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「遊び心」を忘れない。

こんにちは^^
今回の記事は、前回に書いた以下の記事の続きになります。

私事ですが、「他人の人生覗き見するとあなたの人生見えてくる」という本を制作して、先日にKindleから電子書籍として出版いたしました。

上記の本の制作に関わった人物はわたしを含めて以下の三人です。

著者:鳥光 宏
監修・製作者:前田 啓太、田中陽土(わたし自身)

わたし以外の人物である、著者の鳥光 宏と、わたしの友人でもある前田 啓太について、時々、一緒に仕事をさせていただいておりますが、それぞれの"強さ"や"想い"が知るようになって、そして"輝いている"とわたしは感じましたので、その輝きを記事にして、読者の皆に伝えたいと思いました。

そこで、前回の記事ではまず、鳥光 宏という人物について焦点を当てましたが、今回の記事は前田 啓太という人物について光を当ててみたいと思いますので、今回もかなり長くなってしまうのですが、興味がある限り、最後まで読んでいただけましたら有難いです。

(ちなみに、わたしはいつも、鳥光さん、前田君とそれぞれ呼んでおりますので、わたしが書きやすいように、以降はそのように記載いたしますね。)

出会いは真夜中のチャイムから。

同じ「筑波技術大学」で出会う。

わたしと前田君は、筑波技術大学という、聴覚障害者と視覚障害者が学生として全国から集まってくる大学で出会いました。

聴覚障害者と視覚障害者とでは、その障害ゆえに、可能な行動範囲がそれぞれ、視覚に頼るもの、聴覚に頼るものに限られがちになります。

そのため、筑波技術大学では、入ってきた学生の障害・程度に合わせて、教えていくための体制・設備が整っており、また社会に出て活躍できそうな分野に絞って教えたりもしています。

例えば、聴覚障害者では、大学の中に産業技術学部というのがあり、そこでは情報技術、建築、機械、デザイン等の分野に関する専門的知識を教わります。(以下参照)

一方、視覚障害者では、産業技術学部と同様に大学の中に保健科学部というのがあり、わたしはあまり詳しくないのですが、そこで、視覚障害を持つ方は鍼灸、理学療法、情報技術の分野に関する専門的知識を教わるようです。(以下参照)

わたしと前田君は程度の差はあるものの、どちらも聴覚障害があり、同じ産業技術学部の中で出会いました。
といっても、出会い方が特殊ですが…笑

「光」で知らせるチャイム。

わたしと前田君が出会った当時、二人とも大学の寮に住んでいました。
わたしが大学3年になったばかりの春、ある日の夜の10時~11時頃だったと思います。

その時は、わたしは自分の部屋でゴロゴロしながら、くつろいでいたと思います。眠くなってきたので、そろそろ寝ようかと思ったら、急に部屋の中が眩しく光って、「!!??」となりました。

実は、部屋の中には、光で知らせるチャイムがあります。
わたしも前田君も耳が聞こえないのですが、筑波技術大学の寮の部屋には、聞こえない人でも、チャイムが鳴ったことを知らせることができるように、部屋の中の天井に音だけでなく、光で点滅するライトが取り付けられております。
そのため、音に気づかなくとも、光の点滅のおかげで、チャイムが鳴ったことに気づくことができます。

ただ、夜中の10~11時頃に訪ねてくるような用事に心当たりがなかったので、怪訝に思いながらも、外のドアを開けてみようと思い、部屋から出て玄関まで歩いて向かいました。

なぜだか、気になった。

玄関のドアを開けてみると、その先には、髪を金色?茶色で染めた、短髪ではなくて、少し髪の長い男性が、そこにいました。
見慣れないけれども、大学のどこかで見たことのあるような顔でした。

その男性について、何かを訪ねようとしても、予想外のことだったので、
「???」
と思いながら、数瞬、思考停止していると、
その訪ねてきた人物は、わたしを見て何かに気づいたのか、

「すみません」
と手話で謝って頭を下げ、すぐその場を立ち去りました。
「あ、別の部屋の人と間違えたんだな…」
とそこで、わたしはようやく気づきました。

ただ、その出来事について、なぜだかわからないけれども、しばらく心のどこかで印象に残りました。普通は何でもないことだと思って、間違えて訪ねてきた人物や出来事は忘れていくものかもしれません。

ただ、その時の彼の立ち居振る舞いから、ちょっとした華、過度にでもなく、平凡というわけでもなく、どこか少しだけ非凡なものを感じ、最初の出会いから十年以上は経ちましたが、今でもその時の出来事を覚えています。

そのように、前田君との出会いは、前田君が間違えてわたしの部屋のチャイムを鳴らせたところから始まりました。

ちなみに、顔写真はないのですが、彼の自画像(イラスト)はありますので以下に貼り着けます。「こんな感じの人かな?」と想像を膨らませて、この後の話を楽しんで見ていただけましたら幸いです。

