日本陸軍の歌 (陸軍戸山学校軍楽隊)。
陸軍戸山学校軍楽隊の伴奏歌唱による「日本陸軍の歌」。当時仙台に在住していた歌人土井晩翠の作詞、軍楽隊のメンバー(氏名不詳)が作曲を担当しています。遠く明治15年の正月明け、明治天皇による「陸海軍人に賜る勅諭」所謂『軍人勅諭』が下賜されました。西南戦争や自由民権運動の影響からか、国内では動揺が広まっており其の引き締めもあって、起草されたとも言われております。下賜に際しては山縣有朋らが編纂を行い、発布されて以降は陸軍海軍双方での新兵教育にて必須の履修項目でもありました。“軍人たるもの本分の、上を敬い上よりは、下を愛して一筋に、死をば軽して覚悟せよ…”と云う、同名の海軍軍歌が明治時代に制作されましたが、此の「日本陸軍の歌」は勅諭下賜から半世紀が経過した、昭和7年3月10日の陸軍記念日に向けて制作されております🎌。
「日本陸軍の歌」は、従来から親しまれていた軍歌「日本陸軍」の新版とも言うべき楽曲で、基本には覚え易い陽旋法で書かれています。一部資料では「新日本陸軍の歌」と紹介されていますが、あくまで便宜上の通称であり其の様な明記は当時は無かった様に思えます。全六番からなり、トランペットのイントロの後ですぐ歌に入り最後まで間奏抜きで一気に歌い上げると云う流れ。これは此の時期の陸軍軍歌によく見られた「詰め込み型」と云うパターンであり、SP盤の収録時間を考えると重要なテーマでもある歌詞を端折らざるを得ない為、止むなくノンストップにしたと云う経緯がありました。それ故に一鑑賞楽曲としては平凡な出来であり、何処か退屈さも覚えますが、兵士としての自覚や使命感を歌を通して教え込むと云う目的を考えれば、それも有りだったと言えるでしょう🎼。