2024年元旦の和倉温泉旅行、統合ワークの真っ最中、私が目を醒ますために起こした地震という現実
2024年1月1日元旦、夕方4時ちょっと前。
石川県七尾市和倉温泉の老舗旅館の11階の畳部屋にノートPCをセットし、隣の部屋で寛いでいる両親の邪魔にならないように、イヤフォンで並木良和先生の元日オンラインセミナーを受講していた。
その日は一粒万倍日と天赦日と大安と元旦が重なるトリプル吉日。
そんなパワフルな日のエネルギーを最大限に活用しようと張り切って参加したセミナーのワーク中だった。
携帯がサイレンのように鳴り響き、地震警報が流れた。
「地震です。」
ワーク中だったこともあり、「なんだろう。」と思った2、3分後だっただろうか。
突然、グラッと地面が揺れた。
「あ、地震だ。」
最近は東京の自宅で震度3や5レベルの地震は頻繁に体験しているため、「大したことはないだろう」とセミナーのワークに集中していた。
ところが、なかなかおさまらない揺れが続いた時、隣の部屋にいる両親の安否確認をした。
床の間に飾られた花瓶が倒れ、水が溢れており、母が「お花がかわいそう。」と言いながら元に戻す姿が見えた。
まだ揺れは続いていたが、11階という高層階の部屋にいたため、実際よりも揺れが大きく感じられるのだろうと思った。
そして、輪島塗の頑丈な食事用のテーブルの下に隠れるように両親に伝えた。
そして、収まったと思ったところで部屋に戻り、ワークに集中していた。
ところが、再び大きく揺れ、PCの前に正座していた姿勢のバランスが保てなくなり、グラッと壁の方に放り出されるように崩れた。
「大きいな。」
と思い、改めて隣の部屋にいる両親の安否確認をした。
両親が無事であることを確認して戻ると、オンラインセミナー司会者からのアナウンスが流れた。
「津波警報も出ておりますので、震源地の方、もしくは海沿いの方は、まずは避難を優先させてください。」
この時、ドキッとする自分がいた。
宿のロケーションは海ぞいに面しており、窓の外には海が広がっていたからだ。
こういう時こそ、自分に集中しようとした。
自分の直感に従おうと、自分の中に集中した結果、「大丈夫。」との答えが来た。
揺れはもう来なかったので、「これでもう大丈夫」とまたワークに戻ったが、今度はイヤフォン越しに部屋の外で館内放送が流れるのが聞こえた。
「宿泊者の皆様、4階に集合してください。
5メートルの津波が来る危険性があります。」
私はセミナー継続を断念することにした。
後ろ髪ひかれる思いでノートPCを閉じた。
そして、両親のいる部屋に行き、館内アナウンスについて話し合った。
その結果、津波の心配であれば、わざわざ4階まで降りることなく、11階の部屋に留まった方がいいだろうと思った。
ところが、5分ほど経った頃、館内アナウンスに被さるように、今度は部屋の外から大声で叫ぶ男性の声が聞こえた。
「この階に誰かいらっしゃいますかー!誰かいたら教えてくださーい!」
何度も叫ぶその声に、私は部屋の外に出て「ここにいまーす!」と答えた。
すると、ヘルメットをかぶった作業服姿の男性2名が目の前に現れた。
「いた・・・。」
肩で息を切りながら、汗だくになった男性2人は、目を大きく見開いて私を見つめた。
その様子に私は、「なんでこんなに切羽詰まった表情をしているんだろう?」と不思議に思った。
その時の私にはまだ、そんなに大事のように感じなかったのだ。
そして、普通に淡々と不思議に思ったことを訪ねた。
宿のスタッフに言われるがままに従うのではなく、「11階に留まった方が安全だ。」という自分の直感に従いたかったのだ。
「全員が4階に移動する必要があるんですか?」
「はい、全員です。」
「津波の心配であれば、11階にいた方が安全かと思うのですが、いかがですか?」
私の質問に男性スタッフは2人で顔を見合わせて、沈黙した。
「ちょっと確認してきますので、お待ちください。」
宿の指示に基づいて動いていたのだろう、しばらくして戻ってきた男性2人は、
「やはり、全員です。」
と答えた。
私は質問を続けた。
「4階に集合した後、全員でどこかに避難するのですか?」
「はい。そうなります。」
全体性のエネルギーを感じた時、私は先ずはこの流れに従ったほうが良いだろうと直感した。
私と両親は必要最低限の荷物を持って、4階に下がることにした。
前の後ろには宿のスタッフ2名がサンドイッチのように私と両親を挟んでナビゲートしてくれた。
それまでイヤフォンでオンラインセミナーに集中していたので全く気づかなかったが、玄関の花瓶が倒れ、床に散乱していた。
そして、さらに部屋の外に出ると、エレベーター前の花瓶が倒れて割れており、壁に亀裂が入っていた。
エレベーターが止まっているので、非常階段で4階まで下がっていくのだが、非常階段の壁にも亀裂が入っていた。
そして、4階まで下がり切ると、床の絨毯に水がにじみ出て、段差が生じ、瓦礫が重なり合っている。
そして、演台のようなスペースには避難した人々が集まっている姿が見えた。
中には大浴場にいた人だろう、浴衣に羽織、裸足に草履姿の人たちが寒そうに身体を縮こませながらじっとしている姿が見えた。
そこまで案内される道も水浸しで水たまりができていた。
とっさに私は母の靴が濡れることを心配した。
靴が濡れるとそこから体温が冷えてしまう。
「この水たまりの上は歩けません。」
そう伝えると、スタッフの方がとっさに大きくて分厚い座布団2枚を水たまりの上においた。
おかげで私たちは靴を濡らさずに座布団の上を歩いて渡ることができた。
そして、宿のスタッフに案内されるがまま外に出ることになる。
だんだん、私の中で「これはある程度長期戦になる可能性がある」という感じがした。
その時、オンラインセミナーの方に神経を集中していたので、また、納得しかねた気持ちのままで部屋を出たせいか、貴重品のお財布などを忘れてしまったことを思い出した。
私は部屋に戻ることを決意した。
宿を開けている間に窃盗が入って現金などが盗まれる可能性があると思ったのだ。
戻ろうとする私に、宿の男性社員が決死の様相で大きな声をあげた。
「今はやめてください。命の方が大事です!」
その顔は血色を帯び、額には汗がにじみ出ていた。
私の中では、揺れが収まった今、なぜそこまで必死になっているのかがわからなかった。
その後、その男性社員は「先ほどは強く言ってしまって申し訳ございません。」と謝り、「一緒に行きましょう。」とまた男性社員2名に前後挟まれた状態で、足元を懐中電灯で照らされながら11階まで戻った。
お財布だけではなく、父の薬、母が買ったお土産など、両手に持てるだけ持って4階に戻った。
後から、スーツケースごと持って来ればよかったと思ったが、その時はそのような余裕はなかったのだ。
待機場所では宿の従業員たちが集まり、500mlのペットボトルの水、ホッカイロ、座布団、バスタオルの配給があった。
両親と一緒に両手で持てるだけもらい、従業員の指示に従い、宿の外に出て避難場所に移動することになった。