前田啓太の自画像(イラスト)

補足

ちなみに、わたしの部屋へ間違えた時の状況について彼に聞いてみると、その時のことは彼も覚えているようです笑

前田君が入学したばかりの時、大学の中に前田君と同じ高校卒業の先輩がいて、その先輩に呼ばれていったのだそうです。

その際、その先輩がいる?部屋のチャイムを押すとき、寮の部屋場所やチャイムが一般住宅と異なってわかりづらかったそうで、チャイムを押してみたら、間違えてわたしの部屋へチャイムが鳴らされたそうです笑

そういうこともあるのですね笑

それから3,4年。

それから実際に前田君と再会したのは、わたしが大学院卒業間際か、会社に入った直後ぐらいのときでした。

わたしは時々、大学の友人と遊ぶことがあるのですが、その大学の友人は前田君とも知り合いだったため、その大学の友人は前田君を遊びに誘い、わたしも遊びに誘われ、そこで、前田君と再会しました。

彼は大学を卒業して既に、個人事業主で、アフィリエイトという仕事に取り組んでいました。

聞くところによると、なんと「会社に入って働く」という、聞こえる人も、聞こえない人にも共通する、将来の一般的な選択肢を選ぶことは初めから頭になかったようです。

「アフィリエイトで生計を立ててお金を少しずつ貯めて、いずれは不労所得で生活できるようになる」という目標が彼の中にありました。

わたしはそれを聞いてびっくりしたというか、前田君のその生き方、目標はまるで異世界のものに感じられ、同じ現実世界に生きている実感がありませんでした。

それでも、その時のわたしは、はっきりと言語化できていなかったものの、
「なぜ、その生き方を選ぼうと思ったのだろう?」
「そして、その生き方を選ぶことができたのだろう?」

みたいな疑問は心の中であったと思います。

それからは、少しずつ一緒に遊ぶようになって、また、わたしと前田君は、大学の中で、同じ情報技術を学んでいた、ということもあったので、彼自身に次第に興味を持つようになりました。

その交流の中で、彼から学んだというか、改めてわたしの中で深く考えるきっかけになったものを一つ紹介したいと思います。

「お金」とは何か?

彼を語るうえでは、わたしの中で外せないものがひとつだけあって、それは「お金」に関することです。彼から、「お金」とは何か?について、本当の意味で向き合う機会をいただきました。

以下の本の中にも、前田君に関するエピソードのなかに「お金大好き」というものが綴られていますが、わたしから見ると、その「お金大好き」というワードは、前田君にとって、単なる言葉以上にとても深い意味があると思います。

なぜ、そう思ったのか、これから説明いたしますね。

「お金」に対して思い込みがあった。

わたしは前田君と再会してから、定期的に外に出かけたり、時々お互いの部屋へ遊びに行くなど、お互いのことを知る機会が増えたのですが、彼はどうやら色んな本を読むのが好きなようです。

そして、彼が読む本の中には「お金」自体に関するものもありますが、彼から少し借りて、内容を試しに読んでみると、単なる儲け話だけで終わるようなものではなくて、色々と考えさせられる内容のものが多かったのです。

例えば、
「お金とは何か?」
「お金をどのように使うべきなのか?」
「お金を儲けるのは悪か?」
というように、「お金」について様々な角度から考えるようなものがありました。

わたしたちは、学校に通ったり、会社に入って、勉強や仕事をして、様々な知識・技術を身に着け、個々でそれなりに経験を重ねてきていると思います。

しかし、「生きる」ことに直結する、「お金」に関することは、学校や会社ではほとんど教わりません。
むしろ「お金」について勉強することをなんとなく避けてしまう人もいるかもしれません。

わたしも「お金」について学ぶこと、向き合うことをなんとなく避けてしまっておりました。
なぜかというと、学校で歴史を学んだり、テレビのニュースなどでお金を不正に利用しようとしている例をたくさん聞いたり、マンガを読んで悪い人がお金を儲けて人々を苦しめようとシーンをたくさん見たりして、わたしのなかで、

「お金を儲ける=悪」という図式が頭の中になんとなくあって、短絡的な思考に陥っておりました。

さらにいうと、当時のわたしは
「良い人でありたい」
というか、
「良い人はお金を気にしないほうがいい、儲けることを考えない方がいい」
みたいな思い込みもあり、清貧思考のようなものがわたしの中にありました。ですが、彼と出会って、彼と話して、改めて「お金」について向き合うようになりました。

「金持ち父さん 貧乏父さん」

「お金」について考えるときに、一冊本を紹介したいのですが、それは「金持ち父さん 貧乏父さん」という本であり、「お金」について学ぶときに前田君から最初に紹介されたお勧めの本です。

