令和6年能登大地震:同じ被災地の被災者で自分のために動く人と全体のために動く人
夜が深ける中、同じ被災者であっても、物資が全員に行き渡るように声を枯らしながら動き回るボランティアの人たちと、お客様気分というか被害者意識で何も動かない人たちの二極化が目立つように感じた。
両親と同室した人たちの安全と食料確保ができた時点で、私もボランティアとしてサポートする側に回ることにした。
「何か手伝えることはありませんか?」
テキパキと指示するボランティアスタッフの男性に聞くと、
「カップラーメンが見つからないのです。カップラーメンを探してもらえますか?」
支給されたカップラーメンに注ぐ用にと、給水ポットにお湯の準備できたのだが、肝心のカップラーメンが行方不明になってしまったらしい。
しばらく探したが、見つからないため、また同じ男性に何か手伝えることはないか聞くと、「あっちに紙コップを運んでください。」とのこと。
紙コップの束を掴んで指をさした方向へ廊下を歩くと、給水ポットにお湯を入れて渡す女性が2名ほど見えた。
「助かります〜!ありがとうございます〜!あ、水がないので、水を持ってきてもらえますか?」
続けざまに頼まれ、私は外にあるテントに向かった。
テントではペットボトル入りのミネラルウォーターやお茶やジュースやコーヒー類が配られていた。
配給当初の7時頃は人数制限があったが、夜10時を過ぎると物資の方が人数を上回ったのだろう、好きなだけ何本でも持っていって良い様子だった。
私は1リットル入りのミネラルォーターを2本ほど掴み、給水ポットの置き場所まで戻ると、既にダンボール2箱分のミネラルウォーターが届けられていた。
他にできることはないか周りを見渡してみると、床にダンボールや毛布を敷き、その上に布団にくるまって寝ている人たち、楽しそうに集まって話す地元の高校生らしき女の子たちの姿が見えた。
お腹を満たすための食料も暖をとるための布団も人数分行き渡っており、避難当初の緊迫感や悲壮感らしきものはなくなり、まろやかな空気感に変わっていた。
時計が夜11時半を回る頃、私の中で突然頭痛とともに睡魔が襲ってきた。
「普通でいよう。」
私の中で声が聞こえた。
確かに緊急避難先での光景は異常事態だったが、ほとんどの人がそれぞれの環境で
寝静まり、空気感がまろやかで落ち着いた中、いつまでも血相を抱えて必死で物資を配給し回ることに違和感を感じたからだ。
私はボランティアをやめて校長室に戻り、既に寝ている両親の姿を確認すると、父親の布団を半分もらい、頭ごと被った。
深い睡魔と頭痛は私を深い眠りへと誘った。