特別になりたかった

この話は作り話である。フィクションとでもしておこう。

特別になりたかった。
私は物心ついた時から特別でいたいと思っていた。幼少期の私は家族曰く知らない人にもガンガン話しかけにいくコミュ強だったらしい。愛想も良いものだから、スカウトもよくされていたらしい。(何故全て断っていたのか親に聞くと、「キッズタレントマネジメントは子どもの輝かしい未来をダシにした詐欺みたいなもんだし、芸能界は水商売みたいなもんだから」と言われた。当時は「は?」と思ったが、今なら一理あると思う。)この当時は、まるで知性のない動物のように本能のまま生きていたから、何かの利益のためにとか、誰かからこう思われるからという目的ありきの行動したことはなかった。ただ、自分がしたいからしていた。自分の人生で一番最初の記憶は幼稚園の年少の頃。私は幼稚園の校舎内を逃げていた。逃げた先は行き止まりで、追い手に追い付かれてしまった。追い手は3人のクラスの女の子達。「男の子の前でだけそういうのしてるでしょ?そういうのやめた方がいいよ、嫌われるよ。」「自分のこと好きなんでしょ?ナルシストなんじゃない?」細かい内容まではうろ覚えだが、そのような内容の台詞を3人の女の子に囲まれながら言われ続けていた。女の子達が何に対して怒っているかはわからないが、私に対して怒っているということは私が何かしてしまったのだろう。私は何も反論せず、ただ聞いていた。聞いていたというより、固まっていたという表現の方が正しいのかもしれない。突然の剣幕に、何を考え、何を思い、何を話せばいいのか、どうすればいいのかわからなかったのかもしれない。女の子達はひとしきり言い終わると去っていった。1人取り残された私はとりあえず教室に戻ろうとした。まだ感情が芽生えてなかったからかもしれないが、別に悲しくないから涙も出なかったし、怒られたことへの反省心や何故怒られたのか疑問もわかなかった。何も感じず、何も思わなかったけど、少し足取りが重かった。教室に戻る途中で、遊具で遊んでいた男の子が「れこぴょん!」と笑顔で手を振ってくれた。その子の屈託のない笑顔と私に向けた明るい感情、それがすごく眩しくて、少し嬉しくて、どこかさみしかった。多分、自分では気づいていなかったが私は他人からのネガティブなアクションで、仮に自分が何かをやらかしていたからにしろ、多少なりとも凹んでたり傷ついていたのだと思う。そんな時に自分を見つけて、自分に対してのポジティブなアクションを与えてくれたことは、当時の自分の暗い心情にはあまりに眩しくて、自分の行動を否定された後に自分の存在を肯定してもらえたみたいで嬉しかったのかもしれない。けれど、特にその人が自分自身を理解して肯定してくれた訳ではない。彼が真の意味での救済者ではないことが、他者に対しての諦めが、さみしいと感じたのかもしれない。(一応書いておくが、彼に関しての異性的な好意も交友関係も一切ない。)この記憶以来、私は物心がつき、他人から「見られる」ということを意識し始めた。いわゆる私はコミュ症になった。ご近所さんに挨拶をするのが恥ずかしくて、ご近所さんに挨拶されても上手く返せなくて、なんで返したらいいかわからなかった。だから、結果として挨拶を無視したみたいな状態になっていたのだろう。親に何度も「挨拶してくれてるのになんでしないの!?失礼でしょ!」とよくブン殴られた。今思うとぐうの音も出ないが、挨拶はされたらどんなに恥ずかしくても、し返さなきゃいけないし、時には自分から他人に話しかけてまでしなきゃいけないものということがわからなかった。たいして仲良くない人と目を合わせて話すのが一刻も早く目の前から逃げ出したいほど耐え難いのもので恥ずかしかった。どんどん私は人の目に気にし、人の目を気にするから何を話せば正解なのかわからなくて口数が減った。私は内向的になった。