話が長くなりすぎないようにしたいので、本から学んだことは一つだけ紹介しますね。

その学んだこととは、「資産」と「負債」の考え方です。
例えば、「資産」の意味について、よくあるイメージとしては、「家」とか「車」といったような、「その物自体」を指すというか、「その物を所有していること」というようなものが多いのかなと思います。

本の中では、そのようなよくあるイメージではなくて、「(お金の面から見て)プラスをもたらすもの」が「資産」であり、「マイナスをもたらすもの
」が「負債」
として、説明されています。

どういうことかというと、例えば、あるサラリーマンが苦労して家を買ったとしても、30年ローンで、毎月3万円など支払う必要があったとしたら、その支払い分はマイナスであり、「負債」である、ということです。

一方で、家を買って、その後、大家さんやオーナーになって、買った家を他人に貸したりして、家賃を毎月何万円か貸した人から貰いつづけたとしたら、その支払い分はプラスであり、「資産」であるということです。

そのような基本的な「お金」とは何か?「お金の儲け方」はどのようなものがあるか?などなど、そんな基本的な「お金」に関する考え方について本から学ぶことができます。

「金持ち父さん 貧乏父さん」という本を読んで、わたし自身、人生の中で「お金」について真剣に向き合い、考え始めるようになったかなと思います。

「お金を儲ける≠悪」

彼から「お金」について教わったことはそれだけではなくて、主に彼の持っている本を通じて教わることが多いのですが、

「儲けること自体は悪いことではない」
「悪いことだけでなく、良いことにも使えるから、結局は使う人次第」
「お金を自分だけのためではなくて、誰かを喜ばせるためにも、皆の幸せのためにも使える」

というような様々なことを教わりました。
改めて目からウロコというか、ちゃんと「お金」について向き合えていなかったなあ、と反省しました。

ただ、お金についてきちんと考え直すことによって、
「ちゃんと儲かってもいいんだ。儲けたうえで、自分を幸せにしつつも、他の人も、皆の幸せにも使えるようにすればいいんだ。」
というように「お金」に対して、「後ろ向き」ではなく「前向き」に捉えられるようになったと思います。

前田君自身の話に戻りますが、「お金」に対する様々なことを彼自身も学んだからなのか、「お金が好き」と口では言うものの、わたしから見て彼自身から、「お金」に対する卑しさはほとんど感じられなくて、むしろ、品のあるような感じで、「お金」とある程度対等にお金と向き合えている気もします。

わたしと同様に、もしくはそれ以上に、「お金」とはどういうものか学び、自分でしっかりと向き合ったからかもしれません。
(仲が良いから、わたしからみて勝手に良いように見えているだけ、かもしれませんが笑)

「当たり前」「常識」に対して一度は必ず疑う。

そんな彼は、「お金」に関することだけではなくて、「サラリーマン」という生き方にも疑問を持っていて、「個人事業主」となってアフィリエイトしながら仕事をしています。

他にも色々とあるのですが、彼の中では、できるだけ物事に対して多角的に捉えようとして、そして「本当にそれでいいのだろうか?」と必ず一度は疑うようにもしているような節があると思います。

ここで、聴覚障害者によくある特徴について、一つだけ補足したいのですが、聴覚障害を持つ人たちは耳が聞こえなくて、周りからの会話を自然と盗み聞きするということができないため、情報を得る・知識を得る機会が聞こえる人たちよりもかなり少なくなってしまうのではないかと思います。

それは、世間の常識や文化を学ぶ、身に着けるということも遅い、難しいということでもあります。

例えば、聴覚障害を持つ人たちが、家庭から出て、(聞こえる人たちに囲まれている)学校や会社に行ったときに、初めて、常識や文化、暗黙のルールみたいなものに触れて、
「え!? そんなマナーとかルールあったんだ!??」
と遅れて知ることも多かったりします。
それはわたし自身も同じですし、前田君も同じだと思います。

ただ、そんな聴覚障害者たちも、会社に入って社会の中で何年か揉まれていくうちに、遅かれ早かれ、そのような常識やルールも知るようになります。わたしは似たようなもので、会社に入って改めて知ったことも多いのかな、と思います。

ですが、前田君はそうではありません。最初から社会に入るつもりはなくて、常識や文化、暗黙のルールとかもまだまだ知らないことも多かったりもします。(学校や、またはわたしの知らない別の機会に身に着けているかもしれませんが)

ただし、それは悪いことばかりではなく、良いこともあると思います。
知らないからこそ、「当たり前」が彼の中では「当たり前」ではなくて、だからこそ、一般的な考え方とは異なる型破りの発想ができると思います。

少なくとも、わたしは同じ聴覚障害であっても、彼と話していて、考え方が全然違うなーと感じます。
話していて、わたし自身の中でこうだと思い込んでいたものが、実はそうではないなーとも気づくことができて、色々と刺激を貰えます。

