素人でもわかる永世中立国#4 ~破られた中立~
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今回はシリーズ「素人でもわかる永世中立国」の第4回でベルギー・ルクセンブルクの中立侵犯について解説していきましょう。
【前回の記事】
第1回: https://note.com/rekishinoakuma/n/n9ef917c745ed
第2回: https://note.com/rekishinoakuma/n/nbf75b7523edc
第3回: https://note.com/rekishinoakuma/n/n06fa584ad8b4
破られた中立
【国家概要】
ベルギー国旗
◎ベルギー概要
正式国名: ベルギー王国
首都: ブリュッセル
面積: 30万㎢ ※日本:37万㎢
人口: 1149.3万人 (2020年)
ルクセンブルク国旗
◎ルクセンブルク概要
正式国名: ルクセンブルク大公国
首都: ルクセンブルク
面積: 2586㎢ ※沖縄:2281㎢
人口: 62万人 (2020年)
ベルギー・ルクセンブルクの地図
フランス・ドイツといった大国の間に位置する
ベルギー・ルクセンブルクは西ヨーロッパに位置する国であり、両国ともフランス・ドイツといった大国に挟まれるように隣接しています。そんなベルギーとルクセンブルクはそれぞれ1839年・1867年に永世中立国として国際的な承認を得ました。
【ベルギーの中立に至るまで】
ベルギー・ルクセンブルクの歴史
ベルギーは1830年にオランダから独立した
ベルギーがある地域は元々ハプスブルク家の支配を受けていましたが、1815年以降はオランダの支配下に入りました。しかしオランダは自国を極端に優先したためベルギーの住民の反発を招き、ベルギーは1830年にオランダからの独立を宣言しました。
それに対しヨーロッパ列強はフランスがベルギーに進出することを恐れてベルギーの独立と永世中立国化を承認し、1831年のロンドン条約によってイギリス・フランス・ロシア・プロイセン(後のドイツ)・オーストリアの五大国はベルギーの永世中立を保障しました。
【ルクセンブルクの中立に至るまで】
ベルギー・ルクセンブルクの歴史
ルクセンブルクはオランダ国王による大公位兼任のもと1839年に政治的に独立した
ルクセンブルクは1815年からオランダ国王がルクセンブルク大公を兼任しており、オランダの事実上の飛び地で、1839年にオランダから事実上の独立を果たしました。またルクセンブルクはドイツ連邦というドイツの諸邦39ヵ国で構成される国家組織にも加盟していました。
当時のフランス皇帝 ナポレオン3世(1808~1873)
オランダに対しルクセンブルクのフランスへの売却を持ちかけた
しかし、1866年にドイツ連邦が解体されるとルクセンブルクはフランスによる併合の危機にさらされました。フランスがオランダに対してルクセンブルクの売却を持ちかけたのです。これまでルクセンブルクはドイツ連邦の加盟国同士で協力する安全保障によって守られていましたが、ドイツ連邦の解体によってルクセンブルクを守る国・機構はなくなってしまいました。
プロイセン(後のドイツ)宰相 ビスマルク(1815~1898)
当時のフランスの勢力拡大を警戒しフランスによるルクセンブルク買収を阻止した
ルクセンブルクの買収はプロイセンの反発により失敗し1867年のロンドン条約(1830年のものとは別)でルクセンブルクの周辺国の保護の下での永世中立国化が規定され、イギリス・フランス・プロイセン・オランダ・イタリア・ベルギー・オーストリア・ロシア・ルクセンブルクの9ヶ国間で結ばれました。
ベルギー・ルクセンブルクはフランスによる勢力拡大を防ぐために周辺国による永世中立の保障のもとで永世中立国となりましたが、ルクセンブルクの永世中立は周辺国の保障の他にもスイス・ベルギーにはない「非武装中立」という特徴がありました。
「非武装」とは軍隊を持たないことであり、当時のルクセンブルクは国内治安維持のための警察以外の軍事力を持たず、要塞の建設も禁止されていました。前々回にまで話したスイスの武装中立とは打って変わった平和主義国家に見えますが、1914年にベルギーとルクセンブルクは悲劇に襲われるのです。
今回は字数が多くなりましたので次回は永世中立国であったベルギーとルクセンブルクを襲った悲劇について扱っていきたいと思います。それでは皆さんまた次回お会いしましょう!
【参考資料】
◎ベルギー基礎データ|外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/belgium/data.html
◎ルクセンブルク基礎データ|外務省https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/luxembourg/data.html
◎和仁健太郎「伝統的中立制度の成立-18世紀末〜20世紀初頭における中立-」『国際関係論研究』2005 (24):29-57
◎木戸沙織「「三言語話者」と「三言語併用社会」 -ルクセンブルクにおける社会の単言語化と語学教育の課題-」『東北医科薬科大学教養教育関係論集』 2016 30:1-22
◎矢口啓明「ヨーロッパ協調とニコライ一世の外交政策 -ベル
ギー独立問題への対応から-」『東北アジア研究』2017 21:45-70
◎日本大百科全書
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