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ななめ上を行く『アダムの墓』
インド洋の島国スリランカには、アダムとイブの墓であると信じられている不思議な場所が存在する。
スリランカ北西部の海に面したタライマンナルという辺鄙な町にそれはある。
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この町はスリランカとインドを結ぶ海に沈んだ陸橋アダムス・ブリッジの付け根にある。いや、陸橋の上かもしれない。
仏教・キリスト教・イスラム教が混在するこの土地にあって、アダムの墓はイスラム教の礼拝所となっている。
で、どのような墓なのかというと……。
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長い。
墓の長さはおよそ12メートルほど。
人が埋まっていると考えると、純粋に縦横比がおかしい。
横向きに寝かせて押し込んだのだろうか。
一応、アダムとイブの墓ということにはなっているが、どうやらほかの伝説も存在するらしい。
伝説によると、二人の背の高い兄弟がボートに乗ってマナールに上陸しました。彼らがどこから来たのか誰も知りませんでした、そして彼らが死んだとき、彼らはこの場所に埋葬されました。時が経つにつれて、これら背の高い兄弟は身長40フィートの巨人になり、その地域のイスラム教徒は2つの墓について独自のバージョンの伝承を発展させました。
https://amazinglanka.comより引用
……というわけで、出身地不明の巨人の兄弟の墓かもしれない、とのことだ。
とりあえず掘って巨人の骸骨が出てくるかどうか確かめてほしいものだ。
イスラム教徒は巨人が大好きである。
彼らの伝承においてはアダムも巨人であったりする。
しかも、動くと頭が天を突き破るサイズ感だ。
なぜにそういう伝承が生まれたのかはわからないが、イスラエルのパレスチナ自治区にも「ナビー・ムーサ」(預言者モーセの墓)と呼ばれる巨人の棺を納めたモスクがあった。
棺の長さは4~5メートルくらいあっただろうか。
高さも背丈よりだいぶ高かった。
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モーセは普通サイズの人間なので、これは絶対にモーセの墓ではない。
どちらかといえば、モーセ率いるイスラエルの民と戦った巨人であるバシャンの王オグや、ダビデが倒した巨人ゴリアテのような、カナン人やペリシテ人の墓ではないだろうか。
ナビー・ムーサの近くにはもうひとつ巨人の墓があるという。
じゃあ、それは誰の墓なの?とモスクの人に尋ねたら、「モーセの友達」という答えが返ってきた。適当すぎて笑った。
ダメもとで、棺を開けて中を見せてよと頼んだら、「ダメだ」と言われた。
当たり前である。
中見たことある?と尋ねたら、「ない」とのことだった。
……えらい。
筆者がこんな棺の管理にかかわったら、絶対深夜に忍び込んでジャッキで蓋開けて中のぞいちゃうけどね。
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話はスリランカに戻る。
スリランカにあるアダムの墓に関しては、もうひとつ、別の伝承が存在している。
知れ。サランディーブの海は、水が黒い。アーダムの墓は半分が水中に、半分が陸地にある。彼の墓の上には巨木が生えている。その実はナツメのようである。またその葉からは、夜も昼も絶え間なく、彼の墓の上に 10 万滴の真水が雨のように滴る。誰もこの墓の上に行くことはできないが、 この水はいくつかの貯水槽に溜まり、サランディーブの人々はそこから水を飲む。墓のまわりには たくさんの箱が置かれ、囲いが設けられている。ムスリムや不信心者やユダヤ教徒やキリスト教徒 の修行者たち(muʻtakifān)が暮らしているが、ヒンドの人々はそこに近づかない。その墓 を参詣するヒンドの人は裸になり、修行庵の中に暮らす。そのような者には、現世の愉楽が死ぬま で禁じられる。この墓はクルズム(紅海)のほとりにある。一端はカーフの山に、一端は「闇の世界」に、一端は水に[接している]。
守川知子監訳 ペルシア語百科全書研究会訳注
ムハンマド・ブン・マフムード・トゥースィー著『被造物の驚異と万物の珍奇』(7)より引用
サランディーブというのはセイロンの古名であり、スリランカのことだ。
上の話を読むかぎり、どうもこのアダムの墓というのは12メートルどころの話ではなさそうだ。
墓は紅海のほとりにあるというが、ここで言う紅海とはペルシアの南の海のことである。インド洋と思えばいいだろう。
そして、一端はカーフ山、一端は闇の世界、一端は水に接しているという。
端が3つある。ということは、
まさかの三角形??
今日では、この伝説の墓がどこにあるのかはわからない。
わかっているのは、
スリランカの海辺にあり、
墓の上に巨木が生えており、
墓の上に行くことはできず、
国際色豊かな場所にあり、
周囲には貯水槽があり、
半分が水中、半分が陸地にあり、
一端が水、一端が山、一端が闇(ジャングル?)に接している、
ということだ。
総合的に考えて、西海岸かと思われる。
宗教を越えて信仰を集めているというところでは、アダムスピークなんかが形状的にもいい感じである。
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しかし、この山は海から70kmほど内陸にある。
だから、ちがうのだろう。
今のところ、これかな?と思える場所は見つかっていない。
この話が書かれたのは12世紀のことである。
千年も経てば聖地も消えて忘れ去られてしまうのだろうか。
この伝説は、記述が詳細なのにわかりづらいところにリアリティがあり、もとの話に尾ひれがついたり伝言ゲームのミスがあったりはしたかもしれないが、実際に「何か」は存在したのだろう。
スリランカにはなぜか「アダム」の名が付くスポットが多い。
スリランカの「アダムの墓」は、アダムを巨人だと信じる巨人好きのイスラム教徒が名づけたものだろう。
人類の父祖アダムが眠る場所はここではない。
だがしかし───、
アダムを巨人と信じるイスラム教徒がこの島のいくつもの場所にアダムの名を付けたということは、千年前にはそれとわかる巨人の名残がまだそこここに残されていたのかもしれない。
ひょっとして、スリランカには巨人族が存在したのだろうか───?
つづく。
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