新しい学年になるという周りの人間環境がリセットされる度に、友達は減り続け、小6頃にはとうとう誰もいなくなり、立派な三軍陰キャになった。そのような冴えない自分に反比例するかのように、無意識の中で漠然と特別になりたいという感情を抱くようになった。勉強でも、運動でも、絵の上手さでも、ビジュでも、クラスでの地位でも、特別になれればなんでもよかった。ビジュは自分の中では中の上くらいはあるんじゃね?と内心自惚れていた。ビジュが良ければ、大人しくても顔が可愛ければ一軍陽キャグループに存在することが許されるあの子のようになれるはずなのに、何故そこそこ可愛いはずのワイはなれないんやろか?とマジで思っていた。私そこそこ可愛い方だしいけんじゃね?とエントリーしたニコラモデルオーディションは書類落ちだった。(今思うと当たり前だが。)周りは男子に告白されただの、彼氏ができただの言ってるのに、中学校3年間誰かを好きになったことはおろか誰からも告白もされたこともない。なんなら、アンタだけ恋バナについていけないから、誰が好きとか自分の秘密だけ一方的に開示するのはフェアじゃないし、恋バナネタのないやつと話してても共通の話ができなくておもんないからと、周りの友達は皆こぞって異性の話で盛り上がれる者同士でくっついていたため、若干ハブられ生活を送っていた。勉強も運動も多分できるかできないかなら全国統計的にはできる側だと思う。勉強は中学時代の全国統一模試で得意科目は偏差値60後半、たまに70、苦手科目でも偏差値60切ることはほぼない。たまに数学とか問題の相性が悪い時とかは60切ってて、あ〜また親に「このままだと受かる高校どこもないぞ!大卒はまず無理だし、いけて短大だぞ!」って100回ぐらい聞いたこの台詞で怒られる〜とちょっと焦っていたくらいだ。どうやら世間的には偏差値50後半はヤバくないし、むしろ良い部類らしい。しかし、平均偏差値60半ばというのは、頭いい訳でもバカな訳でもなく、真ん中よりちょっとできるくらいである。決して勉強が得意だとは言えない。運動も短距離走はクラスで3.4番目くらいで、選抜リレーにギリ選ばれるか選ばれないで補欠になるかくらい。長距離走は学年で5〜8番目の合間くらい。多分、運動に関しては苦手ではない。親に運動部じゃないとダメと言われていたので、できるスポーツもないので走ればいいだけの陸上部にしぶしぶ入部してはいたのだが、県大会も出てないし、決勝にすら残ってない。かたや、同じ陸上部の同じ種目のもう1人の唯一の女子は学年で2.3番くらいに足が速くて、県大会にも出場していたし、駅伝メンバーにも選ばれていたし(ちなみに私は顧問のお情けで補欠メンバーとして参加していた)、その功績で部長にまでなっていた。こんなに身近に私より上の人がいるのに、私が運動が得意とはいえるはずもない。そんな中、唯一自分の趣味で、他の人より上手いであろうとと内心自負していたことが絵を描くこと、またはそれに準ずる内容の美術科目であった。美術の授業では、描いた絵が全員分廊下の壁に張り出される。優れていると認められ選ばれたものだけに金賞銀賞銅賞が貼られる。銀賞の人の隣の隣に私の絵は張り出されていた。私の絵には何の賞の表記もついておらず、ただ張り出されていた。私の絵の実力は大したことなかったんだと、絵を描くことをやめた。ビジュも冴えない、クラスでの地位は三軍陰キャの底辺、勉強も運動も唯一の趣味で特技だった絵ですら冴えない。一つも取り立てて優れているといえるものがない。同じクラスのあの子や、SNSで見るあの子は顔が可愛いから、性格が社交的だから、勉強ができるから、運動ができるから、絵が上手いから、楽器が弾けるから、だから大多数の人間から求められるし好かれているし価値があるんだ。ということは何もスキルのない私には価値がない?価値が欲しい。というか、私が存在しててもいい理由が欲しい。