「さわられることが苦手」について考えてみた
私は整体師なので人にふれる仕事をしています。そして、人にさわられること(ボディタッチ)が苦手な人は一定数いると実感しています。
当院のように身体にさわられることが前提の店には来たくはないのでしょうが、身体が痛かったりして仕方なく来るようです。お金を払ってまで苦手なことをされたくはない気持ちはわからないでもないです。美容室でサービスの一環として肩をマッサージしてくれるところは多いですが、さわられることが苦手な人からするとありがた迷惑なようですね。
今回は、さわられることが苦手な人にはどういったタイプがあるのかを考えていきます。
まずは、さわられるとくすぐったいタイプ。どこをさわってもくすぐったい人もいれば、ある部位だけくすぐったい人もいます。
原因は皮膚が若いため。あまり凝っていない若い女性に多い印象です。
赤ちゃんをさわったりすると、「きゃっきゃ、きゃっきゃ」笑うイメージがありますよね。赤ちゃんは皮膚がまだ敏感なので、くすぐったいのでしょう。それが年齢と共にツラの皮が厚くなっていくというか、ほどよい接触感度になっていくとさわられてもくすぐったいとは感じなくなります。
また、人とのコミュニケーションで緊張しがちなタイプもさわられることが苦手なようです。″触れる・触れられる″というスキンシップは直接的なコミュニケーションですし。
ぶっきらぼうでタフそうな見た目の男性でも、施術で身体にさわれたときに『ビクッ』となる方がいます。そういう方はコミュニケーションが苦手なことを、″ぶっきらぼうさ″で隠しているのかもしれません。
人が安心できる空間的距離(パーソナルスペース)は人によって違うでしょうが、″さわれる″というのは自分のスペースを侵されている状態です。その″さわれる″ということに、喜びを感じるか、はたまた居心地の悪さを感じるかは、相手による要素は大きいでしょう。単純に、好きな人にさわられれば嬉しいけど、嫌いな人にさわられれば嫌悪感が湧いてくるでしょうから。
しかし、なかには好きな人にさわられるのも苦手という人もいます。私の主観なのですが、そういう方は家庭環境が複雑だったことが少なからず影響していそうです。
赤ちゃんの時期に親から普通に愛されて育っていれば、「ぎゃー」と泣き叫んだときに、抱っこされることで安心感を得ていたはずです。″オキシトシン″という別名『喜びホルモン』や『幸せホルモン』と呼ばれるホルモンがあります。これは社会的なつながりを良好にするホルモンで、スキンシップで分泌されます。このホルモンから考えるに、乳児期や幼児期に親からの充分なスキンシップを得られなかった人は、人との距離感や社会的なつながりに不安を感じてしまうのかもしれません。それがさわれられることが苦手ということに表れていると思われます。逆に、親から充分なスキンシップを得られなかったがために、人にさわられることを極端に求める方もいたりします。
また、過去のトラウマが原因という方もいることでしょう。他人から身体的に傷つけられた経験があったりすれば、それは仕方のないことでしょう。また、精神的に傷つけられたという経験でも、他人との距離感が分からなくなり不安になることも考えられます。
他にも、発達障害でさわられることに嫌悪感を持つ人もいるようです。脳の仕組み的に苦手な分野なのでしょう。
単純に『さわられるとくすぐったい』という方は年をとれば大丈夫になりますが、『さわれられるのが苦手』というのは、なかなかデリケートな問題を含んでいそうです。
苦手なことを克服するのは、そう一筋縄でいくものではありません。ただ、人との距離感の不安を軽減させるために″オキシトシン″を分泌させることは効果がありそうです。そして、人からさわられなくても″オキシトシン″を分泌させる方法はあります。それは、猫や犬の毛をなでること。ペットを飼っていない方などは試してみる価値はあるでしょう。″人からさわられる″よりも″ペットにさわる″ことから慣れていくといいかもしれません。