無知の知的な隙自語

自慢でも何でもないが、私はたまに頭いいとか教養があるとか難しい話も理解してくれると言われることがある。これ以上喜ばしいことはこの上ないが、悲しいことに彼等の言葉に異論をなさなければならない。(何故なら、偏差値30台のFランで仮面浪人4浪していたから…)しかし、多分だが勉強の出来的な意味での頭の良さではなく、彼等は私が文学等に興味があったり、思考を巡らせるのが好きだったりしてることに対して言っているのだと思う。私は何もできないし、何も知らないし、何もない。だから、私は本を読むし、考える。自分には何もできなくて何も知らなくて何も持っていないことが恥ずかしい、生きていることが恥ずかしい。勿論、他者に対してはそんなことは思わない。あくまで、自分に対してだけだ。特にFランでの浪人時は自分限定優生思想が常に頭の中にあった。今は何年もかけて頭の片隅程度までに追いやることに成功した。けれど、私が何かをする時の原動力はこの概念が本質なのだ。皆、好きだから・興味があるからやってるだけなのに、私は自分が好きなことや興味があることにも不純な動機がなくては手を出すことができない程、つまらなく卑しい人間である。そして、その本質の前段階に、やりたい事はいつやっても遅くはないが、出来る限り早く取り掛からねばならないという概念が自分を割と色濃く形成している。なので、私は常に生き急いでいる。だからといって中途半端な状態で始めたくない。やるからにはそれをやってもいいといえるような自分の中での資格がないといけない。じゃないと始めることすらやってはいけない気がする。最低限自分の身を守ってくれる資格がないと、いざ攻撃や批判を食らった時に自我を保てる保証や自信もなければ、ここぞという時への他者への説得力もない。だから資格が必要だ。何かを始めるなら土台を万全にしてからじゃないとできない。自分に自信がない故の完璧主義なのかもしれない。

ゆえに、頭いいね〜教養があるね〜と言っていただく度に、「何もできない何も知らない何もない人間が何かを知れば、また、知らなくても何かを知ろうとする努力をすれば、無能無価値であることが一ミリでもマシになった気がするからやってるだけで、決して頭いいとか教養あるとかじゃないんです…嬉しいけど…!!でも喜んではいけない…だって私は何もできない何も知らない何もない人間だから…!!!(最初に戻る)」という思考回路になってしまうのである。でも、私はこの思考回路が嫌いじゃない。満足したら向上心がなくなってしまうからだ。向上心がなくなった自分には、何もないのがわかってるから怖い。私は何もない自分よりも、何もないなりに必死こいて何かを得ようとしてたり何者かになろうとしてる自分が好きだ。なので今のところ無理に自己肯定感を上げるつもりはないが、他者に自己を肯定してもらうことは大好きなので、黒世ほめほめボランティア絶賛募集中である。


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