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謎の民『イバル』~ヘブル人の故郷を探る⑧~



 都市国家エブラの南にいたという謎の遊牧民族『イブリ』、あるいは『イバル』。どちらもスペルは〈IBR〉であり、同じ民族を指している。
 

 今回はマリア・ジョヴァンナ・ビガ女史の論文『The Syrian steppes and the kingdom of Ibal in the third millennium B.C.』(21.03.2014)をもとに解説するので、『イバル』とする。
 


 まず、この論文では、

「数年前、イバルはエブラ南部の草原に住んでいた半牧畜民族によってつくられた小さな町の連合体であると提唱された」

とある。

 あくまで「イバル」は町の名前か、その町を含む連合体の名称である、と解釈した、というわけだ。

 だが、すぐに矛盾が現れる。

 イバルの種類として、

「イバル、草原のイバル、運河のイバル、貯水池のイバル」

といった記載が文献に見られる、という。


 ということは、イバルが特定の町の名称であるというわけではなさそうだ。
 連合体の名称だとしても不自然である。
 細分化されてもなお連合体の名称を名乗っていることになるからだ。
 
 イバルを民族名とするか、遊牧民をイバルと呼んでいた、としたほうが自然である。


 では、そのイバルが居住していた地はどのあたりかというと、都市国家エブラの南、また、都市国家マリの西、カトナ方面であるという。

Googlemapsより


 カトナは、一見して、貿易の中継地として優れた立地であることがわかる。

 「イバル連合は北東のテル・アル・ラウダからカトナ地方にまで及んでいた可能性がある。それによって、マリがカトナ、そこから南のエジプトまで到達できる重要な地域だった可能性がある。」

 (※テル・アル・ラウダはカトナの北東80kmに位置する遺跡である。)

 つまり、イバル連合は都市国家マリとエジプトをつなぐ、交易に重要な地域にいたかもしれない、ということだ。


 古来より、遊牧民は交易に従事していた。
 
 現代の長距離トラックの役割を、馬やラクダが担っていたわけだ。

 遊牧・牧畜民はそれらの家畜を所有している。


 カトナ周辺にイバルと呼ばれる半牧畜民がいたならば、彼らは必ず交易に従事していたはずである。

 地図から分かるように、マリからカトナまで行くと、そこからエジプトのみならず、アラビア半島、地中海方面に出ることができる。


 ちなみに、なぜ、マリからシナイ半島まで直線で移動しないかというと、そのあいだには山地があり、さらにはヨルダン川を渡ることになるため、非効率なのである。

電子国土web色別標高地図より


 交易をする民族は、交易路の途中に拠点を設けていく。

 紀元前3千年期当時、メソポタミアとエジプトのあいだに有力な勢力があった気配がない。
 とすると、カトナからエジプトまでの旅程に、交易をおこなう「イバル」の拠点が多数存在したものと考えられる。

 すると、自動的にイバルの領域がエジプト方面に広がっていく。


 イバルの領域がある程度広かったことは、イバルに関する地名が数多く記録されていることと、都市国家エブラがイバルを制圧するために4年を要したことからも察せられる。

 「4,5年のあいだ、(都市国家エブラの)宰相イッビ・ジキルが時には(少なくとも2回)王や息子のドゥブフ・アダとともに、同じ地域でふたたび戦争を強いられたという事実は、イバル連合が広大な地域を支配していたことを示唆している。1回の作戦でその地域を制圧するのは不可能であった。この広大な領土を平定するのに4年を要した。」


 カトナと同じく、エブラも交易の中継地に適した立地である。
 
 そして、メソポタミア地域から地中海に商品を輸送するときに、マリからカトナ経由で地中海に出るか、エマルからエブラを経由して出るか、選ぶことができる。

 都市国家エブラにとってカトナは強力なライバルであり、争いが起きるのは時間の問題であった。

 だが、どうやらエブラの勢力の方が強く、イバルは一方的に制圧される側であったようだ。

 エブラに制圧されたのち、イバルの地はエブラ人の完全な支配下にあった。
 


 では、イバルの領域を、前回の『グレーターイスラエル』の地図と比較してみよう。


 やはり、神がイスラエル人に与えると宣言した領土『グレーターイスラエル』は、イバルまたはイブリの民の領域と重なるのではないだろうか?


 ヘブル人の祖「Eberエベル」。
 エベルの最初の文字は〈עアイン〉
 「ヘブル人」を意味するヘブライ語「アヴァリムעברים」の「ア」も〈ע〉。
 「ヘブライ語」を意味する「イヴリッツעִברִית」の「イ」も〈ע〉。

 イバルとエベルは同じではないだろうか?

 また、「イスラエル人」のヘブライ語は「イスラエ」である。
 「イブ」は「エベル人」のことではなかったか?





 現在、エブラ遺跡もカトナの遺跡もシリア領内にある。

 そのシリアではイスラム過激派が政権を取った。

 彼らはコーランの章句を書き換えてまで、キリスト教徒とユダヤ人を迫害していく方針を公言している。

 ついでに、レバノンもシリアのものだと言い出した。

 突然の言いがかりにレバノンもびっくり。

 イスラエル軍は目下、周辺の敵を掃討中である。

 このままだと、シリアはイスラエルを攻撃することになり、反撃に出たイスラエルにフルボッコにされて、イスラエルの領土になったりしないだろうか?
 
 もしそうなれば、今度は世論が、シリアをイスラム過激派が乗っ取ったのはイスラエルの陰謀だったと騒ぎだすだろう。すでにその兆候はある。


 それから、興味深いことに、ユーフラテス東岸は現在クルド人勢力の支配地域となっている。

BBC news Japanより


 クルド人勢力の地域は、グレーターイスラエルの領域外だ。

 狙ってか偶然が、うまくできてるなぁと思う。

 これ以上はハルマゲドンシリーズで書く内容になるが、聖書預言の観点からすると、イスラエルの周囲に存在する反イスラエル武装勢力をイスラエルが早期に制圧・排除するなら、それだけ今の世の終わりが近づくことになる。停戦合意だなんだといってハマスの解体が進まず、周辺で小競り合いがまだ続くようなら、ハルマゲドンはまだ先である。



***

「イバル、草原のイバル、運河のイバル、貯水池のイバル」


 現在、イバルがいたと思われる土地の大部分は荒野である。

 紀元前3千年期、地球は全体的に現在よりも潤っており、メソポタミア周辺の涸れワジにもまだ水が流れていた。

 カトナ遺跡わきのカトナ湖は、現在は干上がっているが、紀元前3千年期にはたしかに存在していたのだという。

 貯水池のイバルとは、湖のほとりのカトナに暮らす人々のことだったのだろうか?

 運河のイバル、というのだから、そこそこ距離のある運河もあったのだろう。

 
 現在、カトナ遺跡に近い都市ホムス近郊にはオム湖という湖がある。
 そのほとりに、Qattinahカティナという町がある。

 古代カトナの名残だろうか。

 


 つづく。


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