例えば、先ほども述べた「サラリーマン」という生き方について、聞こえる方もそうですが、特に聴覚障害者には結構つらい生き方だと思います。

「サラリーマン」という職業はどこかの会社に入って、どんな仕事であれ、何人かの人が関わっており、コミュニケーションが必ず発生します。

チームで動いたりすれば、より多くのコミュニケーションが必要になって来ると思います。

そのとき、会社の中にはいろんな方がいるとは思いますが、たいがい声を使ってやり取りしていて、手話や筆談は使わないだろうし、会社で働いている聴覚障害者というのは本当に少数派だと思います。

それでも、聴覚障害者たちも生きるために仕事をしなければならない状況であることが多く、会社に入ることを余儀なくされる方も多いと思います。

それで、聞こえない方たちは会社に入って、聞こえる人に囲まれている中でも、必死で筆談・メール・チャットなどコミュニケーションを自分なりに重ねて仕事をします。
「頑張る」ことを、強制的に求められがちになると思います。(もちろん、聞こえる方も程度の差はあれ、同じようなものはあると思いますが。。)

そんな社会の中で「当たり前」とされていることでも、前田君は、しっかりと疑問を投げかけ、そして、「サラリーマン」という生き方を選ばずに、自分自身が生きやすいように、「個人事業主」という生き方を選びました。

そんな「個人事業主」という生き方を選んだ彼について、「勇気がある」とか、そう思われる方もいるかもしれません。
ですが、おそらく、彼自身は「勇気を持って挑む」とか、そんなつもりはなくて、その逆が正解かもしれなくて。

「サラリーマン」では難しくて、自分にはそもそも合わないと判断したうえで、「個人事業主」を選ぶしかなかった、あるいは自然と選んだ、のかなあと思います。

楽しむことを忘れない。

そんな彼は、わたしと根本的な考え方が決定的に違うと感じるものがあります。それは彼は「楽しむことを忘れない」、そんな風に感じます。

わたしは「勇気を持って挑戦する」ことを大事にしていて、その「勇気」や「挑戦」をベースにしていますが、彼はおそらく「好き」や「楽しむ」をベースにしているように思います。

以前のわたし、特に会社員時代のわたしは、真面目過ぎたというか、考えすぎて悩みすぎて、人生を楽しめておらず、むしろ悲壮感すら漂っているところがあるなーと自分で思いました…。^^;

ですが、彼はそうではありません。
過去の前田君はわからないですが、少なくとも出会ってからのわたしの知る前田君はどんな時も、どんな生き方、どんな選択をするにしろ、必ず、自分自身が「好きであること」「楽しむこと」を前提としています。

前田君、前田君と同い年の友人、わたしの3人でルームシェア開始。

そのことに気づいたのは、わたしが会社4年目くらいになって、人事異動で、住む場所を変えるときになったときの話です。
実は、わたしと前田君とで、ルームシェアを始めていたのです。(実際にはもう1人入れて3人でルームシェアをしていましたが。)

経緯としては、まず、わたし自身の会社内の人事異動により、わたしが働く場所を変えて、東京の真ん中あたりで働くことになったのですが、

働く場所を変えるならば、家も変えたいと思っていて、通勤時間が1時間以内に収まりつつも、ある程度広くて快適な家で、家賃も安い家とかないかな~と思いながら家を探そうと思っていました。

同時に、そのときのわたしは既に、会社で働くことに疑問も持っていました。(詳しくは以下の記事)

「本当にこのまま会社で働いていて、自分自身は納得できるのか?」
「会社で働くだけでなくて、もっと活躍の場を広げて、広い世界でやってみてもいいのでは?」

と思うようにもなりました。

ちょうど、前田君という同じ聴覚障害を持つ年下で、大学の後輩ではありますが、個人事業主では先輩がいるので、前田君と同じようにアフィリエイトという仕事ができるとは思わないのですが、個人事業主という生き方も、自分の得意な武器に合わせて仕事をすれば可能かもしれないなと思って、自分自身の中で挑戦したい気持ちが芽生えました。

そのため、前田君と一緒に生活することで、将来のために何かヒントが見つかるのかなと考えていたと思いますし、いずれは一緒に仕事もする機会もあるかなと考えたので、前田君を誘えないかなと考えました。

それに、わたし自身は一人暮らしで、仕事がしんどく感じるようになって、家の中で一人でいるのが孤独だなーと感じてきたので、誰かと一緒に楽しく気軽にワイワイしたいなーとも思っていたと思います。

また、前田君とは別に、前田君と同い年の友人がいて、その人も会社に入ってはいますが、家賃を安くして、将来のためにお金を貯めたいなど、色々と考えていたようですので、その人も誘ってみて、前田君と三人でルームシェアできないか検討してみました。