なんでもいいから特別になりたかった。その思いが爆発して、高3の時ミスIDに応募した。当時の私は教室で蟹工船や痴人の愛やドグラマグラを読んでおり、「そこらのアホな大衆高校生とは違う独特で知的な感性の私...」に酔っていたサブカルクソ女だったので、ドグラマグラを持った制服の自撮りを送った。後日、アキバ萌えカルチャーの嫌いな親が嫌そうな顔で「なんか変な書類アンタ宛にきてるんだけど!地下アイドルとかメイド喫茶みたいな変なの受けたんじゃないでしょうね?!ダメだからね!」と言われ、正解ッ!!と思いながらも「ち、違うよ〜(しどろもどろ)」と言いながら書類を受け取り、即座に自分の部屋に逃げ込み、部屋の鍵を閉め、中身を開けると、ミスID一次審査合格書類であった。当時の私は可愛いサブカル女子の追っかけをしていたので、大好きなミスID出身者の緑川百々子ちゃんや蒼波純ちゃんと同じ土俵に一ミリくらい立てたことが嬉しかった。だが、それ以上に、初めて他人から自分を認めてもらえたことがとても嬉しかった。けれど、審査に進むことで何者でもない自分が何者でもないまま見せかけだけの何者かになってしまうことが怖くて、辞退した。本当に馬鹿。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿。変わりたかったのに、変わる勇気がなくて、目の前にあったチャンスを自分の手で放棄した。二次審査の辞退の連絡を入れた後、ミスIDから、「できれば棄権しないでほしい。面接だけでもきてほしい。」との連絡がきたが、無視した。当時の自分を殴りたい。今思うと本当に勿体無いが、当時の自分には必要なかったのかもしれない。その数ヶ月後に、やっぱり何者かになりたくて、TIF常連クラスの王道アイドルグループのオーディションを受けた。当時は凄さがわからなかったが、地底アイドルになった今ならわかる。有名半地下事務所で現在もそのグループは健在である。書類審査を合格し、面接の通知が来た。嬉しかった。AKB、SKE、NMB、乃木坂、欅坂、と、ずっとアイドルが好きだった。そして同時に同じくらい強く憧れていた。しかし、同時に私は何も特別なものを持ってないし、持とうと努力もまだしてないし、結果も出してない。自分の人生中途半端なまま、すべきことをせずに、やりたいことを優先してはいけないという強迫概念と、漠然とした不安を感じ、辞退した。私が自分を変えようとチャンスを掴もうとする度に、やりたいことばかりやってすべきことを疎かにするのは良くないという大義名分のもと、そのチャンスを捨てる自分がいた。馬鹿みたい。けれど、私は自分の成すべきこと、まずは受験を成功させてからでなくては、自分が存在しててもいい理由を持っていなければ、好きなことや挑戦したいことをする権利はない。自分の実力で成功を掴んで自分を多少なりとも認めてあげられてからじゃないと、何者かになっていい資格はないと思っていた。結果、現役落ちして4浪してしまったし、美大受験を目指して2年かかってしまったが、初めて合格の文字を見た時は、世界の見える景色がとても艶やかで美しく変化してしまうぐらい嬉しくて嬉しくて、外で受験結果書類を開け、合格の文字を見た瞬間「やった!!!!」と、叫んだ。常に人の目が怖くて、他人を気にしている私だが、この瞬間だけは、外という他人が不特定多数いる状況でも声を大にして喜びを叫びたくなった。私はやっと自分をほんの少しだけ認めることができたと思う。成すべきことは果たしたので、今、やりたいことをしている。
けれど、なにかまだ足りたい。まだ満たされない。憧れのアイドルになれたけど、数多く存在するアイドルの中で私は多分、いや確実に特別な存在ではない。

まだ当分、私は「特別」の呪縛から逃れそうにはない。

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