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エベルの民~ヘブル人の故郷を探る②~
前回⇒アブラハムの故郷はどこ?
アブラハムは「ヘブル人」であった。
聖書にはアブラハムとその家族親戚以外のヘブル人が登場しない。
「ヘブル人」とは誰のことであったのか?
今日はそのルーツに迫っていく。
数が少ない民
主があなたがたを恋い慕って、あなたがたを選ばれたのは、あなたがたがどの民よりも数が多かったからではない。事実、あなたがたは、すべての国々の民のうちで最も数が少なかった。しかし、主があなたがたを愛されたから、また、あなたがたの先祖たちに誓われた誓いを守られたから、主は力強い御手をもってあなたがたを連れ出し、奴隷の家から、エジプトの王パロの手から贖い出された。
(申命記7章7~8節)
上記はエジプトを脱出したイスラエル人に対して神が語った言葉である。
この時点で、イスラエル人は「最も少ない民」だとされている。
これは偶然ではない。
新約聖書に「命に至る道は狭い」とあるように、最も少ない民族であるイスラエル人がエジプトに下された10の災厄を免れて新しい土地に至るエピソードは、ハルマゲドン以前の黙示録の災厄を免れて神の国にいたる民の暗喩として記録されたものである。
出エジプトと神の国の関係については下の記事で解説した。
出エジプト時のイスラエル民族の数が少なかったのは、民族の発生から4百年ほどしかたっておらず、その間、エジプトで奴隷労働に従事させられていたからである。
イスラエルとは、アブラハムの子イサクの息子ヤコブのことである。
アブラハムにはイサクのほかに7人の子供がいた。
その子孫のほとんどが、のちにアラブ人となる。
イサクにはヤコブとエサウという双子の兄弟が生まれた。
ヤコブの子孫はイスラエル人となり、エサウの子孫はエドム人として別の民族を形成する。彼らもアラブに吸収される。
アブラハム以降、ヘブル人はこのように分岐を繰り返しており、その結果、イスラエル人の数が少ないというエピソードにつながっていく。
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イスラエル人を生んだ民族であるヘブル人も、アブラハムの時代には数が少ない民族であった。
まず、彼らには国も土地もなかった。
遊牧民として、アラムの地に仮住まいする立場であった。
ヘブル人の数が少なかった理由も、分岐の結果であるのだろうか?
これは、半分Yesで半分Noである。
では、ヘブル人とは誰であったのか?
ヘブル人の起点がどこにあるのかを見ていこう。
長命の父祖エベル
セムにも子が生まれた。
セムはエベルのすべての子孫の先祖であって、長子ヤペテの兄弟であった。
(創世記10章21節)
創世記の筆者モーセはここで父祖エベルを強調している。
エベルがヘブル人のキーになる人物だ。
セムからヤコブ(イスラエル)に至る系図は以下のとおりである。
※この表はアダムが生まれた年を0年として計算したものである。
![](https://assets.st-note.com/img/1734940433-JRd9uLFTIAhCxsbr5yfg2qXP.png)
![](https://assets.st-note.com/img/1734935787-25ahoPiJWN9ep1wlnv0R4yzS.png?width=1200)
寿命グラフとして示したのには理由がある。
エベルの子ペレグ以降の寿命が急激に短くなっているのがわかるだろう。
ヘブル人という呼び名には、このことがおおいにかかわっていると考えられるのだ。
ペレグ以降の子孫は、ペレグ→レウ→セルグ→ナホル→テラ→アブラハムに至るまで、全員エベルよりも先に死んでいる。
つまり、エベルが父シェラフのもとから独立していたのであれば、非常に長いあいだ、エベルが族長であったことになる。
エベルが大人になって2百年以上もあとにアブラハムは生まれているのだが、アブラハムが生きているあいだもずっと、エベルは存命であった。
ヘブルとは「ハ・エベル」(the Eber)のことだろう。
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エベルにはふたりの息子がいた。
ペレグとヨクタン。
ペレグには下記のような説明が添えられている。
……ひとりの名はペレグであった。彼の時代に地が分けられたからである。
(創世記10章25節)
ペレグには「分離」という意味がある。
分けられたので「分離」の名を付けられたのであれば、出生時の名前ではなく、のちの呼び名であろう。
では、この「地が分けられた」とは、何を意味しているのだろうか?
地殻変動で地割れが起きたことを「地が分けられた」と表現しているのだという説があるが、そうではない。
地割れにペレグが落ちたから彼の寿命は短かくなったのだとか、そっちのほうが物語としては面白いが、そういう話ではない。
創世記10章の話の流れから読み取れるのは、民族の分離である。
のちにアブラハムと甥のロトは、互いの家族と家畜、それに使用人の数が増えたので、いさかいを起こさないよう別行動をすることに決めた。
それと似たようなことが、ペレグの時代にも起きたのだろう。
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アブラハムははじめから遊牧民であった。
都市民としてウル・カシュディムに暮らしていたわけではない。
彼がハッラーンに残してきた親族も遊牧民であったからだ。
ということは、エベルの子孫は基本的に遊牧生活をしていたものが多く、密集して生活することはできなかった。
人と家畜が増えれば必要な牧草地も増えるため、いつかの時点でグループを分ける必要が出てきてしまう。
エベルの息子ペレグとヨクタンが生きていた時代に、それが行われた。
ペレグの子孫はヘブル人となり、ヨクタンの子孫はのちのアラブ人となっていく。
アラブには真のアラブであるカフターン族がいるが、このカフターンはヨクタンから来ているという説がある。
創世記10章では、イスラエルより東の山地に住む民族はヨクタンの子孫であると記されている。
ところが、ヘブル人に関してはヨクタンの兄弟のペレグの名ではなく、その父エベルの名前で認識されている。
いったい何が起きたのだろうか?
つづく。
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