すると、前田君と、前田君と同い年の友人からOKを貰うことができ、また、3LDKでちょうどよい物件も見つかって、色々と都合が良かったので、三人でルームシェアを始めました。(現在は、ルームシェアを解消して、それぞれ別に住んでいます。)

こだわりは「好き」と「楽しむ」から生まれる。

それで、前田君と一緒に生活するようになって、改めて彼について知ったのですが、彼は仕事だけではなくて、生活など様々な面でこだわりを持っており、例えば家具を配置するにも、

「使いやすさ」
「快適さ・過ごしやすさ(色や形を見て、心が落ち着くもの)」
「動線の確保」

など、本当に隅々まで考えようとしていて、細かいところまで気を配っています。

わたしは生活できればいいやーって適当に済ませてしまいがちで、ズボラになってしまうところがあるので、彼のこだわりにはいつも感心します笑

そんなに色々と細かく考えていて、疲れたりしないのかな???と彼自身には口を出さずに心の中だけで思っていました。

ですが、後で聞いたところによると、どうやら、彼は住む部屋・家の中を綺麗に整えて、毎日自分が気持ちよく過ごせるようになることで、日々の活力
にも繋がる
と考えているようです。

また、家具をネットから探して注文するところとか、買い物を一緒に出かけるときに、彼はいつも、楽しそうにしていて、
「これ、いいと思いません???」
というように目をキラキラと少年のように輝かせながら、みたいな普段とは異なるノリで話しかけることもあります。

普段は無口で、とても静かなのですが、好きなことをするときの彼は本当にテンションが高くなります。
前田君と同い年の友人も、前田君と気が合うようで、一緒にテンションが上がって盛り上がることが多くて、わたしはぽかーん( ゚д゚)と毎回置いてけぼりになることも多いのですが笑

話が少しそれましたが、どうやら、わたしが手間・面倒と思うようなことでも、本人は「好き」「楽しい」と思ったら気にならないそうで、それは家の中での生活のみならず、仕事にも活かされていると思います。

本当にいつも「楽しむ」ことを忘れておらず、知識・技術・経験を学ぶことも、仕事に取り組むことも、自分自身で「やる意味がある」「面白そう」「楽しくなりそう」と思ったら、思い切って飛び込んでいくことができるようです。

わたしは、「面白そう」と思っても、「手間がかかりそうだなー」とか思ったらぐてーんとやる気がなくなることもあるので、そういう意味では凄いなーと思います笑

「逆転」の発想

ルームシェアをして前田君とよく話すようになると、わたしは時々、「前田君ワールド」に引きずり込まれます。

そのワールドはすべてがあべこべで。
例えば、朝起きたときに前田君へ「おはよう」と声をかけると、
「おやすみなさい!」と返事があって、
数瞬後に「・・・ん?」となります。

場面が変わり、「おやすみ」と声をかけた後に寝ようとすると、
「おはようございます!先輩!朝ですよ!??
せっかくのいい天気ですので外へ走りに行きましょう!!!」

と、外は真っ暗なのに、とてもウキウキした顔で話しかけられるので、一瞬
「あれ・・・?朝だっけ???」
と、思わず勘違いしてしまうほどです。

前田君と話すと、何かしら混乱して、数瞬フリーズすることもしばしばです。。
今は大人になったのか、そのような「前田君ワールド」は落ち着いたようですが笑

このように、前田君と会話するときは、よくある会話のパターンとは「逆転」して会話のキャッチボールを行うことがよくあります。
(といっても誰とでもそのような会話をするわけではなくて、仲良くなった人、冗談を通じる人だけだと思いますが笑)

ただ、その日々の会話の中で、いつも「逆転」の発想で訓練?しているおかげなのか、一緒に仕事をしている中でも、わたしには思いつかないことやアイデアが出てくるので、「おお…」となることも多いです。

そういう意味では、一緒に話していても、仕事をしていても楽しいと思いますし、常識にとらわれない発想でも意見を述べてくれるので、色々と刺激を貰えると思います。

わたしと前田君の発想の違いについて、野球のピッチャーの球種で例えると、わたしはいつもド直球ド真ん中のストレートしか投げないとするならば、彼はいつもフォーク、スライダー、カーブ、魔球など、多彩な変化球を投げているようにわたしからは見えます。

(もっとも彼からしたら、わたしの球種は、逆に変化球に見えていて、彼自身の投げる球こそがストレートと思っているのかもしれませんが笑)

自分自身だけでなく周りも一緒に「楽しもう」とする。

そんな彼は、わたしとも時々ケンカをすることもあります。
といってもケンカをするようになったのはわりと最近の話ですが笑

三人で始めたルームシェアは、わたしが会社を辞めて、個人事業主となった後、1年くらいしてから、前田君と同い年の友人が、諸事情で離れることになったため、住む場所を変え、二人でルームシェアを継続しました。

