読書note No.21 人生は舞台 あなたは名優 第三章 田中信生
日本人には、あまりぴんとこないのですが、宗教に対して非常に厳しいアラビアあたりに行きますと、入国するときに「あなたの宗教は何か?」と必ず聞かれます。ある日本人が、...。
今日も読書ノート、開いていきますね🤗
2021/01/21 21日目!
信仰のお話は、馴染みがなくて、すんなり入ってこないのですが、読んでいくうちに癒されていく感じがします。
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人生は舞台 あなたは名優
第三章 誰を人生の主とするか
田中信生
一粒社 1990年
<3point>
① 日本人には、あまりぴんとこないのですが、宗教に対して非常に厳しいアラビアあたりに行きますと、入国するときに「あなたの宗教は何か?」と必ず聞かれます。ある日本人が、「無宗教」と書いたそうです。そうしましたら、その人は「入国お断り」と言われてびっくりしました。「どうしてですか」と聞くと、無宗教と言う事は、すなわち自分を超えた確かに絶対者に対しての帰依がない、要するに絶対者はこの自分であるわけですから、そういう人は危ないと言うわけです。つまり、私の思うようにしてなぜ悪いのか、私がしたいようにしたい、それが人間に与えられた自由だ、と言う規則も何もない自分の思いで生きる人が入国すれば、確かに混乱が起きるだろうというのです。
いちどきりの人生を生きるあなたが、神様の霊によって満たされて生きることが大切なのです。つまり、飛行機が作られた目的は、もうその飛行機が使い古されて博物館に置かれて見られるためでなく、空を飛ぶためです。人間が作られ、生かされていると言うのは、私たちが神の霊を満たされて、そして神様の霊によって与えられているいろいろな賜物を知ることです。一人一人異なった賜物がありますが、そのいくつかをしっかりといただいて、作られた人間の目的にふさわしく生きていき、生かされていくことだと聖書は述べているのです。
② 神様があなたに与えて下さる神の霊に9つ示されてあります。知恵の言葉、知識の言葉、信仰、癒しの賜物、力あるわざ、預言、霊を見わける力、異言、また異言を解く力とあります。これらの神の霊によって与えられる贈り物をいただいて生き生かされていく、それがクリスチャンの生涯の本分だ、と言うわけです。
③ 知恵とは、あなたが何であろうと、聖霊に満たされた私たちが、神様からの霊を持って垂直的に知恵をもらうと言うことです。学歴に関係なく、過去に関係なく、状況や年齢にも関係ないのです。今まで1度も聞いたことも考えたことのないような知恵が与えられるのです。この知恵をもらう事は、この世の中のどんな素晴らしいものにも優っているものだと、聖書が言うのです。その折々に、かなった知恵が与えられる事は素晴らしいです。世界の歴史は何によって作られたかというと、今まで誰も見出したことも考えたこともないような、そういう発明や発見によって作られてきました。そしてそれは、ふと垂直的に与えられ、はっという驚きで満たされます。この知恵に満たされる人の人生と言うのは、驚きがつきものであり、常に感動があります。それは創造的に新しいものを作り出していく人生です。つまり人生がマンネリでないのです。そういう知恵の賜物を与えられている人がたくさんおられることは素晴らしいことです。
信仰と言うのは自分で頑張るものだ、と思っているようです。そうすると自分を必ず責めます。「自分は信仰が弱いんだな、自分はダメだ」と。しかし信仰と言うのは、神様がくださる贈り物なのです。ですから弱い人はたくさんもらうことができるのです。信仰の賜物の何が素晴らしいといって、置かれている状況がどういう状況であったとしても、その中で望みをいただいて喜ぶことができることです。これからの自分の人生、家族のこと、仕事のこと、健康のこと、今は、望み通りになっていなくても、それをしっかり心に抱いて神様がそのようにしてくださる、と信じる力は、神様が与えてくださるのです。信仰と言うのは「成る」と信ずることをです。信念と言うのは、自分の我力ですが、信仰と言うのは、神様の霊に満たされて神様が最善にしてくださると言うことを、青木実つつ今を喜んで生きていくことです。ですから、皆さんがお祈りをなさる時には、このようにお祈りするのです。学生でしたら「神様、どうぞ、一生懸命勉強しました。よろしくお願いします」と。「ねばならない」ではなくて「信仰によって力が与えられる」と、そうしないではいられない、そういう力が神様から与えられるのです。
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霊の賜物、つまり聖霊に満たされて障害をできる、それがクリスチャンの特権です。どうしたらこの聖霊様にしっかりと満たされることができるのでしょうか。極めて簡単なことです。あなたの心の中心に「聖霊様をお迎えしたい」と思っても、別なものが、でんと座っていることがありませんか。何が座っていると思いますか。それは、自分の思う通りにやっていきたい自分の自我、自分のわがまま、訓練されていない幼児性、甘えがしっかりと座っているのです。聖霊様に満たされて賜物をいただくためには、自分の持っている自我やわがままー追い出そうと思っても思い出せないー荷を主にゆだねるのです。
信仰の弱い人に対しては「なんで進行が弱いんだろうか。なんとかしなくちゃ」というのではなくて、そのままで「あなたの荷を主にゆだねなさい」と聖書は言っています。そうすると今度は重荷が取り除かれて、聖霊様が自由にあなたを支配して、あなたにふさわしい賜物与えてくださって存分にあなたを用いられます。
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私はクリスチャンではありませんが、「いかに生きるか」を考えるときに、「人事を尽くして天命を待つ」と言葉を思い出します。これと似たような考え方なのかなと考えました。それが、信仰として、天が具体的な絶対者として、「精霊様」であり、信仰である、と感じました。生きていくうえで、人事を尽くしても、失敗という結果になっても、それは失敗でなく、成功への導入という見方を教えていただいた気がします。そして、天命を待つという、神様仏様に、結果をゆだねる生き方の素晴らしさを教えてくれています。
人間は迷うものですし、一貫しないものです。悩んだり、混乱したりしたときには、このお話を思い出そうと思います。
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