、彼はこどもとして!そんなのワカラなくたっていい!!!」)
父のことを(ティモシーシャラメ 映画の中の)愛することができるようになった
、、、そういう実感をもって
あの映画は終わる
ー
ここに父と子は べつべつに! 「いつか」 辿り着く
ー
ここに、、、っていうのは
彼が見たことのない映画
の
17歳の詩人が書いた
海と太陽の、、、
あの亡くなった監督の
「あの海」
ー

「いろいろな事情」のなかみ
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