わたしも前田君も個人事業主という仕事はしていたものの、いつもお金が安定して得られるわけではなく、また一緒に仕事をすることも多かったので、まだ一緒に住んでいたほうが都合がよかったのです。

しかし、二人で住むようになると、それまで三人で暮らしていた時は、同い年の友人がわたしと前田君の中間的な、バランスを取るような役割があって気にならなかったのですが、前田君のこだわりと、わたしの適当なところがぶつかってしまって、お互いにストレスを抱えるようになりました。
距離が近くなりすぎてしまったのです。

お互いがお互い、譲りながら生活できればよかったのかもしれませんが、二人で住んでいた時のわたしは、色々と気を遣いすぎて疲れていて、前田君がこだわりたいことに対してよく逃げていました。

前田君は、そんなわたしに対しても、よく気を遣ってくれて、一緒にいて、自分自身だけではなく、わたしも含めて、一緒に「好き」「楽しむ」ことができるようによく提案してもらいました。

ですが、わたしはその時はどうしても、前田君のこだわりが窮屈に感じられて、また、前田君からの気遣いに対して、変にわたしも意地になってしまったのか、自分を許すこと、自分を楽にさせることができなくて、

「こっちに気を遣わないで楽しんでほしい」
「前田君は前田君の好きなようにしていい」

など、そんなようなことをいって、後輩に対して無駄に格好つけたりして、本音を言えずにいました。
前田君のその気遣いをちゃんと受け止められていませんでした。

その頃のわたしはまだネガティブで、個人事業主など色んな仕事に振り回されて相当疲れていて周りがあまり見えていなかった頃だと思いますが、改めて、彼には本当に申し訳ないなと思いました。前田君、ごめんなさい(><)

現在は、お互いが気持ちよく暮らせるように、また、今後の仕事の方針も考えたうえで、それぞれ別に暮らして頑張っていくことになりましたが、今思えば、彼についても改めて一つ理解することができてよかったかなと思います。

それは、彼は自分自身のことだけではなくて、ちゃんと周りのことも考えて、周りも一緒に「好き」「楽しむ」ことができるように動いてくれる、気遣いのある方ということです。

自分自身だけでなく、他の人とも一緒に「楽しんで」過ごそうとしています。

彼の「アート」は「デザイン」であり、「デザイン」は「アート」ともなる。

「言語情報」で表現するのは苦手なようだが…!?

彼自身は、「言葉」で表現するのが苦手と自身で認識しているようです。
理由は不明ですが、彼に少し聞いてみると、小学校までは、家庭の中でも、学校の中でも、誰かと会話しながら、自分自身の考えを誰かに伝えていくなど、アウトプットが極端に少なかったそうで、そういったことと関係があるのかもしれません(話を聞いたり、文章を読んだり等インプットはそれなりにある様子)。

そのため、以前に鳥光さんと一緒に仕事をしていたとき、鳥光さんへ前田君が実施した仕事の進捗など連絡する際に、前田君が文章を作って、わたしが確認して、フォローを入れるなど、協力し合ったりしていました。

(今は、個人事業主としてしっかりと自立したいという方針のようですので、一人でなんとか工夫しながら乗り越えようとしているみたいです。)

話が少し逸れましたが、わたし自身も、彼は、どちらかというと、彼は「日本語」「手話」という「言語情報」を用いて表現するのではなく、「色」「見た目」「形」「大きさ」という「非言語情報」を用いて表現する時に、より強く大きく輝くと考えております。

例えば、鳥光さん、前田君、わたしと三人で取り組んでいる仕事のうちで、『映像ライブラリー』という人生や仕事の「IKIGAI」について映像で並べて語っているサイトや、「有限会社BLK沖縄」というホームページがありますが、そのWebサイトやホームページの見た目の部分はほぼ全て彼が作ってくれています。(Webサイト、ホームページは以下のURLです。)
https://eizoulibrary.com/
https://eizoulibrary.com/site/
https://eizoulibrary.com/lp/kindle/

また、「他人の人生覗き見するとあなたの人生見えてくる」という本の表紙についても、彼が考え、提案して作成してくれましたし、前田君に関するエピソードで途中の挿絵も、彼が作ってくれました。(わたしのエピソードの途中の挿絵はわたしが作成しましたが、彼と差がありすぎて、くっ…となります。orz)

プロのデザイナーと比べると、全然まだまだなのだろうとは思いますが、それでもわたしから見ると、どれも、充分にセンスがあるように感じられて、パッとみて、凄いな…といつも感心します。

