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3分で読める     第4回 日露戦争 PART1 火種編

こ・ん・に・ち・は。KONNICHIHA。

通りすがりの歴史好きです。

ここ最近、『リーガルハイ』見て、『半沢直樹(2013)』見て、『南極料理人』見て、『真田丸』見て、『半沢直樹(2020)』見て、堺雅人のオンパレードだけど、飽きませんわ。。


ま、今回はどの作品とも関係のない日本史を解説したいと思います。それは、、

日本とロシアとの領土を巡る戦い”日露戦争”です。

学校の授業ですと、『日本がロシアと戦い勝ちました。これで日本も近代国家の仲間入りをしました。』みたいな、1ページにも満たない文で書かれていたと思います。しかし、そんな簡単な戦いではありません。

戦争を好きなどと言うのは不謹慎ではありますが、日露戦争には多くの偉人達が、まさに命懸けでこの国を守ろうと尽力して、国を守った総力戦いと言えるので、個人的には感服しています。

あとは数々の偉人が名を挙げた戦争でもあるので、そこも引かれる要因の1つですね。”東郷平八郎、秋山好古・真之・乃木希典・児玉源太郎”などなど、偉人ばかりです。今戦争において重要人物ですので覚えておいてください。

では、まずはなぜ日露戦争が起きてしまったのか。火種となった原因を解説して行こうと思います。よろしくお願いします。

※当然ながら専門家ではないので、間違った部分、偏見もあるかも知れませんがご了承ください。なるべくわかりやすく解説していきます。



・日露戦争前の動き

時代は明治27年に遡ります。日本は明治維新が起こり、新しい国日本になってまだまだ間もない頃です。そんな時ある国と戦争をしています。それが、清国(現在の中国)との戦争、”日清戦争”です。(なぜかを話すと長くなるのでここははしょります。)

倍以上の兵士を要する清相手に、日本は勝利を納めます。そして『下関条約』にて、清から主に『台湾・遼東半島(りゃおとん)・澎湖諸島(ほうこ)』をもらい、かつ巨額の賠償金を得ることができました。

日本は初の植民地を得ることができたのですが、喜びも束の間、そこへロシアの影が忍び寄ってきます。当時ロシアは『南下政策』と言う政策を行っていました。南下政策とは、当時の貿易No. 1国はイギリスです(多くの植民地を持っていましたから)。それに対抗したいロシアなんですが、ロシアはイギリスと違い、流氷により1年を通して港が使えなかったので、貿易国としては厳しかったのです。

そこで、ロシアは1年中使える港を確保するためにこの南下政策を実行します。

ロシア 『最近イギリスさんが貿易ですごい儲かってるらしいので、僕たちも貿易に力入れていきます。では”オスマン帝国(今のトルコ)”に攻めていきましょう。』

ロシアはオスマン帝国に攻め込みますが、当時オスマンとイギリスは仲が良かったので、イギリスが援護に渡り、ロシアはオスマン帝国侵略を断念します。

ロシア 『オスマンダメかー。じゃあ次は清国へ攻めましょう。』

清国へと軍を向けたロシアは、ズカズカと清へ入り込み、ついに港をゲットします。それが『ウラジオストックと旅順港』です。(重要な港なので覚えておいて下さい)

しかしここで大問題が!この旅順港は日本が日清戦争にて貰うはずの場所なのです。ロシアはどうしても旅順港が欲しいので、ドイツとフランスを仲間にし、日本に対して、港のある遼東半島の返還を要求してきます。これが『三国干渉』です。結果、変換する事になります。

またさらに事件が。『義和団事件』です。清で起こった反乱軍みたいな物で、勢い凄まじかったのですが、日本を含む8カ国の連合軍により鎮圧されます。

鎮圧後それぞれが自分の国に帰るのですが、ロシアはそのまま”満洲”に留まります。

日本 『あれ?ロシアさん帰らないね?居座るき?占領してんの?まずいなー。満州が取られるかも知れんぞ!』

ロシアが満州を支配してしまうと、そのまま朝鮮半島も取られ、日本海を取られ、ロシア艦隊が自由に貿易移活動でき、領海権を取られてしまう可能性もあり、日本は焦ります。

そこで1902年(明治35年)に日本との利害が一致していたイギリスと、『日英同盟』を締結します。


・両政府の動き

この同盟をきっかけに日本政府内には、『ロシアとの戦争も仕方ない派』と『戦争は回避すべき派』に別れます。

  仕方ない派                 回避するべき

山形有朋(総理大臣やる人)         伊藤博文(言わずと知れた人) 

小村寿太郎(外交官の人)   VS      井上馨(渋沢栄一と関係あり)

桂太郎(こん時の総理大臣)

この両派閥が会議を行い結果、『仕方ない派』の意見が主流になってしまいます。これにより『ロシアを討つべし』みたいな世論が高まってしまいます。

これに伊藤博文は危機感を持ちます。軍事力つまり、兵力・資金力・技術力どれもがロシアには劣っているのが分かっていたのです。そこで伊藤は単独でロシアに赴き、ロシアの軍関係者と戦争回避の策を考えていきます。

しかし、伊藤の働きも虚しく、その軍関係者がクビになってしまい、ロシア政府内でも『日本を討つべし』と言う風潮になってしまいます。

まあ当時のロシアからしてみれば、日本なんぞただの小さい島国でしかありませんからね、当然舐められてます。簡単に倒せると思われていたと思います。

そこで日本はロシアに妥協案を送ります。その内容が、、

日本 『満州はロシアに譲りますが、朝鮮半島だけは日本に帰して下さい』

と、いわゆる『満韓交換論』(絶対に習ってないですよね)を送ります。

しかし、戦争やる派の多いロシアはこれを拒否、さらに当時のロシア皇帝・ニコライ2世もこれに賛同してしまいます。(ロシアのラストエンペラーです。)

#ちなみに 、ニコライ2世は日本に訪れた過去があるのですが、その際日本人に斬りつけられ、大怪我を負っています。これで日本に恨みがあったかはわかりませんがね。

日本側の妥協案も断られたことで、当時の外交官・小村寿太郎はロシアに対し、”国交断絶”を伝え、これにより開戦の火種が完全に着火しました。

そしていよいよ、世界最強のロシアとの戦争が始まって行くのです。

今回はここまでにします。

次回いよいよ開戦です。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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