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雲のゆくへ (藤村一郎)。

藤村一郎の歌う「雲のゆくへ」。石松秋二作詞、正木真作曲で、此の藤村一郎と云う紛らわしい名の歌手の正体は黒田進、即ち楠木繁夫の下積み時代の録音です。明治38年に高知県に生まれた彼は、裕福な医者の家庭に育ちました。長じて東京音楽学校へと入学し、同期には作曲家の高木東六らがおります。師範科で学んでおりましたが、学生運動関連のグループに関係していた事を咎められ、高木共々退学に追い込まれました。黒田は当事者達とは私的な付き合いがあっただけに過ぎず、自身は運動には全く無関でしたが、処分に憤慨しつつも大衆の歌い手になるべく関西へと流れました。昭和4年頃にデビューし、本名其の他の凡ゆる芸名を用いて各レーベルに出没し、特に関西圏のレーベルではお馴染みのシンガーとして引っ張りだこ。テイチクへは昭和7年にお目見えしたと思われます🎼。

さて此の「雲のゆくへ」ですが、作曲正木真となっております。過去の資料では、正木は古賀政男の変名と囁かれていまして、果たして本当にそうなのかと思って針を落とすと、そのメロディは古賀と云うよりも江口夜詩の作風によく似ておりました。松平晃の入れた「希望の首途」を思わせる、陽旋法の弾む一曲であり、当時29歳の藤村一郎=楠木繁夫の若々しく爽やかな歌声が溝から蘇ります。伴奏はチェレスタ、バンジョー、アコーディオン、打楽器などが用いられており、晴れやかな人生のスタートを切るかの様な楽しい歌でした。此の歌が出てすぐ古賀政男がテイチクへと入社しており、また芸名も藤村一郎から楠木繁夫へとチェンジ。長い下積みを時代を終えて、会社共々黄金時代へと入るのです。裏面は堀江繁代の歌う「鐘は鳴る」で、レコードは昭和9年の発売でした😀。


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