彼自身は"デザイン"に関して学んだ経験があるというわけではなく、しかも、元々表紙を作ることも乗り気ではありませんでした。それでも彼はほぼ独学で取り組みました。たぶん、独学で学ぶときも「楽しむ」ことも忘れずに夢中でやってくれたのだと思いますが笑

そうそう、今までの中で彼が手掛けたデザインで一番びっくりしたのが、「他人の人生覗き見するとあなたの人生見えてくる」の表紙の案の中で、幻になりましたが、以下のように「大きな二つの目」が強烈に記憶の中で残るものもありました。

幻の表紙案
「他人の人生覗き見するとあなたの人生見えてくる」

どうやら、上記の表紙は元々、誰でも簡単にプロっぽくデザインできるCanvaという無料ツールがあって、そのツールの中に、いくつもの無料で使えるKindleの表紙用テンプレートがあり、
その中に上の「大きな二つの目」が使われているテンプレートがあって、彼はそのテンプレートを選んだようです。

わたしだったら絶対にそのテンプレートを選ばないというか、「かなり攻めてるなあ…」と思ってしまうものです。
結局は別の表紙の案になりましたが、彼が作るデザインにはわたしの中で驚きと衝撃がいっぱいです。

わたしは以前、"デザイン"と"アート"の違いについて、以下の記事を書いたことがあります。

その記事の中では、"デザイン"と"アート"の違いを考え始めたのは、以下の本がきっかけと説明いたしました。

その本の中では、興味深いことが書かれてあって、それは、生活の中の至る所に様々な"デザイン"がピンからキリまで潜んでいる、ということです。

どこかのお店の看板。
飲食店で頼むメニュー。
本の表紙など。

人が日々生活するなかで、目に触れる様々なモノに"デザイン"が潜んでいます。それらの"デザイン"は、できるだけたくさんの人に「何だろう?」と思ってもらえるように、自然と興味を持ってもらうことができるように、色や形、文字の配置や大きさ、イラストなど、様々な工夫が凝らされています。

センスもあるとは思いますが、”デザイン”を学んだことがなかった人でも、例えば、自分自身で、街中を歩いた時に
「ん?」
「これいいね!」
とか、自分が思わず興味を持つような"デザイン"を見つけたら、
「なぜ、気になったんだろう?」
「どこで良いと思ったのだろう?」
と興味を持った理由について、自分なりに分析することで、独学でも"デザイン"を身に着けることができ、プロのデザイナーとまではいかなくとも、自然とある程度のところまでは上手くなる(こともある)ようです。

わたし自身、彼も自然と上手くなったタイプなのかもなあと思います。
彼自身が外の世界に出かけ、街中で様々なものと触れ合っていき、自分自身の興味や好奇心に応じて、「なぜ、良いと思うのだろう?」とか、興味を持ったものに対して、深く追求していって、分析を繰り返すことで、自然と良いものを見分けられるようになったかな、と思います。

「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが、まさにその言葉が彼を表しているのかなあと思います。

Webサイトやホームページを作る時、Kindleの本の表紙を作る時や挿絵など、人々に興味を持たせるものを作ろうとするとき、彼は自分自身の経験や感覚で、「この配置が良いと思う」とか自分なりに色々と考え、良いと思うものを突き詰めて表現しているのだと思います。
その結果、人々が興味を持ってくれるような"デザイン"となったのだとも思いますし、また、彼が作ったものは、彼自身の「好き」「楽しい」を元に抽出されたもので、彼なりの一種の"アート"にもなっているのではないかなあと思います。

ちなみに"デザイン"と"アート"の違いについて説明するならば、上の記事の言葉を借りると、

アートは自己表現で、デザインは問題解決

「デザインとアートの違い: 問題解決と自己表現」
Freshtrax、ビートラックス(btrax)

だそうで、"デザイン"には、多くのお客さんの目を引き付けるためであったり、たくさんの人が買いたくなると思うものであったり、普段から使いやすくするものであったり、目的に応じて問題解決のできるような姿勢・考え方になるそうです。

一方で"アート"は自己表現であり、自分自身が伝えたいもの、伝えようとしているものに対して、様々な形で思いのまま伝えようとする姿勢・考え方になるそうです。

上記のように"デザイン"と"アート"の姿勢・考え方をそのように認識するならば、彼はどちらもあるのかなと思います。

日々の生活の中でたくさんの"デザイン"を「好き」「楽しんで」触れ合って、どんどん吸収していくうちに、彼の中での経験・ノウハウが無意識に溜まっていって、いざ、仕事となって何かを形にするときに、まるで一種の"アート"として出来上がっていく。

そんな「楽しみ」ながら、知識・技術・経験を自然と身に着けていく流れが彼にはあるような気がします。
彼自身の「好き」「楽しむ」が根っこにあるからこそ、"デザイン"と"アート"という、一見両立しなさそうなものが一体となっている気もします。

(わたしはデザインを学んだことがない素人で、身内だからこそ、大げさすぎて贔屓しているだけかもしれませんが笑)

「言葉」にしない代わりに、「理解」しようとする。

もう一つ、彼が「言葉」で表現するのを苦手とする代わりに、いつも相手の話を「聞く」ようにしていて、できるだけ「理解」を深めようとして、言葉の裏も読み取ろうとしているような気がします。

彼は聞き役に回ることも多いのですが、いつも、鳥光さんの話やわたしの話を聞くだけではなく、意図をきっちりと掴もうとしていますし、鳥光さんやわたしも見えていなかった部分、本当の気持ちややりたかったことも、彼は何となく感づいて、その気づきを促すための「問いかけ」を投げかけられることがあります。

鳥光さんやわたしだけでは、迷路にはまりこんでしまいそうだったところへ、投げかけられた「問いかけ」が「方位磁石」のようなものになり、事業・仕事への取り組みにおいて向かっていくべき方向(方針)を定めることができるようになって、すこしずつ目的・目標へと向かって、軌道修正できるようになります。

彼は彼なりに、自分のできるところを常に探し続けているのだと思っていて、「聞こうとする力」「言葉の裏も含めて理解しようとする力」も彼の強みだと思います。

おわりに

ここまで読んでくださってありがとうございました。
また、文章が長くなってしまいましたが、彼の魅力・輝きについて少しでも伝わりましたら幸いです。

彼は聴覚障害を持っていて、会社にも入っていませんが、だからこそ、世間の常識に捉われない型破りの発想も生まれやすいと思っています。
また、彼は「好き」「楽しむ」ことをいつも源に、知識・技術・経験を自然とどんどん吸収していくこともできるので、そういった【吸収力】も彼自身の強力な特性かなと思っています。

彼は、最近までわたしと一緒に住んでいて、一緒に仕事もしておりました。ですが、去年の夏の終わりに、前田君と話し合って、彼は今後、自分自身の武器・技術を身に着けて、自立していきたいという意思があるようでしたので、それからはわたしと離れて、それぞれ一人でやっていくことにしました。

彼は今後、アフィリエイトではなく、これからプログラミング等を含めて、自分に最も合った武器・技術を模索中のようです。
また、彼はこれから自分が何をやりたいか、何を成し遂げたいのか、その「IKIGAI」を探し中のようです。

皆様、機会があるのか、ないのかは不明ですが、もし彼と一緒に仕事をする機会がありましたら、お手柔らかに、どうぞよろしくお願いいたします。

前田君自身についてもっと知りたくなりましたら、先ほども紹介済ですが、前田君の過去について綴られた本が以下にありますので、良ければご覧いただけましたら幸いです。(KindleのUnlimited(読み放題)会員であれば無料で読めます。)

※以下はわたしから前田君への個人的なメッセージです。読者の皆様に伝えたいことは以上ですので、ここで読み終わっても大丈夫ですが、興味のある方は読み続けても大丈夫です。優しい目で見守っていただけましたら幸いです。

前田君へ

改めて色々と一緒に仕事をしてくれて、ありがとうございました。
これからも鳥光さんも含めて、一緒に仕事をすることもあると思いますが、個人的には、前田君のことは、年下だけれども、「競い合う」相手ではなくて、良い意味で、一緒に「高め合える」相手であり、ビジネス上としてはベストパートナーだと思っています。(生活上では距離が近すぎるとうーんなところもありますが笑)

前田君と話していると、考え方の根っこの部分がわたしとは異なると感じていて、だからこそ、仕事上では、色々な角度から考えることができ、様々なアイデアがどんどん浮かんできて、たくさんの刺激を貰えます。
一緒に仕事するとワクワクするというか、楽しくなってきますし、考え方は異なっても、目的が同じならば、協力し合うことができると思います。

また、先ほども触れましたが、今は一人で、時々鳥光さんにもお世話になりながら、武器を磨こうとしていて、そして自分自身のために「IKIGAI」を探している途中だと思いますが、応援しています。

たぶん、前田君がどんな道に歩こうとも、前田君の考え方の根っこの部分に「好き」と「楽しむ」が前提としてあるので、前田君の歩く道、作るもの、描くものはワクワクする要素がどこかで必ずあり、ファンも必ずついてくると思います。

これからも、前田君は前田君らしく、「遊び心」を忘れずにいれば大丈夫だと思いま^^b

わたし自身も、前田君がこれから作ろうとしているものや、やろうとしていることに対するあらゆるもののファンの一人であり、今後を楽しみにしている一人です笑

ぜひ、これからもずっと、「人生」というある意味では一種の果てしなく長い「ゲーム」ではありますが、日々楽しんでください!笑

これからもよろしくお願いしますm(_ _)m

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